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—— JR東日本の会員誌『大人の休日倶楽部』にて、
いわき絵のぼり吉田の制作活動をご紹介いただきました。
・JR東日本
『大人の休日倶楽部』
2026年4月号
制作の現場と絵のぼり
—— 工房での制作の様子や、手描きで描く絵のぼりについて、
丁寧に取材していただいています。
日々の制作の積み重ねを、このような形でご紹介いただけたことをありがたく思います。
・特集見開き|絵師・辰昇による絵のぼり3本
・本編2ページにわたり、
制作と古作研究が紹介されています
地域へと広がる絵のぼり文化
—— また誌面では、いわきから会津地方へとつながる地域の中で、
絵のぼりの文化や風習が紹介されており、
鳥追観音や大内宿などとあわせて巡る旅の形としても取り上げられています。
機会がありましたら、ぜひご覧ください。
🔗 —— このテーマに関連する記事です。
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📄 —— 絵師・辰昇プロフィール/絵のぼりとは
▼ ご質問をいただくことの多い内容を、まとめています。
▼ ご質問やご依頼など、お気軽にお寄せください。
下記フォームより、辰昇へお問い合わせいただけます。
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「いわき絵のぼり」の制作風景などを、YouTubeでもご紹介しています。
📸 —— SNSでも制作の様子を投稿しています。
—— 福島民報にて、端午の節句に向けた制作の様子をご紹介いただきました。
(2026年3月20日)
工房での手描きの工程や、いわき絵のぼりについて取り上げていただいています。
ちょうどこの時期は、節句に向けた制作が重なる時期でもあり、
日々一枚一枚、手描きで仕上げております。
季節の風景のひとつとして、ご覧いただければ幸いです。
🔗 —— このテーマに関連する記事です。
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「いわき絵のぼり」の制作風景などを、YouTubeでもご紹介しています。
📸 —— SNSでも制作の様子を投稿しています。
こどもの日は、
もともと「端午の節句」と呼ばれ、
鎧や兜、五月人形とともに、
「絵のぼり」も飾られてきました。
絵のぼりは、
子どもの成長や健やかさを願う気持ちを、
目に見えるかたちにした祝いの旗です。
なぜ初節句に立てられてきたのか——
工房の風景とともに、
その背景をたどってみたいと思います。
※本記事は2026年に内容を整理・加筆しました。
こどもの日・初節句を祝う —— 祝いの旗「いわき絵のぼり」
・晴天の青空に立てた、いわき絵のぼり
1|鎧・兜・五月人形・鯉のぼりのほかに
—— 端午の節句は、もともと
「厄を祓い、
子の健やかな成長を祈る日」として、
古くから営まれてきました。
その象徴として、鎧や兜、武者人形、
そして鯉のぼりが掲げられるようになったのは、
ご存じの通りです。
しかし実は、
江戸時代以前の武家社会では、
「鯉のぼり」ではなく、
旗指物に縁起物の絵を描いた
「絵のぼり(武者のぼり)」が、
主な外飾りでした。
2|古典が息づく、現代の節句飾り
—— 現在はあまり見られなくなったこの文化を、
福島県いわきでは、今も
絵師が手描きで継承しています。
いわき絵のぼりは、
子の成長を願う「祈りの絵画」であり、
祝いの気持ちを可視化する役割を担ってきました。
武家の「旗印」として始まり、
節句飾りとして民間に広がったこの文化は、
今も変わらぬ意味を宿し続けています。
・現代に生きる古典、いわき絵のぼり
お子様の初節句はもちろん、
・大きな五月飾りを置くスペースがない
・何を用意すればよいのか迷っている
・代々受け継げる、かたちのある贈り物を探している
そんな現代のご家族の想いに寄り添いながら、
