日本の労働生産性はなぜ低いか? | ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドン・東京そしてNYといつの間にかいろんなところを転々とそしてまた東京に。海外なんて全く興味なかったし今もないという予想外の人生でした。今は東京に戻りしばらくお休みしていましたが少しずつ再開してみようかと思ってます。よろしくお願いします

世界中で労働生産性の向上が停滞している。何も日本に限ったことではない。一方で他国との比較で日本の労働生産性は特にサービス業において低いといわれている。これを改善することが経済成長への重要なポイントだとも。

なるほど、その通りだとも思う。たとえば規制緩和や企業の淘汰がもっと進むことで新陳代謝を促せば労働生産性は上がりそうに思う。不必要な金融緩和や財政出動も同様に生産性の向上を阻害している可能性は高い。一方で、だが、日本のサービスのレベルの高さが同時に生産性の低さを招いているのではないかな…と個人的には常々考えていたりもするのだ。

たとえば、日本のサービス業。たとえば飲食業や小売業。どこにいってもかなり礼儀正しくきっちりとおもてなししてくれる。素晴らしいことだし多くの外国の方も大喜びだ。じゃあ、同じサービスをNYやロンドンで受けようとしたらどうなるだろうか?たぶん、日本の2倍3倍のお金を払わなければ同様のサービスは受けられないだろう。

同じ「おもてなし」でも日本と海外だと対価として受け取れるものが全く違うわけだ。経済指標だけを見ると、対価を上げれば生産性が上がりGDPが上昇することになるかもしれない。じゃあ日本人みんなサービス業に対する対価を2倍3倍払えばいいのか?というとどうだろうか。生活の満足度という面ではおそらく低下するだろう。

もちろん、日本にはもっと「安かろう悪かろう」があってもいいと思うし、スーパーとかその辺のチェーン店とかだったらそんなにサービスしなくていいよ…と思うことも多いのでそういう意味では差別化が行われることは経済全体の効率や労働者の側の負担ということを考えた時には生活の満足度をアップさせる可能性もありうるとも思う。ただ、いずれにしてもレベルの高い「おもてなし」の対価が今の数倍になりその結果として生産性があがりましたなあ。GDPが上がりましたなあとなったとしても多くの消費者はクビをかしげるのではないだろうか。

海外からの観光客に素晴らしいおもてなしを行う。あるいは日本のサービス業が海外にますます進出して日本のおもてなしを売り込む。そして高い対価をもらうということは意味のあることだろう。ただ、そのおもてなしの意味を理解するにはやはり心豊かできっちりとした人たちでないといけないわけで…。おもてなしのすばらしさを本当に理解できる人(=高い対価を払ってもいいと思う人)っていうのはまだまだ経済的にも心の面からもそんなにいないようにも思う。(もちろんレベルの問題以前に文化の違いもある)

ただ、どんどん物質的にも経済的にも豊かになった我々人類が次に何を求めるかというときめ細やかなサービス、きっちりとしたサービスということが出てくることは間違いないのだろうとも思っているので、将来的には日本の生産性は低いから問題だではなく日本のサービスの質こそが生産性を低下させているのだがそれって素晴らしいことなんだという風に日本人も世界の人たちからも思われる時代が来るんじゃないかなあと思ったりもするのだ。

もちろんこれは非常に感覚的な話でデータには基づいていないがたぶんそうだよなあと納得してくれる人が多いように思う。