一見すると、
天岩戸神話を描いた正統的な神話画のように見えるこの絵のぼり。
しかし、よく見ると、
神楽の場で演じられる登場人物のように、
神々が生き生きとしています。
本作は、
厳粛な信仰の神話というよりは、
祝祭芸能として親しまれてきた神話世界を描いた一例と言えるでしょう。
※本記事は2026年に内容を整理・加筆しました。
須藤晏斎『岩戸神楽乃起顕図幟』

《2026年更新》
—— 私は、絵のぼり(節句幟)の絵師として、
江戸時代の絵のぼりを収集・研究しながら制作を行っています。
今回は、
幕末から明治にかけて栃木県佐野で活動した
絵師・須藤晏斎による
『岩戸神楽乃起顕図幟』をご紹介します。
(いわとかぐらのきけんずのぼり)
天照大神の「岩戸隠れ」を題材に、
浮世絵や絵馬文化とも連なるかたちで描かれた、
祭礼絵画の一例です。
1|幕末の祭礼文化が生んだ一枚の絵のぼり
「須藤晏斎(あんさい)」という名を知る方は、
それほど多くないのかもしれません。
しかし本作には、
幕末期の民間信仰や家庭祭礼、町絵師文化が交差していた
当時の視覚文化が凝縮されています。
それは単なる郷土資料ではなく、
幕末という時代の空気や人々の感覚を映し出した、
一つの重要な資料だと言えるでしょう。
2|作者・須藤晏斎について
—— 須藤晏斎は、
幕末から明治にかけて栃木県佐野を拠点に活動した町絵師です。
農家に生まれ、
御用絵師や文人画家とは異なる立場から、
祭礼や祈願の場で用いられる
絵のぼりや絵馬を手がけました。
その作風には北斎や国芳を思わせる要素が見られ、
神々や人物は、祝祭の場を盛り上げる
躍動的な存在として描かれています。

本作には、制作上の粗さも見られますが、
それは実用品としての性質や、
限られた納期のなかで制作された事情によるものと
考えられるでしょう。
一方で、他の絵のぼり作品には、
構成の確かさや豊かな表現力が見られ、
須藤晏斎が確かな画力を備えた絵師であったことがうかがえます。
須藤晏斎は、
祭礼や祈願といった具体的な場に応じて描くことを生業とした
民間の町絵師でした。
その仕事ぶりは、
幕末という時代のなかで育まれた
町絵師文化の一端を、今日に伝えています。
- 作品名:岩戸神楽乃起顕図幟
- 絵師:須藤晏斎
- 制作年代:幕末
- 寸法:縦 約440cm × 横 約43cm
- 素材:木綿地・墨・顔料
- 技法:肉筆画
- 所蔵:いわき絵のぼり吉田
3|父の晏斎 と 子の鞆音──画業の対比
—— 須藤晏斎の画業を考えるうえで、
その子・小堀鞆音(こぼりともと)の存在は欠かせません。
父と子は、ともに絵を描きながらも、
歩んだ時代は大きく異なっていました。
鞆音は明治期に活躍した歴史画家で、
史料や古画を参照しつつ時代考証を行い、
歴史画の表現を築いていった人物です。
帝室技芸員に選出されるなど、
近代国家の美術を担う画家として評価されています。

一方、父・晏斎は、
祭礼や祈願の場に応じて描く町絵師として活動し、
庶民の祈りや願いを可視化する
実用的な絵画を手がけていました。
それは鑑賞のためというより、
祭礼の場で掲げられ、意味を持つものでした。
これに対し、子・鞆音の歴史画は、
史料や考証を踏まえ、
国家や時代の物語を視覚化する表現です。
そこには、
江戸から明治へと移る時代のなかで、
絵画の役割が変化していった様子が表れています。
父と子の作品は、
その一つの「表現の分岐点」を
映し出しているようにも見えます。
4|幕末の社会不安と再生イメージ
—— 幕末の日本は、
国際情勢の変化や幕府体制の揺らぎ、
飢饉や疫病が重なり、
社会全体が大きな転換期にありました。
先行きの見えにくい時代のなかで、
人々は暮らしや家族の行く先に、
確かな「兆し」を求めていたと考えられます。
そのなかで「天の岩戸」の神話は、
「再生」や「希望」を象徴する物語として
受け止められていきました。
本作は、
そうした時代感覚のもとで生まれた、
祝意と祈りを重ね合わせた絵画の一例です。
5|神楽の始まりの神話図像として
—— 本作は、「天の岩戸開き」を、
神楽の始まりとして捉える理解のもとに描かれた作品です。
人物の配置や動きには、
演劇的なリズムが感じられ、
神話を厳粛に描くというよりも、
祭りの起源としての神話が
視覚的に表現されているように感じられます。
また構成から見ると、
本作は本来、三本組として制作された可能性が高いものです。
幟には三本組や五本組といった形式があり、
実際に本作の二枚には「二」「三」と、
掲げる位置を示す番号が筆によって記されています。
幟に描かれた神々(抜粋)
とくに注目すべきは、
庶民信仰で親しまれた神々の姿です。
1|天照大神
—— 現代の私たちは、
「天照大神=日本神話の最高神」という認識を前提に、
神様を描くなら神聖で美しく、
荘厳であるべきだ、という
無意識のイメージを持ちがちです。
そのため、
須藤晏斎の絵のぼりに描かれた天照大神の、
あまりに素朴で簡略化された姿を目にすると、
多くの人が
「えっ、これって下手なのでは?」
そんな印象を持つ人も、少なくないかもしれません。