節目を象徴する一枚として描いています。
実際に、
格式高く室内に飾れ、
省スペースに収納できる絵のぼりもあります。
住まいの大きさや暮らし方に合わせて選べる、
ひとつの選択肢です。
3|初節句という節目に
—— この節目を迎えられるご家族に、
お子さまの健やかな成長と、
幸多き人生を心よりお祈り申し上げます。
・波うさぎ|辰昇画
日々の制作が落ち着きましたら、
また改めて「いわき絵のぼり」の制作風景や、
新しい作品をご紹介できればと思います。
絵筆を通して、
次代へつなぐ日本の古典を、
これからも丁寧にお届けしてまいります。
▼ 「室内用いわき絵のぼり」を、飾り方とともにご紹介している記事です。
▼ 鍾馗(しょうき)様は、なぜ端午の節句の定番となったのか?その理由についての記事です。
🔗 —— このテーマに関連する記事です。
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初節句という節目に。
室内用手描き絵のぼりの実例と、その佇まい。
飾りの風景とともに、図像の意味をお伝えします。
※本記事は2026年に内容を整理・加筆しました。
伝統の技で祝う、現代の初節句
—— 初節句という節目に。
空間に一枚の絵が掛けられると、
祝いの場に静かな軸が生まれます。
いわき絵のぼりは、
室内に掛けて飾る手描きの武者のぼりです。
現代の住まいにも取り入れやすい形で、
節句の場を整えます。
実際の飾り例とともに、
その佇まいと意味を記します。
1|初節句のある風景
—— 実際の初節句のひと場面です。
2|屋外と室内、飾り方の違い
——いわき絵のぼりには、
庭に掲げる古式の幟旗と、
室内に飾る壁掛けのかたちがあります。
いずれも木綿布に一筆一筆描く、
肉筆の一点もの。
空に揚げるか、
空間に掛けるか。
かたちは異なっても、
祝意を可視化するという役割は同じです。
3|鍾馗——守りの象徴
—— 古くより、
疫病退散・厄除けの神として親しまれてきた鍾馗(しょうき)。
端午の節句に掲げる図として、
今もなお選ばれ続けています。
力強い眼差しと、
静かな威厳。
その姿は、
子の健やかな成長を願う祈りのかたちです。
初節句の1枚
由緒ある寺院の境内や、
鯉のぼりと並ぶ初節句の庭先にも掲げられています。
4|絵柄と願い
—— いわき絵のぼりでは、
鍾馗のほかにも、
武者、龍、馬、家紋入りなど、
ご家族の願いに応じた図を制作しています。
絵柄は単なる装飾ではなく、
家ごとの祈りを映すかたちです。
若駒図
—— 健やかな成長と、自らの道を駆ける力を。
桐鳳凰図
—— 高貴さと吉祥を願って。
親子虎図
—— 守りと慈しみを願って。
波兎図
—— 跳躍と繁栄を願って。
鯉の滝昇り
—— 大願成就を願って。
風神雷神図
—— 厄除けと守護を願って。
絡み獅子図
—— 守護と魔除けを願って。
5|ご感想
—— 実際に作品をご覧いただいた方からは、
「手描きならではの筆の迫力に圧倒されました。
親戚一同、皆で見入ってしまいました」
「写真では伝わらなかった迫力に、思わず声が出ました」
というお声も寄せられています。
画面では伝わりきらない筆の躍動。
実物をご覧いただいてこそ、感じていただけるものがあります。
6|新たな図への挑戦
—— 江戸期の絵のぼりに学びながら、
現代の空間にふさわしい図を探り、
新たな作品を描き続けています。
伝統を礎に、
これからの節目にふさわしい一枚を、
描き続けています。
▽ 新作制作中の動画
節句祝いに絵のぼりを飾る理由
1|絵のぼりの起源
—— 戦国の世に掲げられた旗指物。
その系譜の先に、節句の絵のぼりがあります。
戦国時代の旗指物
歌川貞秀の合戦図錦絵
絵のぼり吉田蔵
2|平和な江戸時代に広がる
—— 戦の旗は、平和の世にあって祝いの旗へ。
江戸時代には、
初節句に掲げられる絵のぼりとして広まりました。
北斎の浮世絵にも描かれたその風景は、
かつて日本各地で見られた光景です。
武家文化と町人文化が交わる中で、
絵師たちは節句のための図像を描きました。
