経済学で世の中を読み解く | ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドン・東京そしてNYといつの間にかいろんなところを転々とそしてまた東京に。海外なんて全く興味なかったし今もないという予想外の人生でした。今は東京に戻りしばらくお休みしていましたが少しずつ再開してみようかと思ってます。よろしくお願いします


経済学といえば、お金や経済そのもののことばかり扱っているように思われる人も多いだろう。だから、なんとなくとっつきにくいし。。。もちろん、経済の動向ってのは自分達の生活に直結するけど、経済学が分かったからといって来年の景気がどうなるかなんてどうせわからないんだから、やっぱり経済学なんてのはあまり意味がない学問だよな。なんて思ってる人もきっと多いだろう。

でも、経済学っていうのは何もマクロ経済だけを扱うものではない。また企業の行動などだけを扱うものだけでもない。人間のインセンティブを大切にしてそれを基に数字をしっかりと見ながら世の中のあらゆる現象が今や経済学の視点を通して分析されている。

そして、経済学的な考え方を使って世の中のいろんな事象を積極的に研究し始めたのが本日紹介する本の著者でありノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のベッカー教授である。

差別・罪と罰・家族・嗜好と価値観の形成など幅広い分野のテーマを取り上げたのが彼である。


ベッカー教授の経済学ではこう考える―教育・結婚から税金・通貨問題まで

本書は1985年からアメリカのビジネスウィーク誌に掲載されている彼のコラムを翻訳したものである。

よって、少し古い80年代のコラムから最近のものまで扱われている年代の幅は広い。80年代のアメリカや世界がどのような状態であったかをうかがい知ることもできる。

そして、例に漏れず本書でも彼の扱うテーマは多岐に及ぶ。

規制や民営化と言ったまさに経済学が扱うべきテーマから始まり、前述の家族や人種・性別に基づいた差別に関して経済学的にどう考え、どのような対策が取られるべきかを説いている。読み応えはたっぷりで300ページを超える本書を読むだけで経済学の扱う一通りのテーマを理解できるだろう。また、コラムという性質上内容に制約がある。経済学を勉強中の学生や社会人の人にとっては立ち止まって考えることができる部分も多いというのもまたいいだろう。

たとえば、1990年代前半に成立した障碍者支援法は障碍者の定義を明確に定めないと同時に障碍者と定義するに値しないドラッグやアルコール中毒者までも障碍者の範疇に含んでしまうことで真に援助を必要とする人々にネガティブな影響をもたらす。しかも、そのコストを企業に押し付けることでアメリカ企業の競争力を削ぐであろうと反対の意見を述べている。障碍者を助けるために納税者全員が直接そのコストを負担すべきだと説く。

また、麻薬に関しては基本的に全て合法化すべきであると説く。合法化することで取引価格は90%以上下落し、ドラッグ欲しさの犯罪は劇的に減るとともに麻薬取引で大きな利益を得ている(反社会的な)人々にもダメージを与えることができるととく。もちろん、その背景には大半の麻薬は一般に考えられているよりも中毒を招くことが遥かに少ないという科学的データに基づく根拠が彼にはある。

また、昨今は政府が積極的に産業政策に乗り出すのがよいかのような論調がいろんなところで見られる。しかし、経済学的には政府による産業政策は決してうまくいかないというのがコンセンサスである。彼もこの点を指摘する。“裁量の産業政策とは何もしないことである”と述べ、“日本は日本株式会社として国家主導の産業政策で発展した”という誤解に基づく通説に対しては、実態に基づかない神話であると切って捨てる。

多くの人の知的好奇心を満たしてくれる一冊になることは間違いない。したり顔で出てくるなんちゃって評論家・なんちゃってエコノミスト・政治家の人々のテレビでの議論が本書を読んだ後にはなんと低レベルな・・・と思えて楽しめることだろう。いや、だから日本はダメなんだ・・・と思ってしまうかもしれないが、なんのことはない。アメリカでもイギリスでも政治家というのは大体おかしなことばかり言っているからあまり心配はないだろう。とりあえず、だから、政府にできることなんて限られているんだ・・・。と諦めながら楽しむのが一番いいのではないだろうか?



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