いわき市泉町 諏訪八幡神社様の「阿阿の狛犬(唐獅子一対)」

「阿阿の狛犬」─いわき市泉町の諏訪八幡神社
左右ともに口を開けた、全国的にも珍しい「阿阿(ああ)」の狛犬が、いわき市泉町の諏訪八幡神社様に奉納されています。
一般的な狛犬は、片方が口を開けた「阿形」、もう片方が口を閉じた「吽形」の組み合わせ、いわゆる「阿吽(あうん)」であることが多いですが、こちらは左右とも口を開けた「阿阿」の形をしています。このような組み合わせは珍しく、他には清水寺の狛犬などが知られています。
この狛犬は、大正時代に奉納されたものです。
何故いわき市泉町の神社に「阿阿の狛犬」がいるのか?
その答えを探る中で、泉町の歴史や、地域の人々の信仰のあり方が見えてきました。
📍 福島県いわき市泉町6丁目10−17
狛犬の絵を奉納|いわき絵のぼり絵師・辰昇
令和5年、私(辰昇)は、この「阿阿の狛犬」の姿をもとに、御朱印用の絵を諏訪八幡神社様に奉納しました。
私はこちらの氏子です。
この珍しい狛犬がなぜ左右とも口を開けているのかを知りたくて、改めて諏訪八幡神社様や泉町の歴史を学びました。
この記事では、「阿阿の狛犬」が奉納された背景について、私なりの考察をお伝えします。

狛犬御朱印(いわき絵のぼり絵師・辰昇画)

令和7年 春季例大祭 限定御朱印

原画
狛犬御朱印について、動画でも紹介(34秒)
阿阿の狛犬の特徴と意味
狛犬の基本的な配置とは?
一般的な狛犬の一対はこうです:
- 阿形(右):口を開けた獅子
- 吽形(左):口を閉じた狛犬
ところが、諏訪八幡神社様の狛犬は「左右とも口を開けている」のです。
その理由としては、神社に祀られる二柱の神や、地域の歴史が深く関係しているように思われます。
二柱の神を対等に祀る信仰
泉町では、古くから諏訪(健御名方命)と八幡(誉田別命)が対等に祀られてきました。
この背景には、江戸時代の泉藩が両神を篤く信仰し、その姿勢が地域に受け継がれてきたという経緯があります。
明治時代に神社が合祀された後も
- 春は諏訪神社、秋は八幡神社の例大祭を個別に実施
- 社号額や拝殿内の幟も別々に設置
- お守り等にも「諏訪神社」「八幡神社」と併記
このような在り方は、二柱の神を対等に並び立てるという強い意識の表れであり、それが「阿阿の狛犬」として象徴的に表現された可能性があります。

お守り


阿阿の狛犬(唐獅子一対)
江戸時代・泉藩の歴史と信仰の尊重
江戸初期に磐城平藩から分かれた泉藩は、まだ若い藩でした。
そのため、藩の安泰と武運を願って諏訪・八幡両神を深く信仰し、現在の境内に社殿を二つ並び建て、それぞれを祀る形式を整えました。
この祀り方は、以後の地域信仰にも大きな影響を与えていきました。

見つめ合う構図の狛犬
泉町の地理と古代からの歴史的役割
泉町周辺は、古代において「磐城郡」の南端に位置し、「蒲津郷」の港としてふたつの河川(釜戸川・藤原川)が流れ込む陸海交通の要衝でした。
このような立地条件から、泉町は外部と接する“文化の玄関口”のような役割を担い、早くからさまざまな文化や信仰を受け入れてきました。

「判官御所」「滝尻城跡」の碑
考古学的調査でも、縄文・弥生・平安・近世まで連続する遺跡・遺構が多数確認されています。
四世紀の豪族による神殿をともなった居館跡や、多数の住居跡からは、この土地が長きにわたって人々の営みの場だったことがうかがえます。
さまざまな文化が行き交う交通の要衝だった事が、諏訪信仰と八幡信仰という異なる神々が並立する信仰の基盤を形作ったのでしょう。

「八幡神社」「諏訪神社」それぞれの社号額
大正時代の氏子たちの信仰の表現
二つだった社殿は、明治時代になると「諏訪八幡神社」として一つの社殿に合祀されました。
これは明治政府による新方針の影響です。
しかし、大正時代の氏子たちにとっては、それ以前の「社殿が二つ並び建っていた様子」の記憶が強く残っていたはずです。
その信仰の表現として、「阿阿の狛犬」が奉納されたのではないでしょうか。

境内に残る「諏訪神社跡宮」
明治初期の合祀以前、ここには「諏訪大明神」の社殿がありました。
境内に残る「唐獅子一対」の石碑


「唐獅子壹対(唐獅子一対)」と刻まれた石碑
石碑には、次のように記されています:
「大正4年(1915年)、天皇御大典記念として、氏子一同の寄進により唐獅子一対を新造した。」
この記録からも、「阿阿の狛犬」は氏子たちが意図して奉納したことが読み取れます。
(※唐獅子=口を開けた阿形の狛犬)
まとめ
「阿阿の狛犬」は、泉町の歴史・信仰・文化の象徴であるように感じられます。
- 古代から人々が行き交った地理的背景
- 江戸時代の泉藩による、諏訪と八幡ふたつ並び建っていた社殿
- 大正時代の氏子たちの記憶と信仰の表現
こうした歴史の積み重ねが、諏訪八幡神社様の「阿阿の狛犬」に宿っているのではないでしょうか。
神社にも正式な理由までは伝わっておらず、神職様は「色々と思いを巡らせて狛犬に親しんでほしい」と仰っています。
ぜひ現地で狛犬をじっくり眺め、この地の歴史と信仰に触れてみてください。
狛犬巡りの魅力(福島県南部)
私自身も狛犬が好きで、福島県の狛犬巡りを楽しんでいます。ここでは、訪れた神社と狛犬をいくつかご紹介します。
八槻都々古別神社(棚倉町)
📍福島県東白川郡棚倉町八槻大宮224
狛犬は天保11年(1840年)に制作されたもの。信州高遠藩の旅石工「小松利平」氏が移り住み、制作したと推測されています。


村社鹿島神社(白河市)
📍福島県白河市東下野出島大森
こちらでは、明治期の石工「小松寅吉」氏の傑作 飛翔狛犬を拝見できます。小松利平氏の弟子です。


一色鐘鋳神社(棚倉町)
📍福島県東白川郡棚倉町一色カナイ神181
ここには、苔むした「小林和平」氏の飛翔狛犬がおり、高倉式の御仮屋とともに印象的です。石都々古和気神社・古殿八幡神社の狛犬とともに、氏の代表作とされています。
小松寅吉氏の弟子であり、小松利平氏の孫弟子にあたります。



この狛犬は本の表紙にもなっています。
諏訪八幡神社(いわき市)
📍 福島県いわき市泉町6丁目10−17
これまで諏訪八幡神社様では、「狛犬御朱印」がたびたび頒布されてきました。
今後とも、ぜひご参拝ください。


狛犬巡りを楽しもう!
狛犬は、神社の歴史や地域の文化を物語る存在でもあります。それぞれの神社の背景にある物語を感じ取ることも、狛犬巡りの醍醐味です。
ぜひ皆様も、それぞれ独自の魅力を持った狛犬に触れてみてください。
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