祝うための絵。
願いを託す旗。
それが、絵のぼりです。
絵のぼりが飾られた景色
引用:五月の景(葛飾北斎/1805年)より
3|いわきに受け継がれた系譜
—— 福島県いわき市には、
江戸初期から節句幟の文化が続いてきました。
文献には、磐城平藩主・内藤義概が
節句に絵のぼりを掲げることを推奨した記録も残ります。
武家文化と絵師文化が交わる中で育まれた
いわきの絵のぼり。
その流れを受け継ぎ、
一枚一枚、手描きで制作しています。
初節句という節目に、
ご家族の願いを託す一枚として、
世代を越えて残る祝いの旗を描いています。
※本年の初節句制作も承っております。
お届け時期につきましては、お気軽にご相談ください。
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2024年に掲載いただいた専門誌の記事について、
記録としてあらためて整理します。
『signs』23 掲載について
2024年3月発行の、一般社団法人 日本屋外広告業団体連合会による
サインデザイン専門誌『signs』23(特集:サインシステム)にて、
いわき絵のぼり吉田の工房が紹介されています。
取材内容
・古今東西広告景観 探訪 15
西川潔|筑波大学名誉教授
西川潔氏による記事
「古今東西広告景観 探訪 15」の中で、
江戸期の絵のぼり文化の系譜や、
現代における制作の取り組みが取り上げられました。
工房にて制作の現場や資料をご覧いただきながら、
記事としてまとめられています。
取材時には、
海外の都市空間において
古典的意匠が現代的に洗練され、
活かされている事例についてもお話を伺いました。
江戸期の幟や幕などの伝統的な視覚文化が、
現代の空間の中でどのように生き得るのか、
あらためて考える機会となりました。
記録として
空間の中で機能するサインやデザインを扱う専門誌の中で、
絵のぼりという存在が取り上げられました。
本記事を、記録としてここに残します。
(誌面より一部掲載)
・サインデザイン専門誌『signs』23
2024年3月
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※本記事は2026年に内容を整理・加筆しました。
郡山と鯉文化
1|公共空間に掲げる旗印として
2|背景に描いた安積疏水
3|古典的骨格を取り入れた理由
4|共同制作という公共性
5|制作規模と空間
まとめ
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「北斎が、幟(のぼり)絵を描いていた。」
その事実は、
浮世絵史のなかで十分に語られてきたとは言えません。
本記事では、
ボストン美術館所蔵《朱鍾馗図幟》を通して、
用途物として制作された絵画に、
北斎がどれほど本格的な造形意識を注いでいたかを読み解きます。
※本記事は2026年に内容を整理・加筆しました。
北斎と節句幟 ── 朱鍾馗図幟に込められた画道の原点
・葛飾北斎『朱鍾馗図幟』部分
江戸の誘惑展 図録より引用
—— こんにちは、絵のぼり絵師の辰昇です。
今日紹介する、
葛飾北斎による節句幟「朱鍾馗図幟」は、
現在ボストン美術館が所蔵している
江戸後期の肉筆絵のぼりです。
その迫力と完成度の高さから、本品は
現存する江戸期の絵のぼり(絵幟)の中でも、
特筆すべき名品といえます。
・葛飾北斎『朱鍾馗図幟』
江戸の誘惑展 図録より引用
この作品は、2006年に
江戸東京博物館で開催された
「江戸の誘惑」展において、
目玉展示のひとつとして紹介されました。
会場入口の正面に据えられており、
当時(2006年)、私もその場で
北斎による実物の息遣いに圧倒され、
しばらく立ち尽くしてしまいました。
赤一色で描かれた鍾馗(しょうき)図は、
魔除け・疫病除けの象徴とされ、
本作は、端午の節句の時期に
大きな屋敷の庭に掲げられたと思われます。
1|若き日の北斎と「鍾馗」の節句幟
—— 実は北斎にとって五月節句の絵のぼりは、
