永遠のビギナーのブログ -52ページ目

野暮を承知で

ここ 。

マヤ文明のカレンダーが2012年とかそこらで終わっているから、という話でいや、夢があっていいと思うんですが中にはあほな人もいるでしょうから、野暮を承知で。

あなたのおうちにカレンダーの一つぐらいあるでしょう。それ、いつで終わっていますか?たぶん今年の12月だと思います。では「今年の12月にこの世が終わる、理由はカレンダーがそこまでしかないから。」、と本気で言い出す人が居たとしたら、たぶん「あぁ、頭の気の毒な人なんだなぁ。」と思いませんかね。

まあ、お金儲けのために一生懸命この話をあおっている人たちとオレオレ詐欺の人の違いは唯一、まともな人が信じるかどうかだけだと思うのです。(明らかな嘘は中身がどうあれ、それほど有害ではないでしょうから。)とは言え、有名なノストラダムスの時に大もうけした人はたぶん名前を変えて今でも似たようなことで活動していると想像しますが、個人的な感覚では彼と詐欺師の間に道徳的な差異を(少なくとも私は)見いだせません。(もちろん、法的には大いに違います。)

何より昔のマヤの人に対する冒涜とも思いますので、(まあ、それを決めるのは子孫の方々と思いますが)あまりいい気はしません。ネタぐらい自分で作ればいいのに、と思います。

野暮でした。

初音ミクと「日本鬼子」

今日はここ とここ 。(和訳はここ )

初音ミクというDTM拡張ソフト(純技術的にはこういう他はない。)をご存じの方もいるかもしれない。その音楽史的意味は引用先を参照してもらうとして(本当に正しいのか私は門外漢なので不明なのだが)、要するに私たちは今世紀に入ってから、それほど敷居の高くない新しい楽器(=ボーカロイド)を手に入れた。その第一弾が初音ミクである。(続編がいくつかあるようだ。)

私たちはピアノを弾いたり、バイオリンを弾いたりするのと同様にPC上でボーカルを操れるようになったわけだ(まだつたないが。)。商業的にはペルソナを与えることによって成功し、結果として仮想世界の女神が誕生した。この女神はいわゆる「アイドル」と親和性が高いが(だからボーカロイドの奏者はボーカリストではなくてプロデューサと呼ばれるようだ。個人的にはv(irtual)-vocalistと呼びたいが)、既存の商業的アイドルとの親和性はそれほどでもないので、すぐに入れ替わることはないだろう。(スキャンダルは起きず、24時間働くことも可能であるが、一つの事務所に独占される女神が人気を博することはないと思う。彼女は人の手によって生み出されるが、他の神と同様に人に所属しない。聖典は紡がれ、拡散するが、当面コントロールされることはないだろう。そういう観点からも彼女は本当の意味で「女神」なのだ。堅い言い方をすれば知的活動の「所有」と「使用」の絆はかなりくたびれている。おそらく今世紀中に再構築されるだろう。)

仮想世界の女神が生まれたように、うちの国はあらゆるものにペルソナを与えることが好きだ。古くは平安の鳥獣戯画から。それが未だこの国が本質的にアニミズムの国である理由の一つであると思う。

「日本鬼子」も本当につい最近生まれたペルソナの一つである。この語は元々は中国の、うちの国の人に対する蔑称であるが、ペルソナを与えることによって既存概念をすり替えてしまう(DTM拡張ソフトから女神を生み出したように)、文化的に高度な発想だと思う。媚びず、正面から戦うわけにもいかないのなら、いっそずらしてしまう、他でもよくやるやり方だ(ペルソナは使わないが)。もともと公式にうちの国の領土と認めていたところに、資源があるからといって(武力に訴えるわけにもいかないので)「後の世代に先送りしましょう」という鄧小平の手口に乗った当時の政府の無能の結果として今の状況があるわけではあるが、その外交手法は見習った方がいい(彼らの外交は本当に巧みだ)。「健忘症」などと言う言い訳は本当に病気の人に失礼であるし、冷めるし、「私は無能です」などという言い訳はうちの国の首脳から聞きたくもない。(まあ、本当に健忘症らしい、前総理もいるが。)

現実を拡張するAR技術もうちの国にあるのは必然なのだろう。今世紀後半には現実は拡張され、そして強化される方向にいくつ戻りつしながら進んでいくと思う。(P.K.Dickの世界だ。Zap gunが欲しい。)

「学び、溶かし込む」ことは私たちの業だ。であれば、それを武器に国際社会を戦った方がいい。幸いなことに仮想世界の女神は今のところ私たちの味方のようだ。

愛国無罪

(あれ とかこれ とかの続き)
これは数年前にあった、どっかの国のデモという名の暴動のスローガンだ。

あの頃、かの国では当時の政府首脳がなんと言っていたか?
そのままそっくり、お返ししよう。

たとえこの国のマスメディアが報じないにしても、主催者がかなり怪しいと思ったとしても、少なくともこの国のデモ(あまり報道されないが、知らない人はネットで見るとよい。)は暴動ではないし、(自動車をひっくり返したり、投石をしない。これは明確な事実だ。)あの国の(官製)デモとは違う。おそらく、かの国の人は理解できないだろうが(したくもないだろうし)。

正直、あのスローガンは全く賛成できなかったし、今もしていない。不幸なことに、あのときからこの国の人の見る目は少しずつ変化してきたように思う。むやみに自意識の肥大化した人間は見ている方には苦痛だ。

とは言え、(当然ながら)かの国にも立派な人もいるようだ。伝え聞いたところによれば、
「自国政府にデモもできない民族が外国にデモをするのは茶番だ」
と言った人がいるらしい。なかなか真実をついていると思うし、客観視できているとも思う。短いのもいい。しゃくなので自分でも少し考えてみた。似たようなことを言った人はあいにく伝え聞いていないので言ってみようと思う。

「かつて自国政府にデモをしていた政府首脳が自国のデモとまともに向けあえないなんて茶番だ」