福祉国家が成り立つための条件 | ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドン・東京そしてNYといつの間にかいろんなところを転々とそしてまた東京に。海外なんて全く興味なかったし今もないという予想外の人生でした。今は東京に戻りしばらくお休みしていましたが少しずつ再開してみようかと思ってます。よろしくお願いします


次長課長の河本の母親が生活保護を受給していたということが話題・問題になっている。生活保護をめぐる議論が盛んだから20年前だったらさして問題にされなかったかもしれないことが大げさに取り上げられている面もあるだろう。

まあ、人間だからもらえるものはもらっておこうと考えるのは当たり前のことだし。親と子は違う。また、芸能界という収入の浮き沈みに激しい業界に居る子供の収入にたよるのはなかなか難しいという現実的な発想もあったのではないかとも考えたりもする。一芸能人の親の問題を捉えて大騒ぎするのはなんだか週刊誌みたいな発想であまり好きではない。

いずれにしても、生活保護受給者がどんどん増えていることは問題。その中には不正受給などが多く含まれているというし、その給付水準やシステムのあり方から真面目に働く低所得の人との不公平感を生み出すとともに働くインセンティブを奪っていることは経済・社会にとって大きなマイナスになっていることは間違いなく、いつもこのブログで取り上げるように一つの解決策としてはあらゆる社会保障を負の所得税などに置き換えるやりかたも有効だろう。

理想的にはそのような社会保障は必要ない。全て民間の扶助に置き換えるべく国家による社会保障を全廃すべきだとの意見もあるだろう。僕も多いに賛同する。が、現実的には今の社会・政治のあり方においてはおそらく実現不可能だろう。

と、こんな記事をブロゴスで発見した。

【赤木智弘の眼光紙背】国民を養うのは国の役割

ならば、そうした人達を支えるのは、当然国の役割である。国はその役割を果たすために、全ての国民から税金を徴収し、それを分配する権限を持っているのだ。それを生活保護という当然のことに使わなくて、一体何に使うというのか。


こういう考え方が当たり前のものとして受け入れられるとしたら恐ろしい話である。

福祉の充実は人間の勤労意欲を削ぎ国家を衰退に導く。また財政も悪化させる。もちろん、生活保護という制度がありませんというのはそれはそれで問題かもしれない。重要なことは生活保護をうける人々やその家族・地域の人々が自分の頭で「自分は本当に生活保護を受ける権利があるか」、「生活保護は当然の権利ではない」、「生活保護を受けざるを得なくなったとしても少しでも早く抜け出すべく努力するべきだ」、「生活が苦しいときはまずは家族や地域で助け合うべきだ」との人間としての当たり前の精神を持っていること・自分で自分の生活費を稼ぐのは当たり前でそれに見合った生活をするのが当然と考えることが大切であると僕は考える。国民を養うのは国家ではない。自分自身であるはずだ。もし、ほとんどの国民が国家が国民を養うべきと考え始めたらどうなるのか?

そのような自主独立・自己責任の精神を多くの国民が失った国家は社会保障で人間の勤労意欲がそがれることで経済は停滞し、国民の愚かな要請に政治家が応えることで社会保障費はどんどん増大し経済の停滞と相俟って財政は厳しい状態に陥るだろう。北欧の国々が手厚い社会保障でも成り立っているのは多くの人が「働かざるもの食うべからず」の健全な精神を維持しているからである。(参考記事→スウェーデンは本当に弱者に優しい国か?

もし上記のブログのような意見に対して多くの日本人が当然だと考えているとしたら恐ろしい話である。行き着く先は経済の停滞と財政破綻でしかない。人間の生活を養うのは国家の仕事ではない。それは自分自身であるべきだ。この当たり前の精神を失った国には破綻しかないだろう。


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