画業の転機につながる重要な題材でもありました。
その背景には、
次のような逸話が伝えられています。
飯島虚心の著作『葛飾北斎伝』によれば、
北斎がまだ名もなき若者だった頃、
貧しさのなかで描いた
鍾馗の五月節句幟が高く評価され、
そこから心機一転、再び画道へと邁進する
きっかけとなったとされています。
つまり、節句幟の鍾馗は、
彼にとって単なる画題ではなく、
画業の転機に関わる重要な主題でもあったと考えられます。
2|実用品の中に宿る芸術性
—— 節句幟は本来、
子どもの成長を願う家庭の祈りの造形でした。
北斎の手によって描かれたこの幟は、
実用品でありながら、
絵画としての完成度を備えています。
この幟は、当時の裕福な武家や町人が、
北斎という腕利きの絵師に依頼して
特別に制作させた
“ハレの日の一点物”だったと考えられます。
3|提灯や袱紗にも描画した北斎
・葛飾北斎【 龍虎図提灯 】
江戸の誘惑展 図録より引用
—— また「江戸の誘惑展」では、
北斎作品として幟のほかにも、
祭礼用の提灯に描かれた龍虎図や、
袱紗への獅子図など、数多くが展示されていました。
こうした作例からも、
北斎が実用品や贈答品としての絵画に
積極的に取り組んでいたことがうかがえます。
4|海外で保管されていた日本文化
・江戸の誘惑展 図録| 2006年 江戸東京博物館
—— この幟が現在、
アメリカ・ボストン美術館に所蔵されているのは、
日本で実用品とされていた造形が、
海外では美術として評価された一例でもあります。
日本では散逸してしまうことの多かった
絵のぼりや提灯などが、
海外でその文化的価値を見抜かれ、
丁寧に保存されたことによって、
今日まで良好な形で伝えられているのです。
まとめ
- 作品:朱鍾馗図幟(肉筆)
- 作者:葛飾北斎
- 所蔵:ボストン美術館(MFA)
- 寸法:236×94cm
- 概要:江戸後期において、実用品としての幟を著名絵師が手掛けていた重要な作例
—— 北斎にとって鍾馗は、
若き日の試練を乗り越えた画業の出発点であり、
生涯を通して向き合った画題。
その数多くの作品の中に、
この圧巻の「朱鍾馗図幟」があります。
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一見すると、
天岩戸神話を描いた正統的な神話画のように見えるこの絵のぼり。
しかし、よく見ると、
神楽の場で演じられる登場人物のように、
神々が生き生きとしています。
本作は、
厳粛な信仰の神話というよりは、
祝祭芸能として親しまれてきた神話世界を描いた一例と言えるでしょう。
※本記事は2026年に内容を整理・加筆しました。
須藤晏斎『岩戸神楽乃起顕図幟』
《2026年更新》
—— 私は、絵のぼり(節句幟)の絵師として、
江戸時代の絵のぼりを収集・研究しながら制作を行っています。
今回は、
幕末から明治にかけて栃木県佐野で活動した
絵師・須藤晏斎による
『岩戸神楽乃起顕図幟』をご紹介します。
(いわとかぐらのきけんずのぼり)
天照大神の「岩戸隠れ」を題材に、
浮世絵や絵馬文化とも連なるかたちで描かれた、
祭礼絵画の一例です。
1|幕末の祭礼文化が生んだ一枚の絵のぼり
「須藤晏斎(あんさい)」という名を知る方は、
それほど多くないのかもしれません。
しかし本作には、
幕末期の民間信仰や家庭祭礼、町絵師文化が交差していた
当時の視覚文化が凝縮されています。
それは単なる郷土資料ではなく、
幕末という時代の空気や人々の感覚を映し出した、
一つの重要な資料だと言えるでしょう。
2|作者・須藤晏斎について
—— 須藤晏斎は、
幕末から明治にかけて栃木県佐野を拠点に活動した町絵師です。
農家に生まれ、
御用絵師や文人画家とは異なる立場から、
祭礼や祈願の場で用いられる
絵のぼりや絵馬を手がけました。
その作風には北斎や国芳を思わせる要素が見られ、
神々や人物は、祝祭の場を盛り上げる
躍動的な存在として描かれています。
本作には、制作上の粗さも見られますが、
