ここしばらく、私や家族の病気・怪我遍歴をお贈りしています
20代前半で、化粧品から顔中パンパンに腫れあがるほどのアレルギーを経験しました。そして、28の時に子宮内膜症から、卵巣膿腫と。。。。(詳しくはこちら)
【壮絶な痒みの経験】唇の水泡が、私の顔中に広がっていったときが一番つらかった!
28歳の時に、子宮内膜症と診断されました。
子宮内膜症から、チョコレート嚢腫を創造した私のカラダ
しばらくは、何事もなく過ぎ去っていきましたが、30代後半のある朝・・・。前日までお泊りで遊びに行っていた私でしたが、翌朝少しおなかの痛みがでていました。
でも、仕事休めないし~~~。と思い、駅で電車を待っていると、ぐらっ! 立ちくらみが・・・。その場に座り込んでしまったのですが、しばらく休んだらおさまったので、何とか職場にたどり着きました。
ですが、一日中、下腹部の痛みがあり、なんだろー、風邪かなぁ~~~。でも風邪にしてはおなかの痛みもつよいなぁ。。。
そんな呑気な私でしたので、痛みがありつつ、一日頑張って仕事をつづけ帰宅。翌朝には治っているだろーと思ってたけど、痛みがさらにひどくなって。。。
仕方なく、注射でも打ってもらえば元気になる!と思い、近所の町医者にGO
診察の結果・・・盲腸かもしれないから、大きな病院に行ってくださいと。紹介状を書いて渡され。。。総合病院へ。
この時、あおむけになって、おなかをちょっと抑えてパっと離すという触診をしてもらった時、すごい激痛で。かなりひどい腹膜炎になっていたらしいのです。
いつのまにぃ~~~~?
って感じなくらい、気づかなかったんです。
っていうのは嘘!本当は予兆はありました。右の腹部に、時々なんだけど、チクン!チクン!って。傷みの前兆があったんですよね、実は。これ、いったいなんだろう?と思いつつ、スルーしていたわけなんです。(いかんね)
ということで、ひどい腹膜炎を起こしていた私は、即刻入院・・・夕方手術を言い渡されたのです。
って、ここまでひどいことになっていながら、私はまだ呑気に
私 「急なので、明日一日会社にいって仕事片づけてきていいですか?」
医 「何言ってるんですか?いのちの保証はしませんよ~~!」
私 「いのちがかかっているなら、仕方ないですね、手術でお願いします」
ほんっと、アホですよね、私って。そして、すぐに上司に連絡を取って、強制休暇をとらせていただくことになったのです。
開腹してみて、癒着もあったようで、術後しばらくは腹水を出すようにチューブが差し込まれていました。これって、どうやって取るんだろう???とドキドキしていましたが。
数日後、チューブ取りますね~っ!と、先生がぴゅっと抜いてくれました。おなかにささってたチューブが、こんな風に抜けるって。なんかそれだけなんだけど、オドロキでした。
そんなこんなで、10日くらいの入院生活を終えて退院。割とすぐに復帰した記憶がありました。
そして、、、その半年後。休日寝ていたら急におなかが痛み出し。。。吐き気もしてきたので、起きたのですが、だんだん具合は悪くなり、もうこれ以上は限界と思えたので、初めて救急車を呼びました。
それまで痛くて不安だったけど、救急車にのせられると、すごい安心感あって。。。あっという間に病院が決まり到着。
検査の結果、内膜症からの卵巣嚢腫がでっかくなっているということでしたが。。。ここで驚くべきことがわかりました。
28歳の時に摘出したのは、右側の卵巣だったんです。これ絶対間違いないですよ、だって、自分のカラダですもの。毎日、右下腹部にある卵巣のハレを触っていましたから。
なのに・・・ですね。
医 「右卵巣が腫れてます」
私 「はぁ?右じゃなくて左でしょ!」
医 「いいえ、右にあります。」
私 「だって、右を摘出したんですよ、過去に。」
医 「だいぶ前の事なので、思い違いでしょう!」
そんな馬鹿な。
でも、私の勘違いで片づけられました。炎症もあるので、痛みがつづくようなら緊急で手術しますが、落ち着いていくようなら、少し様子をみることにしましょう。
ということで、数日入院。幸い、痛みは治まってきたので、ホルモン治療で様子を見ながら、落ち着いた頃に腫瘍部分を切除する手術にしましょうということになった。
それから、やく3か月。ホルモン注射と、お薬で、月経を止める治療が始まった。子宮内膜症は、月経血が逆流して腹内にたまってゆくので、月経のたびに、それはおこるわけです。
だから、進行を止めるには、月経を止めるしかないんですね。原因もわからないし、治療法もそれくらいしかないと言われたんです。2回目だったので、セカンドオピニオンも受けにいきました。でも同じ診断だったので、最初に運ばれた病院に通院することにしました。
で、経過も順調(っていうか止めてるからだけど)で、痛みもそれほどなくなって、普段の生活には支障もなく、踊りも踊ったりしていた私ですが、その年の6月くらいに、元気に入院して手術へと突入していきました。
あ~開腹も3回目か!
3回目ともなると、もう慣れてくるものですね。同じ卵巣嚢腫で、同じ日に入院、同日手術をする友達もできたので、入院生活はとっても楽しいものでした。
手術当日、病室で運ばれようタンカにのせられた私は、その場で打たれた筋肉注射で、ほぼ記憶がなくなった。
ふつうは手術室で、脊椎に麻酔を注射されるので、横寝になって、その痛みを味わうのですが。。。そのプロセスは、まったく記憶なし。
記憶が戻ったのは、術後病室に運ばれて、酸素用にのどにさされていた管を抜かれた時。
急に息ができなくなった私は、一気にめざめ(ぼーっとした頭で)
「ぐるしー、いきができない」 と飛び起きそうになりました。
看護婦さんが、「大丈夫ですよ~!」といった声で呼吸が復活し、安心したせいか、そのまま数日意識を失った状態で過ごした。
過去2回の手術で何が一番つらかったかっていうと・・・?それは、術後の2日くらい。昼間はまだ気がまぎれるのだが、夜の間、静かに一人痛みと戦っている時間が何よりつらかった。
でも、3回目にして、ほぼ気絶状態で眠りつづけた私は、お見舞いに来る家族の声も耳に入らなかったようで、正気に戻ったのは、3日目くらいのことだった。
同じ手術を受けた人も同室で、私が一人眠っているのを、うらやましく感じながら、痛みと戦っていたようだ。なんとラッキーな私。
それからは、日に日に回復し、その同室の子と、術後初めてのおつかいは、売店にお菓子を買いに!、途中でもう笑いが止まらなくて。。。ひーひー言いながら歩いて。
笑うとひきつっておなかが痛いのに、もう毎日何もかもがおかしくて、ずっと二人で笑っていました。
こんな風に、ただただ生きて、笑っているだけって、本当になんて愉快なんだろう!
カラダが少しずつ動き出し、元気になっていくという爽快感も、心をどんどん癒してくれた感じです。右の卵巣を摘出して、左側にあったはずの残りの卵巣が、また右に移動していた件。。。それもまた、カラダの叡智が、私の心のありかたによって造りだした生命の奇跡なんだなぁ~と。今では思うのです。