vol.4 車椅子のヒーロー | 女性向け【恋愛の男性心理】×【パートナー引き寄せ】

女性向け【恋愛の男性心理】×【パートナー引き寄せ】

30歳を過ぎた方向けに、・キャリアクライシスを乗り越える軸の作成 ・引き寄せの法則を使って、ベストパートナーと結ばれる ・男性心理を理解し、一生大事にされる恋愛のサポートをしております。

前回からの続き、

 

第一話 ・告白・実は生まれた家族が心底嫌いでした。

第二話 ・父への反発心と裏側

第三話 ・父との思わぬ対面

 

ちょっと、今回は穏やかな内容にしていきますね。

内面の変化が、どのように人生に影響したかをシェアできればと思います。

 

前回、父の緊急手術に、京都にいったことがキッカケで、

 

 

父とこころが繋がった感覚

 

を不意に味わう。

 

こんなことが、生きている間にあるとは全く思っていなかったため、

数日間、放心状態になる。

 

 

37才といい年になっても、

産んでくれた親から、ありのままを認めてもらえるというのは、

言い難い幸福感を感じていた。

 

(きっと、私たちが赤ん坊の時や、

生まれる前というのは、常にそうだったのかもしれない。)

 

 

介護の状況

 

(写真は、イメージ図です。)

 

一方、気持ちのことは脇においておいて、目の前には、この様な変化があった。

 

・2019年12月 父が倒れる。京都の病院で緊急手術

・2019年12月末〜 手術が終わり、運良く自宅近くのリハビリの病院に入院   

   (ここから数ヶ月後に、新型コロナウィルスが流行)

 

 4〜5ヶ月、リハビリ生活。 コロナの為、緊急事態宣言中は、母以外は面会不可。

 

・2020年5月末ごろ 父が退院し、自宅へ戻る。 *実家にて、自宅介護 

   (これに伴い、母が自宅を父が住めるようにリフォーム工事)

 

・2020年5月末〜現在 

 *実家にて、自宅介護。 ショートスティやデイケアなど。 

 

この4〜5ヶ月で、父と母は人生が激動した。

 

 

父はリハビリの病院で入院中、

「自宅に帰りたい」など、沢山の涙を流していたと、母から聞いた。

 

 

 

僕は、頸椎を怪我したから、父は車椅子生活かと思っていたが、甘かった。

 

 

実際は、(車椅子さえ自分で乗れない状態)のため、人の補助なしでは、

 

・ベッドに入ること、ベッドから出ること

・もちろん、車椅子からの乗り降り

 

は出来ないし、

 

・洋服を脱いで、着ることも人の補助が必要という状態。

 

 

当たり前だが、

 

・お風呂だけでなく、

・トイレで用を足すことも自力で出来ない。

 

下の世話を、誰かにお願いするというのは、

本当に大人には辛すぎることだと思う。 

 

 

(意識と頭脳はしっかりしているので、会話は普通に出来ます。)

 

 

身長175センチくらいで、体重が78kg〜80kgあり、ふっくらしていたと父の体は、60kgくらいになっていた。

 

 

 

怪我をする前は、

精力的に仕事をして、お酒をのみ、休日はゴルフをしていた父だが、

当たり前だが、以前とは別人になっていた。

 

 

また、更に辛かったのが、

 

入院最初の頃は、

 

父は、「リハビリを頑張って、車椅子になってでも、仕事には復職したい」

 

と話をしていたが、

 

数ヶ月後には、

 

「復職は無理で、退職する」

と父が決めた時には、涙が出た。

 

きっと、父自身が一番悔しかったと思う。

 

(根性、やる気、精神論を語れば語るほど、虚しさを覚えるような現実があった。)

 

 

 

そして、少し後になるが、父が退院後に自宅で、

 

「こんな生活がずっと続くと思うなら、早く死にたい」

 

ということもあるが、僕には何もできない。

 

 

父から、

 

「雄一、お母さんのことは、宜しく頼む」

 

ということを言われた時は、悩む。

 

 

 

また、僕も少しは、自分の家族と共に実家に戻り、父の介護を手伝うことを頭によぎるが、

 