それは実用品としての性質や、
限られた納期のなかで制作された事情によるものと
考えられるでしょう。
一方で、他の絵のぼり作品には、
構成の確かさや豊かな表現力が見られ、
須藤晏斎が確かな画力を備えた絵師であったことがうかがえます。
須藤晏斎は、
祭礼や祈願といった具体的な場に応じて描くことを生業とした
民間の町絵師でした。
その仕事ぶりは、
幕末という時代のなかで育まれた
町絵師文化の一端を、今日に伝えています。
- 作品名:岩戸神楽乃起顕図幟
- 絵師:須藤晏斎
- 制作年代:幕末
- 寸法:縦 約440cm × 横 約43cm
- 素材:木綿地・墨・顔料
- 技法:肉筆画
- 所蔵:いわき絵のぼり吉田
3|父の晏斎 と 子の鞆音──画業の対比
—— 須藤晏斎の画業を考えるうえで、
その子・小堀鞆音(こぼりともと)の存在は欠かせません。
父と子は、ともに絵を描きながらも、
歩んだ時代は大きく異なっていました。
鞆音は明治期に活躍した歴史画家で、
史料や古画を参照しつつ時代考証を行い、
歴史画の表現を築いていった人物です。
帝室技芸員に選出されるなど、
近代国家の美術を担う画家として評価されています。
一方、父・晏斎は、
祭礼や祈願の場に応じて描く町絵師として活動し、
庶民の祈りや願いを可視化する
実用的な絵画を手がけていました。
それは鑑賞のためというより、
祭礼の場で掲げられ、意味を持つものでした。
これに対し、子・鞆音の歴史画は、
史料や考証を踏まえ、
国家や時代の物語を視覚化する表現です。
そこには、
江戸から明治へと移る時代のなかで、
絵画の役割が変化していった様子が表れています。
父と子の作品は、
その一つの「表現の分岐点」を
映し出しているようにも見えます。
4|幕末の社会不安と再生イメージ
—— 幕末の日本は、
国際情勢の変化や幕府体制の揺らぎ、
飢饉や疫病が重なり、
社会全体が大きな転換期にありました。
先行きの見えにくい時代のなかで、
人々は暮らしや家族の行く先に、
確かな「兆し」を求めていたと考えられます。
そのなかで「天の岩戸」の神話は、
「再生」や「希望」を象徴する物語として
受け止められていきました。
本作は、
そうした時代感覚のもとで生まれた、
祝意と祈りを重ね合わせた絵画の一例です。
5|神楽の始まりの神話図像として
—— 本作は、「天の岩戸開き」を、
神楽の始まりとして捉える理解のもとに描かれた作品です。
人物の配置や動きには、
演劇的なリズムが感じられ、
神話を厳粛に描くというよりも、
祭りの起源としての神話が
視覚的に表現されているように感じられます。
また構成から見ると、
本作は本来、三本組として制作された可能性が高いものです。
幟には三本組や五本組といった形式があり、
実際に本作の二枚には「二」「三」と、
掲げる位置を示す番号が筆によって記されています。
幟に描かれた神々(抜粋)
とくに注目すべきは、
庶民信仰で親しまれた神々の姿です。
1|天照大神
—— 現代の私たちは、
「天照大神=日本神話の最高神」という認識を前提に、
神様を描くなら神聖で美しく、
荘厳であるべきだ、という
無意識のイメージを持ちがちです。
そのため、
須藤晏斎の絵のぼりに描かれた天照大神の、
あまりに素朴で簡略化された姿を目にすると、
多くの人が
「えっ、これって下手なのでは?」
そんな印象を持つ人も、少なくないかもしれません。
・天照大神(アマテラスオオミカミ)
しかし私自身は、
晏斎の他の作品から、
彼が確かな筆力と構成力を備えた絵師であることを
確信しています。
そのうえで同時代の絵馬作品を見比べると、
天照大神が簡素で記号的に描かれているのは、
むしろ当時としては一般的な図像表現であったことに
気づかされます。
つまりこれは、
個々の画家の力量によるものではなく、
祝祭芸能として神々を扱っていた
当時の感覚そのものの表れであり、
明確な「時代性」として捉えるべきものなのです。
・文政13年(1830)の絵馬に描かれた天照大神。
