PHP 5.2.11 install 試行失敗
PHP 5.2.11が出てきてだいぶ経つ。更新しようと思ってinstallしてみたが、うまく動かない。
多分、5.2.10の時と同じようにPECLのモジュールがないよ。ってのが理由だと思うんだけど、
よく分かっていない。
っていうか、PHP.exeがインストールされていない。
???
これはApacheを停止するのを忘れてinstallしたせいだと分かった。
リトライしてみるが、うまく動作しない。
正確に言えばapacheが再起動しない。
PHPをinstallするときのapacheの指定箇所を間違えたか?
httpd.confのある場所を指定しろ、となっているがconf直接ではなく、その上を指定していた。
(前はそうだった気がしたので)
そこでconfを直接指定してみたが現象は変わらず。
とりあえずあきらめ。
5.2.9-2を再インストールする。
apacheの指定箇所をconfにしてみたが、やっぱりおかしい。
記憶にあったとおり、apacheの場所に変更する。
問題なく動作。
やはり記憶が正しかった。忘れないため今これを書いている。
phpunitの動作確認。dllがあかんといわれる。バックアップしてあったphp.iniをコピー。
問題なく動作。やっぱりバックアップは重要だと今更ながら思い知る。
しかしこのままではいつまで経ってもPHPが更新できない。
困ったものだ。
「問題は「官僚支配」ではない」が大変おもしろい件について
”あらたにす”というWebの記事があります。
新聞社何社かが集まって作成しているようでいろいろな人がいろいろな立場で大変勉強になることを書いている記事です。今日の「問題は「官僚支配」ではない」が大変興味深かったのでご紹介します。
http://allatanys.jp/B001/UGC020004820090908COK00381.html
短い文で大変内容が濃いのであまり引用するとコピペになってしまうのでかなりはしょって書きます。
その関連で何か誤解を与えると遺憾ですので興味を覚えた方は原典をご覧ください。以下「」内は原則引用部分です。
官僚支配の定義として
1)「自己に有利な争点だけを選別して政策決定プロセスに持ち込み、審議会等を隠れ蓑にして、実質的な意思決定を行い、法律の立案も担うことによって、官僚が完全に政策をコントロールしている」
2)「族議員と官僚との複合体により、既得権益・天下りシステムが保持され、官僚はいい思いをする一方で、国民不在の政策や度重なる不祥事が生じてきた」
の2点を挙げています。
それに対する反論というか愚痴というか(この人は財務省出身のようです)で、
あ)「自分たちで思うように意思決定ができておれば、今のような巨額の財政赤字は積み上がっていないし、消費税率も10%にはなっているはず」
い)「入省間もない若手が政治家に転身するが、(私が略)自ら力を発揮したいと思うからだ」
と、おっしゃっています。
また具体例として、
例証1)「長年関与してきた歳入予算・税制の意思決定方式を見ても、自民党税調の幹部が、党の政調各部会から出てきた税制改正要望を、一つずつ○だ、×だといって査定、つまり最終決定をしており」
を挙げています。
さらに官僚支配批判には2点の論点が混在していると指摘し、
a)「政府における最終的意思決定の責任が不明確化している」とする「官僚内閣制批判」
b)「バブル経済に対する適切な財政・金融政策をとらず、バブル発生を許容し、崩壊過程における不良債権処理を長引かせ、「失われた10年」と称される経済失政が生じたこと、その後の霞が関不祥事、年金記録問題、官製談合にはじまるかずかずのスキャンダルが、官僚制度への国民の信頼を大きく損なわせたこと」
を挙げられています。b)は少し長いので私なりに意訳すると”経済運営に失敗したこと、その後発覚したスキャンダルが信用を失墜させたこと"に対する批判、ということになるでしょうか。
大まかに言えばa)が1)に対応し、b)が2)の後半に対応している感じに見受けられます。
さて、つっこみどころ満載です。釣りでしょうか?