・天照大神(アマテラスオオミカミ)
しかし私自身は、
晏斎の他の作品から、
彼が確かな筆力と構成力を備えた絵師であることを
確信しています。
そのうえで同時代の絵馬作品を見比べると、
天照大神が簡素で記号的に描かれているのは、
むしろ当時としては一般的な図像表現であったことに
気づかされます。
つまりこれは、
個々の画家の力量によるものではなく、
祝祭芸能として神々を扱っていた
当時の感覚そのものの表れであり、
明確な「時代性」として捉えるべきものなのです。

・文政13年(1830)の絵馬に描かれた天照大神。
簡素に描かれており、
晏斎作品と共通する時代性がうかがえます。
このような天照大神の簡略化された描写は、
須藤晏斎の絵のぼりに限らず、
同時代の絵馬作品にも共通して見られます。
幕末から明治初期の「天の岩戸」図像では、
天照大神は威厳ある最高神としてというより、
岩戸神楽の場面構成に必要な
記号的な登場人物として描かれることが一般的でした。
神々は祝祭の場で「演じられる存在」として現れ、
その感覚が造形にも反映されています。
こうした表現は、
明治以降の神聖性を重視した図像とは
異なる文脈に属するものです。
◆◇◆
2|天鈿女命
—— 天鈿女命(アメノウズメノミコト)は、
神楽を舞う芸能の神です。
本作に描かれた姿も、
静かに鎮座する神というより、
まるで舞台に立つ演者のような佇まいを見せています。
◆◇◆
3|猿田彦命
—— 猿田彦命(サルタヒコノミコト)は、
天鈿女命と対をなす存在として描かれ、
場の流れを導く役割を担っています。
神々は物語の祝祭空間を構成する存在として配置されています。

・左:天鈿女命(アメノウズメノミコト)
・右:猿田彦命(サルタヒコノミコト)
◆◇◆
4|天手力男命
—— 天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)は、
岩戸を開ける役割を担う神として、
力感のある構図で描かれています。
画面に大きな動きを与え、
物語のクライマックスを象徴する存在として
配置されています。

・天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)
須藤晏斎の雅号印
画面下部には、
須藤晏斎の雅号印が確認できます。

・晏斎の雅号印
庶民信仰が宿る神話像
—— 天の岩戸神話における
猿田彦命の登場は、
『古事記』などの原典には見られません。
しかし江戸時代の浮世絵や絵馬においては、
ごく自然な存在として描かれてきました。
絵師たちが拠り所としたのは、
“正典”としての整合性ではなく、
当時の人々が神楽などを通して親しんでいた
神々の姿だったのでしょう。
それは、文字として整理された神話ではなく、
祭礼や芸能の場で共有されてきた
──いわば「体感としての神話」だったと考えられます。
同時代の絵馬作品との共振
—— この画題は、幕末から明治初期にかけて、
関東周辺の神社において、
絵馬の画題としても盛んに描かれていました。
以下に紹介する三例は、
1999年に開催された展覧会
『浮世絵師たちの神仏』(松濤美術館)の
図録に所収された作品です。
いずれの作例においても、
天照大神は簡略化され、記号的に表現されており、
須藤晏斎の絵のぼりと通底する
時代的な感覚を見て取ることができます。
※本記事は非営利・研究目的に基づくもので、
図版は出典を明記のうえ適切に引用しています。
天の岩戸図絵馬
所蔵:真名天照皇大神社(千葉県茂原市)
制作年:文政13年(1830)

天の岩戸図絵馬
所蔵:八幡木八幡神社(埼玉県川口市)
制作年:天保15年(1844)