簡素に描かれており、
晏斎作品と共通する時代性がうかがえます。
このような天照大神の簡略化された描写は、
須藤晏斎の絵のぼりに限らず、
同時代の絵馬作品にも共通して見られます。
幕末から明治初期の「天の岩戸」図像では、
天照大神は威厳ある最高神としてというより、
岩戸神楽の場面構成に必要な
記号的な登場人物として描かれることが一般的でした。
神々は祝祭の場で「演じられる存在」として現れ、
その感覚が造形にも反映されています。
こうした表現は、
明治以降の神聖性を重視した図像とは
異なる文脈に属するものです。
◆◇◆
2|天鈿女命
—— 天鈿女命(アメノウズメノミコト)は、
神楽を舞う芸能の神です。
本作に描かれた姿も、
静かに鎮座する神というより、
まるで舞台に立つ演者のような佇まいを見せています。
◆◇◆
3|猿田彦命
—— 猿田彦命(サルタヒコノミコト)は、
天鈿女命と対をなす存在として描かれ、
場の流れを導く役割を担っています。
神々は物語の祝祭空間を構成する存在として配置されています。
・左:天鈿女命(アメノウズメノミコト)
・右:猿田彦命(サルタヒコノミコト)
◆◇◆
4|天手力男命
—— 天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)は、
岩戸を開ける役割を担う神として、
力感のある構図で描かれています。
画面に大きな動きを与え、
物語のクライマックスを象徴する存在として
配置されています。
・天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)
須藤晏斎の雅号印
画面下部には、
須藤晏斎の雅号印が確認できます。
・晏斎の雅号印
庶民信仰が宿る神話像
—— 天の岩戸神話における
猿田彦命の登場は、
『古事記』などの原典には見られません。
しかし江戸時代の浮世絵や絵馬においては、
ごく自然な存在として描かれてきました。
絵師たちが拠り所としたのは、
“正典”としての整合性ではなく、
当時の人々が神楽などを通して親しんでいた
神々の姿だったのでしょう。
それは、文字として整理された神話ではなく、
祭礼や芸能の場で共有されてきた
──いわば「体感としての神話」だったと考えられます。
同時代の絵馬作品との共振
—— この画題は、幕末から明治初期にかけて、
関東周辺の神社において、
絵馬の画題としても盛んに描かれていました。
以下に紹介する三例は、
1999年に開催された展覧会
『浮世絵師たちの神仏』(松濤美術館)の
図録に所収された作品です。
いずれの作例においても、
天照大神は簡略化され、記号的に表現されており、
須藤晏斎の絵のぼりと通底する
時代的な感覚を見て取ることができます。
※本記事は非営利・研究目的に基づくもので、
図版は出典を明記のうえ適切に引用しています。
天の岩戸図絵馬
所蔵:真名天照皇大神社(千葉県茂原市)
制作年:文政13年(1830)
天の岩戸図絵馬
所蔵:八幡木八幡神社(埼玉県川口市)
制作年:天保15年(1844)
天の岩戸図絵馬
所蔵:国勝神社(千葉県袖ヶ浦市)
制作年:文久2年(1862)
晏斎の幟とこれらの絵馬には、
人物構成や描法に共通する点が認められ、
同時代の造形感覚を共有していた可能性がうかがえます。
浮世絵・演劇との連動
—— 浮世絵においても、本作と同様の画題が確認されており、
「岩戸神楽乃起顕」と題した浮世絵が
見られるようになります。
その一例として、
三代豊国(歌川国貞) による
『岩戸神楽乃起顕』
(弘化元年頃/1844年頃)が挙げられます。
※画像は歌川国貞(三代豊国)による浮世絵
『岩戸神楽之起顕』(1844年頃)。
Wikimedia Commonsより
パブリックドメインとして引用。
これは、
当時の庶民が神話を神楽などを通して
親しんでいた状況をうかがわせるものであり、
「岩戸神楽」が祝祭的な芸能として
浸透していたことが推測されます。
「岩戸神楽乃起顕図幟」という名称
—— 須藤晏斎 によるこの絵のぼりを