釣られます。
愚痴:あ)については官僚というのは財務官僚だけではないと思います。”官僚”の定義としていわゆる”キャリア”の方々を指すとしても警察や国土交通省の方や、気象庁の方もいます。従って「官僚が完全に政策をコントロールしている」ということと「今のような巨額の財政赤字は積み上がっていないし、消費税率も10%にはなっているはず」が矛盾なく両立します。実際のところは「官僚が(互いにあちこち向きながら)完全に政策をコントロール」しようとして、経済における合成の誤謬のように、官僚総体の意志として「今のような巨額の財政赤字」が積み上がっているのだと想像します。
愚痴:い)への反論は”今の若い方々の離職率は少し前より大変高い”、と聞いております。それと比較して高いかどうかを判断しなければ議論になりません。もちろん、”官僚というものは民間とは違い、大変やりがいのあるもの、もしくは役得のあるもの"であるから民間とは比較にならない、というのであれば物差しもまた変わってくると思いますが。
そしてまた例証1)が大変おもしろく、もう一度上を読んでいただくとして
疑問1)国家の意思決定(歳入予算・税制の意思決定方式)を、与党とは言え国家の機関ではない私的団体の幹部(自民党税調の幹部)が、何で「最終決定」する権利があるのか?
疑問2)曖昧になっているがそもそも「税制改正要望」を作成したのは誰か?
これらの疑問に記事を読んだ方が解答を求めていくと何が問題だったのか、もしくは問題なのか、について大変理解が深まると思われる示唆に富んだ文章になっています。
記事の最終ではb)の問題は「官僚支配」の問題ではなく「官僚の質の低下」の問題とされています。対応策として無駄な雑務を減らし、専門化せよというご意見のようです。大変結構ですがここでまた疑問が。
疑問3)「官僚の質の低下」とは能力の低下か、徳の低下か、はたまたその双方か。b)の私の意訳では双方ということになるのですが、失われた十年は官僚の遂行能力の向上で回避できたのでしょうか?また、専門性を上げることと徳の向上は無関係と思いますがいかがでしょうか。
疑問4)本当に官僚の質は能力、徳の観点から低下したのか?
疑問5)能力として優秀な官僚は必要か?もちろん専門家である以上、一般人より優秀なのは当然として専門家の中でも特に優秀である必要はあるのでしょうか?(前世紀の前半が無能だったかどうかは知りませんが)前世紀の後半はそれがうまく駆動したことは認めます。しかしそのことは今後の成長の担保にはなりません。ちょうど金融商品のグラフに”このグラフは過去のパフォーマンスを記したもので今後の利益を保証するものではありません。”と書いてあるようなものです。
疑問6)徳という意味での「官僚の質」とは何か?
私の乏しい経験と理解力によれば以下のような解答になろうかと思います。
解答3)失われた十年は官僚の責務ではない。バブル崩壊の引き金を引いた方法については議論があるものの、所詮バブルは崩壊する運命にあった。”崩壊したこと”そのものについては何ら責任を負う必要はない。ではそれが十年(二十年近にくなろうとしていますが)続いたことについてはどうか?
解答3続き)問題の小さいうちに大胆にメスをふるうのは政治家の責務であって、官僚の責務ではない。官僚の責務はアラートを上げることであって対処することではない。当時アラートを上げたのかどうか寡聞にして知らないが、業界と「族議員と官僚との複合体により、既得権益・天下りシステム」を保持するためにアラートを上げない、もしくは握りつぶしていたのなら、それは能力ではなく、徳の問題である。つまり、経済失政ではなく緩慢な経済的虐殺である。
解答3.5)もちろん能力の向上と徳の向上に因果関係はない。ただし、能力の向上によって他者に認知されることによって自らを躾けることができる可能性はある。ただし、このことは自我の肥大化している人間には当てはまらないことを考慮する必要はある。
解答4)官僚の能力は低下していない。どのような組織も三十年もたてば時代に合わなくなってくる。能力が低下したのではなく、必要な能力が変化しただけである。官僚機構は本質的に自己変革能力に乏しい傾向にあるが(フットワークの軽い政府なんて迷惑だ)この国も同様であることは省別の予算割合が心停止していることから伺える。
解答4の続き)官僚の徳は低下していない。官製談合はゼネコンが談合を仕切らなくなったためと聞いているし、そうであればそれ以前から官僚は知っていたはずである。黙認と公認では犯罪の構成要件としては大きく異なるが倫理的には大差ない。また、破綻しつつある年金システムは時代に適合した優秀な官僚が作成したものであるし、このシステムが長周期のネズミ講であることは最近の官僚の所為ではない。強いて言えばそれを知りつつ塗固し続けていることが罪である。