天の岩戸図絵馬
所蔵:国勝神社(千葉県袖ヶ浦市)
制作年:文久2年(1862)
晏斎の幟とこれらの絵馬には、
人物構成や描法に共通する点が認められ、
同時代の造形感覚を共有していた可能性がうかがえます。
・浮世絵師たちの神仏展 |松涛美術館(1999年)
浮世絵・演劇との連動
—— 浮世絵においても、本作と同様の画題が確認されており、
「岩戸神楽乃起顕」と題した浮世絵が
見られるようになります。
その一例として、
三代豊国(歌川国貞) による
『岩戸神楽乃起顕』
(弘化元年頃/1844年頃)が挙げられます。

※画像は歌川国貞(三代豊国)による浮世絵
『岩戸神楽之起顕』(1844年頃)。
Wikimedia Commonsより
パブリックドメインとして引用。
これは、
当時の庶民が神話を神楽などを通して
親しんでいた状況をうかがわせるものであり、
「岩戸神楽」が祝祭的な芸能として
浸透していたことが推測されます。
「岩戸神楽乃起顕図幟」という名称
—— 須藤晏斎 によるこの絵のぼりを
『岩戸神楽乃起顕図幟』と呼ぶことは、
妥当であると考えられます。
本作は、神話としての
「天岩戸」を描いたものというより、
神楽の起源として捉えられた天岩戸を描いた
浮世絵的表現を継承する作品だからです。
そのため、本稿では、
先行する浮世絵作品の画題にならい、
この絵のぼりを
『岩戸神楽乃起顕図幟』と呼ぶことにしました。
江戸末期の浮世絵や絵馬に見られる構成、
演劇的な場面性、
神話・芸能・信仰が交差する描法──
これらはいずれも
江戸祝祭文化の文脈に位置づけられるものであり、
明治以降に制度化された神話表現とは、
明確に異なる軸に立っています。
幟を注文した人を想像してみる
—— この絵のぼりを、いったいどのような人が掲げていたのか。
想像を膨らませてみるのも、楽しいかもしれません。
たとえば、
関東地方の旧家における初節句の場で、
家族や親族が集まるなか、
節句のしつらえとして掲げられていた光景。
「光を取り戻す」天照大神の神話に、
子どもの健やかな成長や、
家の行く先への願いを重ねながら、
少し誇らしい気持ちで用意された
節句幟だったのではないか──
そんな想像も自然に浮かびます。
現代における文化の集積構造
—— ここまで、この幟を通して
幕末の世相や人々の感覚を読み解いてきました。
しかし、この幟との出会いは、
思いがけず現代社会のあり方についても
考えさせられる出来事がありました。
この作品をネットオークションで入手した際、
発送元が、私の居住地からなんとわずか 1〜2km圏内だったのです。
物理的な距離でいえば、
すぐ近くに存在していたにもかかわらず、
情報がなければ、私はこの幟と出会うことはありませんでした。
この経験は、
「文化がどのように集まり、再び可視化されるのか」という
現代社会の構造を象徴しているように思えます。
実際、ここ十数年のあいだに私の手元へ集まった
江戸時代の絵のぼりや祭礼絵画の多くは、
インターネットを通じて、全国各地から集まったものです。
本来は各地に点在し、
それぞれの土地で役割を終えていたはずの資料が、
価値を読み取る視点のもとに再び結びつき、
ひとつの文脈として立ち上がっていく。
それは、現代社会が生み出した
「文化の集積構造」を、実感をもって示す出来事だったといえるでしょう。
まとめにかえて
—— この絵のぼりは、祈りや祝福、家族の願い、
そして祝祭芸能の躍動といった、
庶民の感覚に根ざした神話世界を
そのまま画面に留めた民俗資料です。
生活のなかで共有されてきた信仰と、
やがて制度や理念として整理されていく神話。
須藤晏斎の絵には、祝祭や暮らしのなかで生き続けていた神話の姿が描かれています。
こうした文化の痕跡に目を向けることは、
過去を理解するだけでなく、
私たち自身がどのように
意味や物語と向き合ってきたのかを
あらためて考える手がかりにもなるのではないでしょうか。
🔗 —— このテーマに関連する記事です。
🌐 —— いわき絵のぼり吉田の公式サイト・作品一覧はこちらです。
▼ 経歴と制作の概要をまとめた資料です(PDF)。
▼ ご質問をいただくことの多い内容を、まとめています。
▼ ご質問やご依頼など、お気軽にお寄せください。
下記フォームより、辰昇へお問い合わせいただけます。
⇒ お問合せフォームはこちら
▶️ —— YouTubeはこちら。
「いわき絵のぼり」の制作風景などを、YouTubeでもご紹介しています。
・いわき絵のぼり絵師辰昇
[Youtube]
📸 —— SNSでも制作の様子を投稿しています。
・X(Twitter)
・Instagram
・Threads