『岩戸神楽乃起顕図幟』と呼ぶことは、
妥当であると考えられます。
本作は、神話としての
「天岩戸」を描いたものというより、
神楽の起源として捉えられた天岩戸を描いた
浮世絵的表現を継承する作品だからです。
そのため、本稿では、
先行する浮世絵作品の画題にならい、
この絵のぼりを
『岩戸神楽乃起顕図幟』と呼ぶことにしました。
江戸末期の浮世絵や絵馬に見られる構成、
演劇的な場面性、
神話・芸能・信仰が交差する描法──
これらはいずれも
江戸祝祭文化の文脈に位置づけられるものであり、
明治以降に制度化された神話表現とは、
明確に異なる軸に立っています。
幟を注文した人を想像してみる
—— この絵のぼりを、いったいどのような人が掲げていたのか。
想像を膨らませてみるのも、楽しいかもしれません。
たとえば、
関東地方の旧家における初節句の場で、
家族や親族が集まるなか、
節句のしつらえとして掲げられていた光景。
「光を取り戻す」天照大神の神話に、
子どもの健やかな成長や、
家の行く先への願いを重ねながら、
少し誇らしい気持ちで用意された
節句幟だったのではないか──
そんな想像も自然に浮かびます。
現代における文化の集積構造
—— ここまで、この幟を通して
幕末の世相や人々の感覚を読み解いてきました。
しかし、この幟との出会いは、
思いがけず現代社会のあり方についても
考えさせられる出来事がありました。
この作品をネットオークションで入手した際、
発送元が、私の居住地からなんとわずか 1〜2km圏内だったのです。
物理的な距離でいえば、
すぐ近くに存在していたにもかかわらず、
情報がなければ、私はこの幟と出会うことはありませんでした。
この経験は、
「文化がどのように集まり、再び可視化されるのか」という
現代社会の構造を象徴しているように思えます。
実際、ここ十数年のあいだに私の手元へ集まった
江戸時代の絵のぼりや祭礼絵画の多くは、
インターネットを通じて、全国各地から集まったものです。
本来は各地に点在し、
それぞれの土地で役割を終えていたはずの資料が、
価値を読み取る視点のもとに再び結びつき、
ひとつの文脈として立ち上がっていく。
それは、現代社会が生み出した
「文化の集積構造」を、実感をもって示す出来事だったといえるでしょう。
まとめにかえて
—— この絵のぼりは、祈りや祝福、家族の願い、
そして祝祭芸能の躍動といった、
庶民の感覚に根ざした神話世界を
そのまま画面に留めた民俗資料です。
生活のなかで共有されてきた信仰と、
やがて制度や理念として整理されていく神話。
須藤晏斎の絵には、祝祭や暮らしのなかで生き続けていた神話の姿が描かれています。
こうした文化の痕跡に目を向けることは、
過去を理解するだけでなく、
私たち自身がどのように
意味や物語と向き合ってきたのかを
あらためて考える手がかりにもなるのではないでしょうか。
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いわき市泉町に伝わる伝統芸能
『滝尻棒ささら』のために制作した、
図像を描いた「旗印」制作の記録です。
演武の魅力を
“ひと目で伝わる象徴”にするための工夫をまとめました。
演武の意味や動きを踏まえ、
図像として成立させるための考え方を整理しました。
※本記事は2026年に内容を整理・加筆しました。
江戸期、棒術が滝尻の地に伝わる
福島県いわき市泉町・滝尻地区に伝わる、
伝統芸能『滝尻棒ささら』。
この芸能は、江戸時代中期、
剣聖・塚原卜伝の高弟とされる吉田喜三郎が
泉の滝尻村に移り住み、
やがて農民に伝授された護身の棒術を起源としています。
現在では、
五穀豊穣を祈る三匹獅子舞とあわせて披露される民俗芸能として、
泉町滝尻地区に継承されています。
滝尻棒ささら図 祭礼絵のぼり
私が描いたのが、
『滝尻棒ささら図 祭礼絵のぼり』です。
地域の願いや、演者たちの真剣な所作を
一枚に収めることを意識し、
江戸時代からの古典的な技法を用いて、
