英でも電力市場の寡占、原子力への「補助金」見直し求める声-特別委
下院のエネルギー・気候変動委員会は16日公表した報告で、老朽化した発電所のリプレースやCO2排出削減で今後10年間に必要になる1100億ポンド(約14兆4000億円)の投資を促進するためには、EDFなど大手6社の支配を終わらせる必要があると提言。原子力発電事業者への電力価格の保証やCO2排出に対する増税案についても、原子力業界への補助金になりかねないと主張し、政府に見直しを求めた。
同委のティムヨー委員長(保守党)は電子メールで声明を発表し、「政府は最初からやり直し、もっと分かりやすく、理路整然とした電力市場の改革案を策定しなければならない」と強調。「ビッグ6の談合をやめさせるには、エネルギー卸売市場の抜本的な改革が必要だが、閣僚らは現在、周辺部分を取り繕っているにすぎない」と批判した。
(ブルームバーグより)
若干、趣旨が違うようだが、原子力への補助金を見直そうという動きがイギリスにもあるらしい。
福島第一原発の事故を契機に「原子力発電のかわりにどういった発電方法がいいのか?」あるいは、「それでも原子力を推進すべき」というエネルギー政策を論じる声は大きい。あーでもないこーでもないと。
しかし、何か結論を導き出すことはおそらく不可能だろう。その上、結論を導き出してもその実現手段を果たして政府は持ちえるのだろうか?どうやって?
政府が民間会社にそれを強制的にやらせるのか?それとも国営?それとも補助金をえさに特定の発電方法に誘導するとでも言うのだろうか?
国営という選択肢は今回の保安院のだめっぷり。政府の対応のありえなさ。政・官・財の癒着のひどさを見た我々の多くにとってありえない選択肢であるのはいうまでもない。国がやれば大丈夫だ!という方は過去の総理の顔ぶれでも思い浮かべて信頼に足る人が何人いたか数えてみればいいだろう。また、官僚が様々な問題を起こしてきたことを考えてもそのことは明白だ。国がやったからといって長期的に民間よりも適切にリスクを管理できるとは限らない。
また、補助金を国がばら撒いて特定の産業を育てるというのであれば、また新たな利権を生み出し納税者の金を無駄にし効率性を毀損し市場をゆがめてしまうであろう。そもそも、産業政策はうまくいかないことは常識だ。その上に発電方法をめぐったむなしいイデオロギー論争が巻き起こることはいうまでもない。
イギリスでも風力発電や太陽光発電に大量に金をばら撒いているが、いまだに効率は悪い。また、それらをある程度あきれめて地熱発電にもっと補助金を振り向けてみてはどうか?という声もあるが、前述の二つの産業がどうも利権になっているようで難しいようだ。
ニック・クレッグ副首相の奥さん(弁護士)はたしか彼が副首相になった後にどこかの風力発電会社の役員か何かになった。風力発電に力を入れるのは今の政権の公約である。(日本だったらありえないだろう)
どこの国でも補助金ありきの産業政策は利権化を免れられないことは明白だ。
今回の電力不足騒ぎの中でわかってきたことが一つある。それは多くの人が思っている以上に企業が自前の発電設備を持っていることだ。
使えない「埋蔵電力」、東電の供給量に匹敵 (日経新聞)
上記の記事によると全国の自家発電による発電量は6000万キロワットで東京電力に匹敵。東電管内だけでも1639万kwで約550万世帯分に相当するというのだ。
また、何かの週刊誌で見たのだが、原油の価格にもよるが東電から電気を買うよりも自家発電のほうが安いという企業もかなり多いのだという。
我々は電力というのは規模のメリットが働くから出かければでかいほどいいと思わされてきた。また、(僕は送思っていないが)自然独占の産業だと思っている人も多かったはずだ。
しかし、現実はどうもそうでもないらしい。
また、朝田貴博さんのブログにはこんな記事もある。
脱原発の救世主は燃料電池
燃料電池は大規模化こそ容易ではないが、小さなものをたくさん分散配置するのには大変有利な発電方法である。だから自動車や小電力機器の電源として使われる。
家庭用は一戸分程度のものなら実用化されつつあるが、実は外国では千戸乃至数万戸分の発電能力がある物が長期運用試験に入っているという。
これが実用化されれば小規模な発電事業者が林立するということであり、発電者、分配者(販売者)、配電経路の保安管理者の三者体制になる可能性が高い。つまり地域独占企業である東電などの電気事業者が解体される可能性があるということである。
何だかんだと理由をつけて真面目に取り組んでいないことの背景には政府と電力会社の思惑が絡んでいると思っても間違いない。
また、米国でも、より小規模なマイクロ発電の有効性を説く声がかなりあるという。
僕は専門家ではないから、詳細はわからない。
しかし、そもそも歴史をたどれば、戦前は日本には数百の電力会社が乱立し自由競争のもとで電力を供給していたという。(もちろん、問題はあったようだが。。。)
そう考えるならば、東電のような大規模な独占企業が必ずしも電力供給を行う必要があるのだろうか?という疑問が沸いてくる。また、それを行わないことによって何らかの技術革新が進みより安全でより小規模な発電方法が開発される可能性もあるような気がしてくるのは僕だけだろうか?
また、今回の事故の原因のひとつには東電の官僚体質があることは明白である。原発村である原発部門は社長や会長ですら容易に手を出せずそのことが問題を大きくしたのだという説や逆に問題を起こし続けた原発部門出身者が派閥争いの中で排除され上層部にかなり減ってしまい、原発に詳しいマネジメントがあまりいなかったことが問題を大きくしたという話もある。
どこの世界でもそうだが、大きな組織は必ず官僚的になり腐敗する。それが地域独占のお墨付きを与えられて一定の収益を約束されて事業を行っているのならば自浄作用は働かなくなりなおさらその腐敗はひどくなるだろう。
そして、その結果、大きなツケを払わされたのが今回の事故ではなかったのだろうか?
多くの人が「送発電の分離」によって発電事業に競争原理を持ち込むことに賛成している。で、あるならば、どの発電方法がいいかと議論する必要はあまりない。
それよりも重要なのは政府から出ている電力事業への補助金をすべて撤廃し政府がこの分野から手を引くことである。これは送発電の分離以上に困難が伴うだろう。敵は官僚・学界・電力にかかわる産業すべてになるからだ。クリーンエネルギー利権を手に入れようと手ぐすねを引いている輩も多そうだから、相当大変だろう。
そして、東電は送電と発電に分離などといわずにすべての発電所を個別に入札方式で売り渡してしまえばいいのではないか?その上でまずはモデルケースとして東電管内を電力自由化特区とすればよい。
そうすれば、より小規模な発電業者がどんどん生まれてくるだろう。その中で競争原理が働きイノベーションも期待できる可能性は高いのではないか?(もちろん、結果的にはいくつかの大企業による寡占になる可能性はおおいにあるし、それはそれでいいだろう)
当ブログでは事故当初から繰り返し書いているが、「政府のお墨付きによる独占企業による支配を終わらせ」、「政府による電力事業への関与」を一切取り払うことこそが一番大切である。
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