【第9回 柿原寛子】色んな記憶 | 早稲田大学演劇倶楽部

こんにちは。

3年代の柿原寛子です。

 

さくらさんの文章を読んで、芸術が助けれくれるというのもそうだけど、生きてる痛みがそういう素晴らしい芸術を生んでるんだなと思いました。

 

凄く貪欲、それが美しく、羨ましいです。

本やら演劇やらに形を変えて、さらに強く生きるための力にしてしまうのか。絶対に上演してほしいです。楽しみだな。

 

 

さて、何を話そうか。

 

振り返ってみても、記憶のコントロールなんてできず、全然エンクラのことではないものばかりが浮かんできます。

 

今、ぐわーと出てきたのは、最近の私のしょうもない痛みをくらった体験です。書きます。

 

数ヶ月前、パソコンがカーネルパニックというのを起こしました。

 

予期せずの強制終了です。 

全てのデータが一瞬で消えました。

書き途中のレポート、メモ、写真、課題、イラレやフォトショの作品たち、、

 

こんなにもあっさりと、どれだけ大切なものだったか。

 

私の手がデストロイヤー的な何かを秘めてるのか?過去を振り返るなという神のお告げなのか?

ショックを通り越して、絶望からの負け惜しみ思考が止まらない。でも逆にすごいと思う、この立ち直りのパワー。

 

自分の中のおかしなテンションにより、緊急事態モードが発動して、凄まじいエネルギーで心の回復に努めた結果、2日目にして案外あっさりと諦められた。

 

さらばパソコン!

 

 

たぶん、諦めたのだと思います。

どうにもならない、でも、こうしてやっぱり思い出してしまいました。たぶん一生忘れることは無い記憶だと思うと悔しい。

 

 

エンクラの記憶は、毎回思い浮かぶことが違います。言葉だったり、それこそ匂いだっり、(かおさんの話、素敵でした)、ほんとに色々です。軽いものではなく、もっとこう、ずしんとくる、感じです。

面白いのは、同期のイメージが意外なタイミングで現れるときです。

 

それはセブンに入った時です。

私は、ふんわりパンケーキと冷やし中華とカツサンドを発見すると、エンクラのある3人の同期をイメージできます。

ふふふ、なんでだ、、

 

新人訓練のとき、稽古がお昼くらいからあって、たぶん17時に休憩で、早稲田の学生会館はセブンがあるので、いつもそこで夜ごはん買っていました。

けっこう、休憩が近づくと、何買おうかな〜とワクワクしてて、だから、みんな何選んで、何食べてるの見てしまってたのだと思います。

 

でも、まさか、この記憶が残るなんて、不思議です。もっと他にあるだろうと思いますが、思い浮かんでしまうものはしょうがないです。

 

数年後には、何が残ってるのかほんとにわかりません。でも、こういう風に自然と残っていくものだけを大切にしたいとも思います。

 

あと、もう一つありました。ほんとにずーと同期と会ってたなという記憶が強かった。

なんだか、一人で歩くことの気楽さを知り過ぎていて、一緒に歩いて、寄り道できなかったらどうしようと思ってしまうときがあります。

でもエンクラでは周りに振り回される感じも嫌じゃなかったなぁと。

流れに身を任せて、思わぬ方向に行ってから、自力で戻ろうともがくのも、案外面白かったりしました。

 

あーごめんなさい、

話まとまらなかったです。

送ると伝えた時間をすでに1時間も過ぎてしまったので、終わりにします。

 

新しい方と出会えること、楽しみにしています。