【ミ】耳障りな雑音はよしなに_Wedesday | MK from ASOVOYAGE

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その時その瞬間に感じたことをありのままにそのままに。素直に表現。
遊び場 Viva 楽しむ Vida 
"いざ参ろう あそVibaへ"

活発なあそ坊の日記

無意識下で考えている何気ないことが、

蓄積して意識的な思考に影響を及ぼす。

 

それはあることだろう。

 

ここで疑問で思うのはその順番であり、

 

もともと強く意識していたことが無意識に溶け込むのか。

自然と無意識に馴染んでいたものが意識するほどに滲み出るのか。

 

無意識で考えていることはその人に本性かもしれない。

 

本性は変えることはできるのか?

人格は築き上げていくことはできるかもしれないが、

本性は比例して変動するのか。

 

複雑に絡み合っているように思えて、答えは至ってシンプル。

 

灯台下暗し。と表現してもいいのか。

 

あ、ここに答えがあったのかと思うことがある。

 

自分は人とは違う、複雑であることを願っている節がある。

 

結局は”答え”を受け入れる度胸と気力と体力がないのだ。

 

そんなはずはない。こんな簡単な答えであるはずがない。

 

一種の防衛本能。

 

気づいているのに気づかないふりをしている。

 

まだ違う答えがあるのかもしれないという

希望的観測にすがることによって

自分自身でどんどん問いの部分を複雑にし

探している時間に安堵する

 

何もしていないわけでもない

今一生懸命自分探しをしている。

 

その状況に必死にしがみつこうとする。

 

答えを知りたいのではなく

納得のいく答えに自分を当てはめたいだけ。

 

それは一体誰のために?

 

ただ体は知っている。

目の前にある答えを素直に受け入れるべきだと。

 

ただ心は訴える。

これは自分の答えであるはずがない、もっと特別だと。

 

一つの媒体で体と心が相反している。

心と身体を壊す人が多いのはこのためだろう。

 

誰と比べているのかはわからないが、

きっと漠然と憧れがあるのだろう。

 

そのイメージをどこかで維持しているのだ。

それが無意識領域なのかもしれない。

 

そういった人はSNSをはじめマスコミの情報をシャットダウンしてみてはいかがだろうか?

 

あなたはあなたでいい。

比べるものではないとは言わない。

 

が、

 

仮に他人と比べていて気分が沈むのであれば

それは貴重な時間の浪費としか思えない。

 

自分の中に深く集中して潜って見るといい。

 

SNSよりももっと面白いことがたくさん見つかるはずだ。

 

自分をしっかり知る。

自己と対話する。

 

もっと自分の好奇心と猜疑心に耳を済ませて

 

拙い旋律でも素直に向かい入れる。

 

それがあなたであり、真実である。

 

集合体の中で生存するためにはルールに従わないといけない。

煩わしいが、それならルールを作る側になるだけ。

ルールのない環境に移るだけ。

 

本来動物は自分の生存確率をあげるために

適した環境に移り、また克服するために進化してきた。

 

そのDNAはしっかりと私達には受け継がれているはず。

 

生きている限りずっと同じということはありえない。

 

体も変化するし、考え方も変動していくだろう。

 

それは大きく考えれば進化と捉えることもできる。

 

個人で考えれば衰退と思えるかもしれないが、

元来それは生き物全てに共通するルールだ。

 

一つの個体でしかない。

ちっぽけな存在。

ちっぽけな存在が似通った他のちっぽけな存在と背くらべしているだけ。

 

とっても愛らしい皮肉の効いた物語だとは思わないか?

 

自分の物語をそのまま受け入れてくれるいのは誰か?

 

もし時間があるならば

意識的に一度考えてみてはいかがだろうか?