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平清盛が今年の大河ドラマだ。視聴率はやばいらしいが、若干暗めの画面などがあの時代の雰囲気を表していて僕は好きである。今に似ているのかもしれない。陰鬱とした時代だったのだろう。
最初、松山ケンイチ演じる平清盛があまりにも理想主義っぽくてバカらしいとちょっと思った時期もあった。サヨク的なナイーブな偽善と理想に犯された人物として描かれていることに“うーーん”と思ってしまったわけだ。
でもまあ、若かりし清盛がそのような思いを持ったとしてもよく考えれば無理もない。そして、その若い頃の情熱をいかに灯し続けるかが人生におけるキーポイントじゃないかとも思う。だから、一平凡なビジネスマンの実感としては“世の中ってのはそんな理想主義ではいかないんだよ。。。。”と思うけれども、清盛ほどの歴史に名を残す人物がそれくらいの理想を持っていたとしても、それはそれでいいだろう。
今の日本社会は諦念に満ち溢れているのかもしれない。まあ、僕もそういった一人だ。みんな、なんとなく長時間労働・責任を持って仕事をしているだろう。でも、くっだらない社会の枠・会社の枠を破ってガンガン自分の言いたいことを言って、信念に基づいて生きてやろうなんて気概を持った人間は確かに少ないのかもしれない。
理想なんて・・・。世の中そんなに上手くいかないんだよ・・・。そんな非現実的なことを言っても仕方ないんだよ・・・。ま、仕事では理想なんて忘れて適当にやって、プライベートを楽しめばいいさ・・・。
と思っている人にしてみたら、青臭い理想を持つ清盛は“清盛なんてどうせ上手く媚へへつらって太政大臣になったんだろ?このドラマの描き方はあまりに非現実的じゃないの?”“父親の忠盛を見ろよ。こびへつらってるじゃないか。あれこそが本当の姿だよ・・・・”なんて思うかもしれない。まあ、僕もそう思う。
が、新しく武士の時代を気付いた清盛である。そのような気高き理想を持っていたとしてもおかしくはないだろう。何か大きなことを成し遂げ歴史に名を残す人物は必ず大きな理想を心に抱いているはずである。少なくとも我々凡人とは違う。
保元・平治の乱を経て、実際、清盛は踊る大走査線風に言うと“正しいことをしたければえらくなれ”という路線を歩んでいく。が、やはりその情熱の元が若い頃の熱く、そして青臭い思いであることは変わりない。
そして彼が時代の流れの中でターニングポイントにいたことは間違いない。彼の能力だけで彼が新しい時代のさきがけとなったわけでも。ましてその青臭さや理想主義のおかげでもない。後100年早く、あるいは100年遅く生まれていたらまったく違った生き様になったかもしれない。それでも、そのような理想を抱いていたと考えるのは僕は荒唐無稽ではないと思う。
現代社会もそのようなターニングポイントに来ているのかもしれない。平清盛の生きた時代のように数百年単位の変化のときではないかもしれない。が、明治維新以来の200年単位の変化の時代に来ていることは間違いない。まあ、当ブログは諦めることを重視しているが。。。(笑)理想を旨とし揺るがない信念を持った人々が世の中を変える。そういったことがなければいけない時代になっているようには僕も思う。そして、信念は人々に伝わるだろう。理想を忘れた人々に理想を追いかける気持ちを思い出させることができれば。。。世の中はいい方向に行くかもしれない。
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