上田電鉄の丸窓ドリーム号が引退する。
上田電鉄へ7200系が譲渡されて21年になるけど,..もう引退なのか。
つくづく年月の経つのは速いと感じた。
始めて譲渡されたのが1993年。XJapanのart of lifeが発売されて20年になるのか,..
そんなこの時、不意にこどもの国線7200系のことを思い出した。
こどもの国。
町田産まれのワタクシとしては小さい頃からよく行ったリクリエーション施設だった。
こどもの頃、家族で行ったり、小学校の遠足で行った。
小さい頃からどこか陰気な場所とは思っていたが、まさかここが戦慄の心霊スポットだと聞いた時はすごいショックだった。
園内を走り回る自転車やそこらじゅうの遊戯物で遊んだあの日。
けれどソコに行くまではいつも車であり、電車で行った事はなかった。
小学校に上がるちょっと前、始めてこどもの国線の電車に乗った。
その時は既に7200系のアルミカーがこどもの国のマークを付けた特別専用車として走っていた。
当時としてもやや古めの車体から響き渡るコブシの効いた8500系のようなモーター音は小さい頃のワタクシの心を虜にしてしまった。
まだ全線が非ロングレール。ジョイント音も心地よい。
車内は広告が取り除かれ、変わりに窓の目隠し用のステンドグラス風ステッカーが貼られていた。
それ以降、あの三角帽子のこどもの国マークを付けた電車は幼きワタクシの憧れだった。
ここに6000系が入ると更に興奮したが、7200系はそれはそれで大好きだったかも。
GW中には更に8000系や8090系が走るのは見ていたが、流石に3450形に遭遇することはなかった。
そんなアルミカーも平成元年遂にはワンマンカーの7000系に交代した。
更に2年後ド派手なカラーリングのデヤになり周囲を驚かせた。
変わりに3450形が完全に引退。デヤ7200系も東急の事業用車両として君臨したが、もう過去の話になった。
今は7200系も旧形車になる時代になった。廃車と聞くと一抹の寂しさを覚える。