多くの人が医療というのはかけがえのないもので、人の命にかかわるものであるから、これに対する政府の支出を拡大することはあっても削減することがあってはならないと考えている。
しかし、これは本当に正しいのだろうか。日本を代表に医療技術の進歩・充実した医療保険などの制度によって人間の寿命はどんどん延びている。口の悪い言い方をすれば、過度の高齢化の進展は医療制度や年金制度を通して国家の財政を圧迫している。また、様々な社会の軋轢や問題を生み出している可能性は高い。
いずれにしても、我々は恵まれた環境の下で長寿社会を謳歌しそれが社会的な問題を作り出しているといえる。
しかし、同時に身近なところに目を向ければ高齢者を中心に必要以上に医者に通っている人が多いというのもまた現実であろう。特に対して体も悪くない高齢者が医者に言って井戸端会議に利用していることは批判の対象にもなっている。
医療というのは本当に人間にとって絶対必要なのだろうか?
アメリカのこのグラフを見てもらいたい。
( The most important chart in health policy より)
横軸に一人当たりGDP、縦軸に一人当たり医療支出をとったグラフである。
もし、医療費が食費と同じように、人の生活に最低限の不可欠な支出であれば、GDPの成長に対して医療費の伸びの割合は下がってくるべきである。多くの新興国・後進国で食料費の生活費に占める割合が先進国に比べて多いように。人間の生活が豊かになれば食費にかかるお金の割合が減るように、医療にかかるお金の割合は減らなければならない。
しかし、現実にはそうではない。人間は豊かになればなるほど、それにあわせて医療費に対する支出を増やしている。これは医療費がもちろん、生活に不可欠な支出であるものの、ぜいたく品と同じような役割を果たしているということを如実に表している。
すなわち、我々の現在において受けている医療に対する支出はおそらく「必要最低限」の範囲を超えているといえる。人間は豊かになればなるほど、「健康」や「長寿」を手に入れようとより多くを医療(や健康)に関連する支出により多く支出する。それが現実だ。
高齢者の医療費の自己負担を削ろうとすると、高齢者は死ねというのかと叫ぶ。一方でたとえば、車を運転する際にもみじマークを高齢者はつけなさいというとそれは差別だという。豊かになりすぎた人間。豊かになりすぎた高齢者のわがままにいつまで付き合えばいいのだろうか?最低限以上の過剰な医療サービスを借金をし将来世代にツケを先送りしながら我々は受けているという現実をもっと深刻に受け止めるべきだろう。
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