伝統の文脈を踏まえた表現として描きました。
1|作品概要
- 作品:滝尻棒ささら図 祭礼絵のぼり
- 制作:辰昇(しんしょう)
- 技法:木綿に顔料による肉筆画
- 寸法:約180×約90cm
2|伝統芸能のための「思いをかたちにする旗印」
—— 一般に地域の伝統芸能や祭礼は、
長年にわたり真摯に継承されてきた一方で、
その奥深さや意味の共有が大切になります。
そうしたとき、
若い世代や初めて触れる人々にとって、
象徴としての「絵」が、
ひとつの手がかりとなることもあるのかもしれません。
滝尻棒ささらもまた、
象徴となる図像を通じて、
「祭礼の魅力や意味をより多くの人に伝えていきたい」
というお声をいただきました。
その声を受け止め、
祭礼の場にふさわしい在り方を考えながら、
旗印としての表現を目指しました。
3|図像構成 ── 二人の対峙が生む物語性
—— 構図は、二人の人物がにらみ合い、
棒と刀を交差させる、その一瞬を描いています。
描いているのは、
勝敗を決する「戦い」ではなく、
技を継承するための「演武」の緊張。
互いの呼吸や気配がぶつかる
張り詰めた間合いを、図像に表しました。
右側の大きな人物は、
棒から左足にかけて円弧を描く構成とし、
上から襲い掛かるような動勢に。
一方、左側の人物は、
左足から刀にかけてを直線的に配置し、
下から相手に対抗する構えとしました。
また、相手の棒と顔のあいだに十分な余白を設けることで、
「余裕を保った状態」に。
このように、
円弧と直線という異なる力の流れをつくることで、
両者の力が画面内で拮抗する事を意識しました。
二人の人物は、
突き合う武器(棒と刀)、そして視線が
一点で交差するよう描きました。
それによって、
緊張感が集中する「見せ場」に。
また、武者絵の様式を踏襲し、
肌の色や体格、衣の運びを明確に描き分けることで、
二人の人物それぞれの個性を際立たせています。
これは、
隣り合う人物を明確に描き分けることで
それぞれの存在感を際立たせる、
伝統的な武者絵の設計思想に基づくものです。
なお、人物の体躯に差をつけた構成は、
見た目の強弱を作るためだけのものではありません。
単純に大小で描いてしまうと、
どうしても一方が有利に見えてしまいます。
今回は、
小さい人物にはわずかな余裕を、
大きい人物には切迫した距離感を与えることで、
どちらが有利とも言い切れない、
拮抗した状態を意識しました。
実際の滝尻棒ささらの演武も、
技を応酬しながら、
観る側に次の展開を考えさせるような
緊張感を保って進められます。
演者が伝統芸能という型を演じている以上、
死闘を繰り広げているような印象を与えてしまえば、
その時点でリアリティは損なわれてしまいます。
現実の所作や身体感覚から離れた表現は、
違和感を生みやすく、
長く使われる象徴としては、
次第に力を失っていきます。
本作では、
この点を大切な前提として意識しました。
4|筆致・技法について ── 江戸の様式を現代に
本作は、木綿布(約180×90cm)に
顔料を用いて肉筆で描いた一点ものです。
「滝尻棒ささら」が江戸期から伝わる芸能であることを踏まえ、
その時間の積層に応える象徴となるよう、
古典的な画風を基調に、
旗印として成立する構成を意識して制作しました。
背景に配した黄色い満月は、
中秋の名月の頃に行われる祭礼の季節感と、
残暑のなかで披露される演武の熱気を、
象徴的に示すものです。
画面に生まれる円のまとまりが、
旗印としての視認性と安定感を支えています。
5|文字の揮毫について
お預かりした文字は、
その筆致や呼吸を損なわぬよう、
一字一字、書き写しています。
絵と書が一体となることで、
旗印としての気配が、静かに立ち上がります。
6|祭りの日程について
—— 奉納演武は、毎年9月第2日曜日、
いわき市泉町・諏訪八幡神社様にて行われます。
▼ 滝尻棒ささら本祭の様子はこちら
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