特になんにもなし得てないけど今日で終わっても悔いはないという生き方 | 専門性を高めるプロ向け英語コーチング

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特になんにもなし得てないけど今日で終わっても悔いはないという生き方

 

をしているようだと、とうとう気がついて、

 

どうりで「なりたい自分になる」みたいのが

どうも心に入ってこないはずだと気づく。

 

近年、情報収集し続けしているサイエンスベース・エビデンスベースの最新の瞑想法などでは、

「豊かさを手に入れる」とか「〇〇を実現する」みたいなものが流行りで、

即効性もあるかもしれないけれども即物的にもなりやすく、

自分の場合は「(今の暮らしの外側に)何を求めればいいのかわからない」というのが行き着く境地だった。

これを私は「想像力の(そして創造力の)欠如」だとして、「イシキをカクダイせねばいかん」などと思い込みそうだったのだけれども。

 

お金・地位・名誉、どれももっとたくさんあればいいのかもしれないけれども、

無理やりにでもヒネり出したいほどの執着ができない。

 

日々、自分や家族の心の平静を観察できなくなるほどのプラスにもマイナスにも「興奮」したくないのだと思う。

 

常に、ある範囲内に収まる程度に平静で、

日々少しずつの「鍛錬と節制」を続けるにおいて、

 

食生活・筋トレで体を整え、

勉強/仕事で知を整え、

家事・育児・雑事で環境を整え、

 

いま私のエネルギーの大半は、

朝夕を子供達と一緒に過ごす時間の中に、ポワンと光ったりゴウゴウと燃え盛ったりしているのが大きいわけで、

 

結局、行き着くところは冒頭の

 

特になんにもなし得てないけど今日で終わっても悔いはないという生き方

 

という「地味で強靭」なスタイルの中に自分を全投資して振り切っている。

 

 

 

 

 

 

こういうことに気がつくのは、

この「地味で強靭」な暮らしの中でも静かにドスンとくる出来事が大小あとを絶たないからで、

その心情と思考の機微を日々見逃さず、善悪のジャッジもしない、

要は「分断をしない」ことが今の世の中を生きるのに何よりも大切なことだと思うようになった。

 

もはや、五輪が仮にも平和の祭典の体裁を保っていたのはリオまでだった。

それ以降は東京も北京も、疫病と戦争による「分断」の道具になってしまって、

私たちはこれからいかに「善悪に染まらない見方ができるか」に敏感でいなければならないと思う。

 

 

みんなの意見が一つになるように見えるとき、

つまり「一致団結して〇〇を撲滅/殲滅しよう!」という声かけは、

(それが「コロナ」であれ「プーチン」であれ、

わかりやすければ分かりやすいほど"団結”が強まるゆえに)

「世を真っ二つに分断する号令である」と心のどこかで気づいてなくては、

脳も心身もバラバラに分断され放題の情報戦・感情戦の興奮に巻き込まれることになるかもしれない。