西東京バス鉄道部 陣馬電鉄 | まほろ市発なんでもありのブログ

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富井電鉄と書いて宵闇と読む

前に架空私鉄でも紹介した陣馬電鉄の車両が完成しました。



今までワタクシの頭の中で空想していただけの架空私鉄電車でした。
八王子の町に広島電鉄宮島線や、土佐電気鉄道安芸線、名鉄揖斐谷汲線みたいな路線があったらというイメージで作っていた路線です。

陣馬山の登山口がある恩方に、北恵那鉄道みたいなひなびたローカル私鉄電車が走っていたらなあとかつてからずっと空想していました。

車両も幾つか妄想はしていましたが、途中で止まってしまいました。

でも今回新たに形にすることが出来たので発表することにします。




ここからは架空のお話です。

https://railway.chi-zu.net/84302.html

大正大震災後の八王子。
高尾自動車や、楢原町、大和田、恩方らの有志によって、八王子から陣馬山までの鉄道計画が持ち上がった。
早速高尾自動車の鉄道部門、陣馬電鉄が設立され、大正13年から工事は進められた。

大正14年、東八王子と楢原間が開業。
1067㎜、600Vであった。
京王線の前身玉南電鉄と相互乗り入れ運転が開始された。

大正15年、楢原と陣馬登山口駅間が開通し、八王子と陣馬山がレールで繋がった。

しかし昭和3年、玉南電鉄は京王に併合、改軌がなされ、陣馬電鉄との乗り入れは解消してしまった。
その為新たに八王子駅前までの軌道線が開業。
翌年には武蔵中央交通が開業し、同社は新たに武蔵中央交通モハ1形と同形態のモハ20形を新造。武蔵中央交通との乗り入れを果たした。

しかし昭和13年武蔵中央交通は京王と合併し、八王子駅前と東八王子駅前を除いて廃止になってしまった。

残る部分はそのまま残されたが、昭和20年8月1日の八王子大空襲に於いて4両の車両を被災してしまった。

戦後は旧武蔵中央交通の路線を引き継ぐ形で軌道線が延長。八王子駅前から高尾駅前、市役所前、日野駅前方面へと軌道線が開業した。

昭和30年、親会社高尾自動車共々西東京バスに合併され、西東京バス鉄道部として出発した。また上野原から棡原口までを走っていた旧檜原電気鉄道を合併。当社の上野原線としている。

昭和43年、国鉄中央線の鳥沢大橋開通に伴う路線変更に伴い、猿橋⇔鳥沢間の旧線を譲り受け、猿橋線とした。
https://railway.chi-zu.net/102503.html

しかし平成12年3月上野原線は廃線となってしまう。

昭和50年代より、陣馬線は軌道線乗り入れ車両が主力となり、平成31年3月高床車両は消滅した。


八王子の恩方ののんびりとした風景の中、北恵那鉄道みたいな電車があったらと考えるとワクワクしてきます。

そんな思いを今形にしてみます。