あやふや | MK from ASOVOYAGE

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その時その瞬間に感じたことをありのままにそのままに。素直に表現。
遊び場 Viva 楽しむ Vida 
"いざ参ろう あそVibaへ"

活発なあそ坊の日記

絶対的な居場所がなく

取り留めのない思いと

漠然とした思いと共に彷徨い続ける

 

不安に心が押しつぶされそうになり

まだおきもせぬ未来を恐れ、心を病み

現状をないがしろにする

 

今が未来につながると言うことを理屈としてわかっていても

言動に映せない

 

ただただ漠然とした思いに身をゆだね

膨れ上がる不安に自由を与えながら、少しずつ、でも着実に彼は老いていく

 

わかっているんだ。そんなことはわかっているんだ。じゃあ具体的にどうすればいいんだ

 

それが彼の口癖だ。

 

 

ここぞと言うときに神に縋るご都合主義者

 

神はそんな彼にも救いの手をさしのべるのだろうか

 

別にやりたいことがないわけでもない

しなければならないことがないわけでもない

 

ただ、今の自分を受け入れることができずにうれいているだけ

 

自分は特別だと夢を見ていたいだけ

信じていたいだけ

いや、認めたくないだけ。

 

特別じゃないと自分の存在意義を見出せない悲しい彼なのです

 

世の中つらいことばっかりだと嘆く

なにもかもうまくいかないと嘆く

こんな苦しむぐらいなら死にたいと嘆く

 

嘆く嘆く嘆く

 

嘆くばっかりで、何もしない

ただ嘆くだけ

 

 

しかし、そんな彼も犠牲者なのだ

 

生まれてくるだけで人間は罪深い生き物である

 

他の生命を殺して、自分の中に摂取することで、生命の維持をしている

 

殺しの上でしか、生きられない

 

生きていることが殺しにつながっている

 

自分の体を観察してみると、わかるだろう。

 

 

生きているだけで感謝すべきなのに

もっともっとと求めてしまう

 

それは現状維持は死につながると本能的にわかっているから

 

だから、現状に納得いかず、自分を特別な存在だと信じたくなるのは自然なことで、まったく特別なことではないのである。

 

それが、いきたいとおもっている証拠なのである。

 

矛盾に感じるが、世の中矛盾だらけである

 

 

本当に死に対して率直に向き合っている人こそ

楽しそうに生きているだろう

 

今日死んでも構わないというぐらいの勢いでいきているだろう

 

だからこそそこに愛がある

 

死を受け入れられているからこそそこに愛が生まれる

 

そして、その愛を壊しにかかるのが嘆くだけの愛に飢えた犠牲者たちである

 

人間同士で互いを壊し合い、愛がほしいと嘆き、愛あるものを壊し、嘆きの信者へと招き入れる

 

結局、嘆く自分に居心地よくなっているのだ。

 

本当に、くさった汚い社会である。

 

あなたも嘆きの信者なのか?

 

そろそろ気づけ。嘆くなら己だけ嘆け、

人を巻き込むな。

 

 

とかく自分も、すでに嘆く信者になっている