解答5)既存の優秀さは必要ない。どこよりも早く高齢化社会を迎え、経済の規模は拡大しない社会。80年代と意味は違えどそういう意味ではトップランナーだ。ロールモデルのない場合、官僚機構がうまく働かないことはつい最近学んだはずだ。必要なものは試行錯誤で緻密な計画じゃない。一人あたりの経済の規模を拡大することを目指し、原則禁止ではなく、原則容認の社会へ舵を切っていく必要がある。そういう時代の変化を納得できる人材が必要と思うが、それはテストで計れるようなものではない。
解答6)”良心に誠実であること”だと思います。大変難しいことだと思いますが権限の巨大な組織から自らを削ってスリム化することが必要なこの時代にはどうしても必要なことだと考えるのです。ここで言うスリム化とは必ずしも小さな政府を意味しません。ふくれあがる社会保障費を支えるためにありとあらゆる無駄を削り、ひょっとしたら必要なところまでも削らなくてはならない、そんな時代に対応する方策を指します。
さて、異常に長くなりました。長すぎです。疲れました。最後まで読む人なんているのでしょうか?はなはだ疑問ですがここまでおつきあいいただいた方へ最後までお読みいただいたことに感謝します。
Digital native & Digital divide
今回は少し毛色が変わって随筆的なものです。
技術的なものを期待されていた方がいたらごめんなさい。
表題の2つの言葉、どちらも割と新しい言葉です。知らない人もいるかもしれません。こういう言葉は一人歩きをしていて同じ言葉でも人によって意味づけが違うことがよくあります。そういうときは話をしていてもかみ合わないので実に非生産的です。飲み屋で飲んでいるときはそれでもいいですけどね。そういうわけで少し言葉の意味を調べてからここに書くことにしました。
デジタルデバイド
元は1999年アメリカ商務省の造語だそうです。
外務省 によれば
・国際格差(先進国-発展途上国)
・ビジネスデバイド(大企業-中小企業)
・ソシアルデバイド(wikiのデバイド定義に相当するもののようです)
の3種類あり、これが一番包括的な枠組みだと思います。
ちなみにWikipedia によれば
・経済格差(によるアクセス範囲・^速度の格差)
・地域格差(によるインフラ整備の格差)
・個人的格差(によるアクセスへの動機付けの格差・世代間格差を含みます)
の3種類で情報入手の範囲、速度の格差を指すようです。
総務省のHP だとインフラ整備のことしか出てこないのでソシアルデバイドの地域格差を指しているようです。
goo辞書だと国際格差を含む経済格差を意識している感じ。
個人的には外務省の定義とwikiの定義を組み合わせてどこに焦点を当てて話をしているかの合意がとれればそんなに問題ない感じです。ここではデジタルネイティブとの関係について述べるのでソシアルデバイドの個人的格差を指していると思ってください。
デジタルネイティブ
どこかの誰かが言った、という情報はあったのですが「いつ」という情報が見つかりませんでしたのでとりあえず原典は無視します。調べた感じではデジタルデバイドよりも新しい言葉のような気がします。そのため定義の情報が少なく、wikiの記述 で特筆すべきものはその特色として以下が挙げられていました。
・現実の出会いとネットでの出会いを区別しない。
・相手の年齢や所属肩書にこだわらない。
・情報は無料と考える。
これらがどこまで正しいかわかりませんが、1番目はとてもいいことだと思います。経済的、趣味的そのほか任意の特質について地理的制約を無視しある程度のレベルの人にアプローチできるのは技術の発達のおかげです。実空間のアーキテクトにこだわって自ら交流範囲を狭めるのは賢い選択だとは思えません。
2番目は現在彼らがまだ若いことに起因していると思います。昔も若い人はそうでした。それは技術と関係なく、若さの特権であり、未来の拡張性の担保になるものです。もしも彼らが年をとり、さらに若い世代が自分の上司なり、何になった段階で世代としてそのような特質を持っているとしたら確かに彼らの特質と思いますが。
3番目は本当だとすると正直あまりかんしんしません。技術の発達は情報の流通コストを著しく下げました。従って既存のメディアの情報の値付けは本来の情報の価値と乖離していると考えても無理はないと思います。しかし単なる既存の情報の組み合わせではない情報の作成にかかるコストが著しく減少したとも思えません。あまり健全ではないでしょう。(TVでたまにある夕刊やスポーツ新聞の記事の紹介はただで充分です。というか新聞社側にお金を払う必要があると思うのは私だけではないと思います。払っているのかな?)
