うちの会社のリサイクル物破棄箱の上には、よく古い本が破棄されています。
技術書籍に目がない私は、ちょっと興味深い本がそこにあると、つい頂いてしまいます
それで、先日見つけたのが以下の本。
「TURBO C++」の入門書!
あまりマニアックな話はできるだけ控えるよう努力しますが
(でないとこの手のネタは永遠に書き続けられますので)、
これは30年くらい前に、当時物凄く流行っていたコンピュータ言語である「C++言語」の入門書ですね。
中を見ると確かに1992年の書籍ということで、32年前のものということになります
32年前の本にのっているサンプルプログラムが、今でも動くのかどうかちょっと興味深くて、
適当なサンプルを本からスキャンして
(※Windows11 のスニッピングツールには OCR機能がついているので、画像データの中に写っているテキストデータを簡単に取り出せて便利です。ご存じなかった方でお試しになりたい場合は、画像をスニッピングしたのち、以下の四角いアイコンをクリックすると、すぐに文字データをスキャンしてくれます。)
そのサンプルをそのまま Visual Studio というプログラミングツールに張り付けて実行してみたら・・
動きました!
まあ、30年たってもC++言語はC++言語であって仕様が大幅に変更されたわけでもないので、そりゃあ動くに決まっているのですが、
なんだか嬉しいですね
ただ、これをやりながら思いましたが、
紙の書籍を使ってコンピュータ言語の学習をする機会というのは、今はもう極めて限定的なことになってしまったかと思います。。
例えば、現在私はKQL(Kusto Query Language)という言語をほぼ毎日使っていますが、
これを学ぶにあたって、紙の書籍は一切使いませんでした。
というか、そもそもKQLの本というのが出ているのかさえも知りません。
すべて、オンラインヘルプみたいなコンテンツや、チュートリアル動画みたいなものだけで学習し、
あとは自分で実験したり失敗を繰り返したりしながらマスターしたと思います。
もちろんKQLに限らず、少なくともこの約5年間、アメリカに来てから学んだコンピュータ系の技術は100%オンライン系のコンテンツ・動画・実験だけで学んできました。
これは、ある意味効率がいいという見解もあると思いますが(全部無料で学習しましたしね)、
一方で 寂しい気持ちもあります。
元々 私はあらゆることを本で学んできました。
例えば、「C言語」(上記のC++言語の前のバージョンみたいな言語)というコンピュータ言語をマスターするために、
数えたことはありませんが、少なく見積もっても軽く100冊以上の本を購入し、
掲載されているサンプルプログラムを改造したりしながら学んで、
結果、極めて深いレベルでC言語を理解することができ、(専門学校の教師だった頃)
「C言語を教えさせたら、誰よりも分かりやすく教えられる」と勝手に自負していました
(ただのバカですね)
・・とにかく当時は、本屋さんで いい本を探すのがすごく楽しかったですし、
どこへ行くにも本を2~3冊持って行って、隙間時間は必ず本を読んで、
その積み重ねが今の自分を支える土台となっているので、
言ってみれば「本が私の人生の基盤」といっても過言ではないほど、本を活用してきました。
なので、例えば上記のように、KQLという言語を 本を使わず学んだというのは「深い味わいがない」気がします。
そしてその「深い味わい」の正体は、たぶん自分の頭の中に焼き付いた、本のビジュアルだと思います。
例えば、「C言語の、ポインタの、この形」を使う場面に出くわした時、私の中では 過去にその形が出てきた本の表紙と、それが掲載されていたページのビジュアルがフワフワと頭に浮かんで すぐ活用できるのですが、
KQL(本を使って学習していない)だと、そういうビジュアルが浮かばないのです。
・・だからオンラインコンテンツをやめて紙の書籍にしよう、というつもりもありませんが
(そもそも今 技術系のオンラインコンテンツを出す仕事をしているのに、それを否定するとか あり得ませんけどね)
紙の書籍は筆記用具に例えるなら「万年筆」みたいなもの、今どきの高性能なGELボールペンなどの方が実用的なのは明らかですが、そういう実用性とはまた違った「深い味わい」のあるもの、そして、数値化できない部分での意義があるものなのかと思います。