うちの会社の最初の製品 | 55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

一昔前なら定年を意識する年齢ですが、家族で夢をかなえるために2019年4月に渡米、現地のIT企業のソフトウェア開発部門のエンジニア・PM(プログラムマネージャー)として挑戦しています。

先日 うちの会社のビジターセンターに行く機会があり、この会社の「最初の製品」の実物を見ました。

紙テープ媒体に記録されたソフトウェアですねsmile


この製品は、1970年代のコンピュータで動作する、プログラミング言語「BASIC言語」の処理系です。

これを動作させた状態で、例えば「PRINT 5+3」と入力してエンターキーを押すと 8 と表示される、みたいな動作をしていたそうで、

50年前の当時としては それは驚くべきだったというこで、

この製品、99000ドルで売れたそうです。Surprise
1ドル百円換算だと990万円です

作ったのはもちろん、いまでも世界中から カリスマ中のカリスマとして崇められている 天才エンジニアであり天才経営者だった初代社長です。(社員は最初は二人

そんな彼の当時の名刺も展示されていました。
タイトル(肩書き)は President となっており、CEO とはなっていませんでした。


・・思えばうちの会社って、最初はこういった「コンピュータ言語」のソフトウェアを作る会社としてスタートしたのですよねsmile

私自身も、「コンピュータ言語」のソフトウェア製品を作るという まるで天上界の出来事のような世界の、ほんの片りんでもいいから関わってみたくて23年ほど前に この会社の日本法人に応募したのでした。

当時流行っていたのは、「Visual Basic」とか「C++言語」とか、はたまたインターネット上のWebサーバーで動作させるのが比較的簡単だった「Perl言語」などだったと思います。

しかし私が学生時代に学んだコンピュータ言語は FORTRAN とか COBOL などの大型汎用機用のものだったので、ほとんど別物だったのですが_

それでも、学生時代に学んだアルゴリズム構築力は 例え言語が変わっても、応用することが可能でした。


さて、入社当時は「金の生る木」の一つだった「コンピュータ言語」の製品群ですがlaugh

時は流れて今では基本的に無料で手に入る時代になってしまいました_

AIエンジンの構築によく使われるPython言語ツールも、昔はプロ版だと10万円以上していたVisual Studioも、今は無料ですからね。。
※Visual Studioに関しては、商用利用するためのバージョンは有料のようですが


・・二十歳くらいの頃、当時定価10万円、秋葉原の安い店で7万円くらいで売られていた「C++言語コンパイラ」製品を、有り金すべて突っ込むような無謀なことをして購入したりしていた私としては、

何とも言えない心境です_


いずれにしても、こうして原点回帰的に この会社の始まりを振り返ったり、

自分自身がこの会社に最初に入った時のことを思い出すのも、時には悪くないと思います。

私は単純なのでlaughコンピュータ言語のことを考えるだけでワクワクしていた頃のことを思い出して、やる気になっています。ニコニコ