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藍色の傘

一日中、猫を膝に乗せて、本を読んで暮らしたい。

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「悪霊」ドストエフスキー




ステパン・その息子ピョートル、ワルワーラ・その息子ニコライ・養女ダーリヤ、ドロズドワ・その娘リザヴェータ、作家カルマジーノフ、知事レンプケ・その妻ユリヤ…

とにかくあちこちで大勢の登場人物が揉める。

人物メモを作成し、何度も名前の追加や確認をしつつ、物語が動き出すのを期待しつつ、上巻終了。



覚悟はしていたがとてもサクサクは読めない。

春休み中に上下巻を読むつもりだったのに、読んでは戻り、戻ったところからまた更に戻ったり、の繰り返し。

悪霊はまだ出てこないのかと思いながら、ようやっと本を閉じたら、裏表紙の紹介文が目に入ってしまい、うぉーそういうことだったかとまた最初からざっくり読み直してしまった。

ダラダラこまごまとした回りくどいエピソードは無駄のようで無駄ではないのだ。
これぞドストエフスキーの醍醐味。

楽しみながらも覚悟を持って、いざ下巻へ。



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⠀「大尉の娘」プーシキン 坂庭淳史訳




1836年発表。

ロシア帝国時代に起きたプガチョフの乱を題材にした貴族の青年将校ピョートル・グリニョフの物語である。

ロシア文学特有の人名の複雑さ、目まぐるしく入れ替わる敵と味方、持って回った人物仄めかし、馴染みのない戦争用語…
等々覚悟しつつ用心しつつ、終盤の大物登場のおおっ、まで集中して読めた。


「~なんだ」という口調は新訳ならではで、詩人でもあるプーシキンの散文調の雰囲気が伝わってくるようだった。


タイトルが「大尉の娘」なのに、肝心の「娘」の魅力が今ひとつ伝わってこないのは、テーマが娘じゃなかったからか。

それでも読み終えると、タイトルは「大尉の娘」しかあり得ないような気がしてくるのは、さすが〝ロシア文学の父〟というところだろうか。


お付きの爺やが良い。
戦争にもお付き連れなのに驚くが。



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「変な家」雨穴



間宮祥太朗で映画化されるというので予習。

令和風のライトな横溝正史ワールドと言っていいかもしれない。

見取り図など視覚的な説明が分かりやすく展開のスピード感もちょうど良い感じで、会話のみの文章も平易で読みやすく、都心までの電車の一往復で読了した。


ミステリーもホラーも好きじゃないが、とりあえず映画は観に行く気になった。




まあ

間宮祥太朗の主演じゃなければ、
観に行くどころか読みもしなかったけど。






⠀「離陸」絲山秋子




ダムで生きるプロフェッショナルな男たちの話かと思いきや
東大~国交省のエリート(控えめなのは好感度高し)だが、日本のダムを命懸けで守ったり、自分で運命を切り拓いていく漢の話ではなく、
どうにもならない運命に右往左往しつつ、所在なくそこに佇む男の話だった。

最初から謎のエピソードだらけだが、それを行間から解決しようとしてはならない。
伏線を回収しようとしてはならない。

だって「海の仙人」の絲山秋子なのだ。

謎は謎として認識だけすれば良い。

実際、何故どうしての連続でも、時間は淡々と過ぎていくものではないか。

そもそも伊坂幸太郎から「絲山秋子の書く〇〇〇〇物が読みたい」というリクエストがあって、2003年のデビューの頃から構想のあった「離陸」というタイトルの小説が書けた、という絲山氏のあとがきで、収拾のつかなかった「離陸」パズルがカチッと完成した気がした。
(〇〇〇は明かしません…)

水資源機構、国交省、
みなかみ村村長、
フェルディナン・セリーヌ研究者、
NHK熊本(!)
元坂本村村長(!!)
九州郵船、博多海陸運送…
という取材先に基づいて生まれた「水の番人サトーサトー」こと「イロー」こと「佐藤弘」は、
今日もどこかで生きている。



一日に何便も滑走路から離陸していく飛行機。

どこへ向かって飛び立つのか。
行くのか。
帰るのか。

機影は
いつまでも見送ってしまうものだ。



「こころ」夏目漱石







1914(大正三年)漱石47歳の時に著され、日本でこれまで最も読まれているという「こころ」。



漱石は男臭くて堅い印象でこれまで1冊も読み通したことがなかった。


が、武者小路実篤にハマってしまったため、これ以上漱石を避けてはいられないと観念。


高校時代も漱石の載っている教科書ではなく、あえて読んだと言うならば模試の問題文くらいで、これが事実上の初漱石である(ほんとすみません)



120年前に書かれたとは思えないほどすんなり読めるのは、文章の上手さ美しさ故だろう。


「先生と私」「両親と私」「先生の遺書」の三部構成で、だいたいのあらすじを知っていても、飽きることなく最終章まで連れていってくれる。


不遜な自意識過剰学生「私」

傲慢で独りよがりな煩悩塗れの「先生」

頑固な求道者「K」。


誰もが自分の内に存在するようであり、一方でそれを否定したくもある。


罪を告白し懺悔するのは自分が楽になりたいという卑怯な方法で、一生罪の意識に苛まれ続けるという罰を受ける、という茨の道もあった。



余韻というより、澱が溜まり、沈殿する読後感である。

読み継がれてきたのはこの「澱」が残るからなのだろう。



「吾輩は猫である」さえ読み通すのを諦めた過去があるが、もう少し漱石を読んでみたい気もする。


「坊ちゃん」「三四郎」はさておき、これから読むなら、やはり「門」「それから」あたりか





同じ「先生」なら、

同じ「三角関係」なら、

やっぱり武者小路実篤の方がずっと良いなあ。

(という、文学少女には有るまじき発言。もう、少女じゃないから良いのさ。)




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