アメリカにいても、先祖はしっかり祭るべし | 55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

一昔前なら定年を意識する年齢ですが、家族で夢をかなえるために2019年4月に渡米、現地のIT企業のソフトウェア開発部門のエンジニア・PM(プログラムマネージャー)として挑戦しています。

うちでは、アメリカに移住してきてからも先祖の位牌を大事に祭っています。

仏壇こそありませんが、簡易仏壇の代わりになるような木の箱に透明アクリル板のガードをつけて位牌を配置し、

毎日 うちの奥さんが一緒にご飯とお水をあげて祈ってくれるので、毎日朝晩 父・母・祖父・祖母を位牌の前で思い出しています。

ただし、祖父の「思い出」というのはありません。

というのは、祖父は戦争で若くして亡くなってしまったため、私は一度も会うことがなかったからです。

それでも、実家に飾られていた祖父の遺影の顔は鮮明に覚えているので、イメージすることはできる状態でした。



ところが私は、今まで大変な失態を犯しておりました。

それは、実を言うと祖父の名前を今まで知らなかったもしくは覚えていなかった)、ということです。OMG

位牌は毎日見てきたので、戒名はわかるのですが、生前の本名の方を覚えていなかったのですOMG

実は自分でも、最近まで自分の祖父の名前を憶えていないことを自覚していなかったのですが、とあることからそのことが明るみになり、その時話をしていた方から「それは非常にまずい!」と指摘されました。


・・しかしよく考えてみれば、2親等の血族の名前を憶えていないなど、言語道断ですよね OMG

今にして思えば、私の祖父は、私に対して怒っていたのかも知れません。

私の両親が生きていたころは、両親が一生懸命先祖を祭ってくれていたので良かったのだと思いますが、

両親がいなくなって、私が先祖を祭る必要が生じて(※私は兄弟もいないので、すべて私がやる必要がありました、毎年うちの奥さんと子供と一緒にお墓参りに行っていたのですが、

不思議なことに、お墓参りのために故郷へ行くたびに、毎年そこであまりよくないことが起きていたのです。

・・故郷の駅に着いたくらいから突然右腕の関節が激しく痛んで、その日一日は右腕をまともに曲げることもできなかったり

・・私は基本的に車で事故を起こしたりぶつけたりしたことはありませんが、なぜかその日駐車場で隣の車に擦りそうになり、「あたった」「あたっていない」で口論になってしまいました。(結局当たっていないという事で落ち着きましたが、とても嫌な思いをしました



もちろん、本当のところはわかりません。

祖父が怒っていたのか、単純に私の不注意がその帰省時に重なったのか、わかりません。

しかしいずれにしても、祖父の名前を憶えていないなど、やはりあってはならないことですよね。

うちの奥さんも、「もっとしっかり祭るべきだ」と言ってくれて、

とりあえず祖父が、日本国から受けた白色桐葉章をしっかりした額に入れて飾ることにしました。



この白色桐葉章の証書、もちろん日本から持ってきたものですが、何のケースや額にも入れずそのまま別の紙で包んで持ってきただけという、これまた非常識な状態だったのです OMG

本日、画材屋さんで以下のフレームを購入し、(ちなみにこちら約46センチ×61センチと大きいものでしたが、$25ドル程度でした)位牌の配置されている場所の近くに設置しました。



なお、当然ではありますが私は祖父の名前は即調べてというか位牌の裏に書いてありますよね。。)、今はもちろん完璧に覚えております。

祖父の名は、ひいき目なしに強い男の象徴のような名前です。
本当に、ヒーロー漫画の主人公にでてきそうな名前です

きっと、強い人だったんだろうな と思います。

私はとても、祖父や父のような強さは今はまだ身につけられていませんが、少しでも近づけるように努力を貸させないといけませんね。