永遠のビギナーのブログ -49ページ目

think, think, think please.

二日ほど前、悪意と理不尽な暴力がこの国近くで吹いた。幸いなことに今のところ拡大する様子を見せてはいない。今後の展開などの予想もあるが、ここではやめておこう。別に予想屋さんでもないし。
大事なのは4日前に書いた ように、「身を守るには何が必要なのか」ということをもう少し真剣に考えた方がいい、ということだ。

この世界に悪意がある限り、「暴力」それ自体は善でも悪でもないと思っている。(行使された暴力は色づけされているかもしれないが。)

私の意見は4日前と特に変わりはしない。この記事は再度「考える」ことをお願いする記事だ。
考える前に4日前の記事を読んでいただければありがたいと思う。

「暴力」という単語について一考察

夕方、浜辺を散歩していると数名の男に何処へともなく沖へ連れ去られる。

休日昼間、繁華街を歩いているとトラックで突っ込んでくる。降りてくれば包丁を振り回す。

どちらも聞いたことぐらいあるだろう。こういう輩が現実に存在する世界で「暴力が不要だ」、などとぬかす人間に(少なくとも私は)統治を任せたくはない。

世界には残念なことに悪意が存在する。それから身を守るには(私は守りたいのだが。普通はそうだろう?)暴力は必要なのだ。おそらく「暴力」という単語には普通の人が聞いたときに「(理不尽な)暴力」というニュアンスがあるのだろう。まあ、ある意味では当たり前のことだ。今の日本で多くの人は「法が有効に機能する場で、まずは法に従って生きている」のだから。当然そういう人に降りかかる暴力はたいてい「理不尽な暴力」になる。(多くの場合は犯罪者によるものであろう。)

しかし、上の例のように、「法が有効に機能しない場」や「法に従うつもりのない人」はある限度存在する。
これらから身を守るにはどうしても暴力は必要なのだ。

この場合暴力のあり方には2通りのあり方が存在する。
一つは「各人が個人で身を守る」対処法だ。(庭に入ってきた分からないやつは俺が撃つ、対処法)
もう一つは「誰かにその権限を付与する」対処法になる。(庭に分からないやつが入ってきたから警察に電話する、対処法)
人間は現代社会を作る過程で、より後者に移行してきたわけだ。その現代社会における暴力の付与された形態の一つに「国家」がある。だからその暴力による結果は本来、私たちに責任がある。

戦前に対する忌諱の念からか、私たちは少し「暴力」(または「力」)という単語に過敏に過ぎないか。「暴力」は力(ちから)の一形態に過ぎない。その取り扱いは(独占させているが故に)慎重を要するが、蔑むものでも忌むものでもない。理性と良心によって取り扱うべきものである。

見たくないから見ないとしても、存在するものは決して無くならない。(まあ、人情ではあるのだが。)
そして、「見たくないから見ない」という処世術はかえって危険を呼ぶことも多い。
懸命に探してまで見る必要はないが、見えてしまったときにはきちんと考えましょう。
それが安心して長く暮らせる秘訣である、とも思うのです。

ライブラリの使い方 in Windows7

Windows7の新しい機能に「ライブラリ」がある。もう既にいろいろなところで書かれているが、明確に使用方法を書いたものを見かけていないのでかなり慣れたことだし、少し書いてみようと思う。(見てないだけだと思うが。)

いろいろなところで書かれているように「ライブラリ」とは仮想化されたフォルダーだ。
ライブラリを使う上で重要なのは、何が「仮想」で何を「実体」にするかをよく考えておくと混乱が少ない。

特にこだわりがない(またはよく分からない)なら、一般的にはデータの種別で実体を分けて、問題別に仮想でまとめた方がいいと思う。要するに、ソフト開発プロジェクトなら実体を要件定義書、仕様書、ソースコード、etc.で分類し、配置する。

ex.
実際のフォルダー
[要件定義書]-[Project A]
[仕様書]-[Project A]
で構成し、Project Aのライブラリを作成してそこからアクセスする。

ライブラリ
[Project A]-[要件定義書]
-[仕様書]
こんな感じで。

書類別で実体を分けるのは、その方が基本的にデータ特性が合致する事が多いからで、一括して保存やらバックアップの手間を考えると、楽なのです。まあ、何も考えず全てを頻繁にバックアップするなら分ける意味は少ないのですが。

まとめ:
何を仮想化するか、何を実体とするか考える。
分からなければ、問題ごとに仮想化して(解決した問題は解放できる)、書類を実体化しておくと法的保存期間とかに対応しやすい。