今日は文化的な違いを取りあげたいと思います。
いつも通り文化的な違いなので、全てにあてはまるものではありません。
今回は特にアメリカと日本を比べてみることにします。
日本の選挙演説と言えば、車であちこちをまわり、声が出なくなる位まで頑張るという印象があります。中には、お金をかけないことをアピールするために、自転車でまわったり、走ってまわる人もいます。
これらを見ていると、日本の選挙は「ことばでの説明」よりも「選挙活動中の姿勢」が大切なように思います。国民の方も、その活動姿勢に共感したりするのでしょう。
一方アメリカの大統領の候補者選びなどを見ていると、ことばを通して理解を訴えかける姿勢が見られます。そしてそれに賛同する人たちが、拍手をして声援を送る場面が多く見られます。
アメリカの選挙の演説を聞いていると、演説が上手いと感じます。観衆の心を引き付け方を知っていて、盛り上げ方もよく知っていると思います。
それに比べ、日本の政治家の選挙の演説は上手くなく、観衆も拍手を送る場面はあまり見られないと思います。
やはり日英には文化的な違いがあって、アメリカでは「ことばを通して訴えかける」のに対して、日本では「活動姿勢で訴えかける」という違いがあるのではと思います。
これは演説以外にも通じる違いであって、英語(アメリカ)の文化では、ことばで伝えなければ基本的に分かってもらえないという考えがあります。日本の文化では、以心伝心のように、ことばに出さなくても心で通じるという考えがあります。以前に「英語の世界観」で取りあげた、「察しの文化」とつながると思います。
これらの文化的な違いによって、選挙も違いが出ているのでしょう。