永遠のビギナーのブログ -32ページ目

Mac miniのVNCと109キーボード

Mac miniをサーバにしてWin7からアクセスするのに(デフォルトだから)VNC経由でアクセスしようとするとキーボードを正常に認識しない。それならまだしも設定項目すら存在しないからありきたりでは変更のしようがない。([設定]の[キーボード]から変更はできない。)

いろいろ調べてみた が、自分の環境下では正常に動作しないものばかりであった。最初はRealVNCが正規にWin7に対応していない所為だと思っていたがどうやらMac側がおかしいようだ。半分あきらめていたところに以下の記事 を見つけた。自分の環境でも正常に動作するのでご報告。

環境
サーバ:Mac mini OS X 10.6.7
端末:Win7 x64 Pro
VNC:UltraVNCViewer

10.6系列は[設定]の[画面共有]をONにすれば基本的にVNCが有効になるようだ。セキュリティの観点からはパスワードを設定する方がいいだろう。端末側にUltraVNCをインストールすれば基本的にMacの画面が見えるはず。(この時点で見えない場合、ネットワークの疎通かFWで蹴っているかが怪しい。)これでめでたしと喜んでXcodeを起動するとなぜか特定のキーが正しく入らない。どうも101キーボードに誤解されているようだ。(と思ったのだが、101キーボードのレイアウトに対応するところでも”=”は入らなかった。ことは単純ではない。)端末側のキーボードを101に変更すれば問題は解消するのだろうが、キーボードを変更するのはPCを変更するより使い勝手に影響があるのでしたくない。そういうわけで困っていたのだが上の記事のキーボードレイアウトを入れて問題は解決。ただしHHKなので10キーは無い。シングルクオートをどう入れるかが問題なのだが、今のところMacで入れるのはシングルクオートがどうしても必要なコードではないからとりあえずは後回し。

この問題を調べてみた関係で分かったことは、どうもMac miniはWin用のキーボードが使えるという触れ込みにもかかわらず、実際にはWin用の101キーボードが使えるだけのようだ。数少ない例外はHHKとMSのキーボードでMSのキーボードはそれ用の対処方法を施さなければいけないらしい。結局問題なく使えるのはHHKぐらいで自分が使用しているのがHHKだったので今まで問題が表面化しなかったようだ。

VNC経由でHHKが仮想キーボードで隠蔽されたことでおかしくなったらしい。本質的にはVNCの問題と言うよりMac OS Xの問題なのだろう。サーバOSとして考えた場合、ほかのUNIX OSと比較してMac OS Xはかなりできが悪いのかもしれない。そう思わせるトラブルであった。

まとめ
Mac miniでPC用キーボードは使えないと思った方が無難。
10.6系列でVNCを有効にするのは超簡単。
でもキーボードトラブルはあるかも。
キーボードトラブルは本質的にはMac側の問題のようだからMac側で対処する方がいい。

Evernote unsync in win7 x64

Evernoteがクラッシュしなくなった話を書いた。

最近また不具合に気がついたのでご報告。

Firefox4上でWeb Clipperを使用してデスクトップにクリップしているのだが、同期サービスが起動しているにもかかわらず実際には同期されない。どうも、Evernoteを起動しないと実際には同期されないようだ。情報収集はWin上でやって実際に確認するのは出先だったりするのでこれでは困る。Web上にクリップすれば問題は解決するのは分かっているのだが、それはまた情報収集に時間がかかるので面倒くさい。

ユーザフォーラムをのぞいてみたが、報告はないようだ。報告しようと思ったがトラブルで報告できない。
残念だ。

公益性は免罪符ではない。

今日はここ 。

与謝野さんは賢明な方だと昔どこかで読んだ記憶があるのだが、ただの提灯記事だったのか、お年を召したのか、それともこの政権に参加するとバカなこと言わなければならない掟でもあるのだろうか。この間の脚本家のように。(私のツイート参照)

反論は2点。まずは小さい方から。

1)電力事業そのものは公益性が高いとして、電力事業をするものは無条件に許されるのか?

極端な話、電力事業を行う事業体が人身売買をやっていてもその事業体は公益性が高いのか?そんなことはあるまい。要するにその事業体が何をやって、何をやらなかったかという全体で事業体の公益性(事業の公益性でなく)は問われるべきで、公益性の高い事業に手をつけていれば無罪放免というわけにはいかないだろう。今回の場合は指摘があった欠陥を東京電力が放置していたことをどのように意味づけするか?というところで判断が分かれるかもしれない。

2)そもそも公益性が高いと貸し手責任はなぜ生まれないのか?

国家なるものは非常に公益性が高いと思うのだが、歴史的には国債の不履行を起こして貸し手はそのまま損失を被った事がある。リスクをそのままかぶったのは貸し手の自己責任であるからで、もしそうでないならどこかの誰かが悪いのに損失を被ったことになる。それとも東京電力は国家より公益性が高いとでも言うつもりだろうか?

貸し手がビジネスとして「貸した」場合には当然貸し手責任が存在すると思う。そこに事業の公益性とか何とかが介在する余地はない。3.11以降の2兆円については国家の圧力によって「貸させられた」と理解しているのでそれについては与謝野さんの言うのも理解できる。

金貸しが暴力団に金を貸すのか、一般市民に貸すのかは倫理と矜恃の問題で、残念ながら経済の問題ではない。もしも経済と倫理を不可分にしたいのなら自由主義経済の看板を下ろすことだ。または立法しろ。それが仕事だろう。