さてだいぶ横道にそれました。要するにPC、ケータイに代表されるデジタル端末、技術を既存のコミュニケーションツールとして当然のように扱う人または世代を指すと思ってください。
日本語のネイティブといえば生まれたときから日本語を話す社会に生まれて、日本語を既存のコミュニケーションツールとして当然のように扱う人を指すのと同じです。
ここからが本題です。
昔話になりますがとある企業に新人として入ったときのこと。その部署はC++使ってPCアプリを作っていました。配属して3ヶ月くらいはふらふらとしていましたがいつまでもそうしておく訳にもいかないのでしょう、社内で使うツールの作成を頼まれました。かなりいい加減というかおおらかな会社で設計からコーディング、テストまで一人で任されます。正直困りました。私は会社にはいるまで授業でプログラミングをしたことぐらいしか経験がないのです。C++とかCなんか使ったこともありません。
つまり私の社内における立場は同期と比較しても弱者の方の立ち位置です。情報工学なんか習ったこともありません。このままでは困ったことになります。しかし幸いなことに私の一つ上に毎週末秋葉原に通うのが趣味で「秋葉に行けなくなるから転勤はイヤ」というほどPCジャンキーな人がいました。私は彼から様々な情報を吸収し、幸いなことにツールは大きな問題もなく、無事運用されました。ありがたいことです。
しばらくすると私はあることに気がつきました。PCジャンキーな彼はPCがすきで知識も豊富で手足のように使いますが(こういうと語弊がありますが)それだけなのです。あたかも手先が器用な人が器用なだけで何も作らないことに似ています。むろん、仕事なのでプログラムを作成しますがインプットがコード化されてアウトプットになっているみたいなのです。コード化+αがなければ仕事ではないのではないでしょうか。この体験でデジタルツールを器用に使う人がただそれだけでは何かを生み出す保証はないことを想起するのは私だけでしょうか。
デジタルネイティブは強みです。ただしそれだけでは現時点でも便利な使い走りで終わる程度の強みです。そしてあなた方が成長するにつれデジタルネイティブは数を増し、経済のグローバル化はあなた方の成長速度以上にその強みを打ち消していくでしょう。デジタルツールを器用に使って何かをすることがこれから必要なことなのではないでしょうか。
デジタルネイティブでない普通の人にとってはデジタルツールは「必要」とまでは言いませんが、あれば貴方の世界を広くしてくれます。「ネットは馬鹿と暇人のもの」という有名な本がありますが(すいません、読んだことないです。題名だけ知っています。)そういう側面はあります。ただし一つだけ知っておいてほしいのは誰も貴方をネット上のそんな場所に連れて行くことはありません。細かいことを言えばセキュリティの問題はありますが、実空間でも貴方がいかがわしい場所を知っていてそこに近づかないようにすれば問題ないように、ネットでも同じことがいえます。そういうところに行かなければいいだけの話です。まずい、と思ったら引き返しましょう。
蛇足:
選挙も終わって次の政権ができる合間の時期なのでついでに言及しておくと、地域格差の解消については国が主導権を持って推進してほしいと思います。今後10年、どのような政権ができようともです。地域格差の解消は疲弊した地方の経済的自立を促すための長期的な処方箋として有効だと考えています。(蛇足の蛇足:地方分権が華やかりし時代ですが自立には責任が伴うことを納得して話を進めているのでしょうか?どうも疑問。)経済格差についてはこの国では孫正義さんが大きく貢献してくれたと思います。だんだんと世界に追いつかれつつありますが。このリードを使って今のうちに何かをしないとかなり辛くなると思います。
これからの日本は様々な人の知恵ができるだけ速やかに普及し、それが(高額でなくても)確実に利益になる体制を構築することが大切だと愚考します。その観点に立った規制緩和、法制度の整備など国にできることはまだあると思います。できるだけ速やかに不要不急の仕事は投げ打ち、優先順位の高いものから手をつけてほしいと思います。もうそんなに時間は残されていないでしょうから。
おまけ
NHKのデジタルネイティブ度チェック
私は45点でした。
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