自分も仕事が手につかなくなる上に、

 

結局、根本的には何も解決にならないとわかるので、冷静に今の自分の生活を選ぶ自分もいた。

 

 

そして、もう、父は、当時65才だが、

肉体だけでなく、精神も変わり果てたのか・・・

 

 

そう思うことが多々あった。

 

母も、父が肉体だけでなく精神も変化するのは辛かったと思う。

 

(*余談ですが、妹夫婦が実家の近くに住んでいることは、本当にありがたいことだった。)

 

 

ちなみに、一度、父のこれからの生活の方針や、

実家の財務状況などに関して、

 

実家に僕が帰省する前に、

母と電話越しに口論になったことがあった。

 

 

 

 

 

母から電話越しに、

「あんたなんか、もう実家に戻ってくるな!」

と言われたことがあった。

 

 

そして、父は、母に介護をしてもらっている手前、

母に異論をとなえる力はなく、

 

 

社交辞令の様に、父から、

「事情により、今回の帰省は見送ってください。」

という事務的なLINEがきたことがあった。

 

 

 

 

母と父のLINEに、

「そんなこと、親から言われたら悲しすぎるよ・・・」

と、一瞬LINEを送った。

 

 

 

しかし、ふと我に帰り、

(こんなLINEを送っても、父も母も困るし、父にはどうしようも出来ない)

と、思い、LINE送信を取り消した。

 

 

しかし、このわずか5分くらいの時間だが、

父が僕のLINEを見ていたようで、

父からLINEが来た。

 

 

そこには、こう書かれていた。

 

 

父「雄一は、お父さんの大事な息子です。」

 

 

 

僕はこの時に、涙が溢れ出た。

 

 

父は怪我をして、もはや自力では歩くことも出来ない。体重も激減した。

 

 

だけど、そんな中でも、一回でも、僕が悲しんでいる時に、守ってくれた。

 

 

僕の中で、中学1年生の時に、

震災で怖かったけれど、今回は父に助けてもらった。

そんな感覚があった。

 

 

父は怪我していても、心の中では、僕のヒーローなんだと、一回でも思えた。 

 

(これも、思い出しても涙でてくるし、

書いていても、涙出てくる。)

 

 

中学一年生以来、助けて欲しいと思っていた心は、

ここで救われた、そんな感覚だった。

 

 

少しずつ、少しずつ

 

(もう、親父は十分に頑張った。

 

子供の時は、勉強しなくて叩かれたりで

大嫌いだったけど、

 

僕は父のことが好きだし、

 

父は身体がボロボロでも、僕を守ってくれた。

 

もう、これで十分だろう。) と、思う様になった。

 

 

 

・・・

 

 

 

・・・

 

 

 

父の怪我の後、年に2〜3回、帰省する中で、時に父と30分くらい

二人で会話するときがあり、

この時によくお互いの本音を話す様になった。

 

 

 

そんなある日、僕は、

・ふと気になっていたこと

・父が元気なうちに聞きたいことを聞こうとしていた。

 

 

実家のこれからの経済状況などもあるが、

大きな一つが、父方の祖父のことだった。

 

 

実は、父は、彼の父親を18歳か19歳の時にガンで亡くしていた。

 

 

だから、僕は、父方の祖父に会ったこともないし、

どういう人だったのかも、そういえばあまり聞いたことが無かった。

 

 

父にふと、

 

僕「お父さん、そういえば、僕のおじいちゃんって、どんな人だったの?」

 

と、何気なく、聞いてみた。

 

父が口を開いた。

 

 

父「僕のお父さん、

 

一正さんは

 

・・・

 

 

厳しい人やった。

 

 

 

僕はよく、叩かれたりもした。」

 

 

と、言った。

 

 

僕の全身がピンと緊張が走った。

 

 

 

僕自身、小学校高学年から、塾の宿題をサボったりしていて、

父からビンタされて鼻血が出る、

 

 

 

父がこわくて、

 

 

ドモリ・吃音になったからだ。

 

 

 

父も、同じ様な親子関係を抱えていたことを、僕は一瞬で悟った。

 

こうして、父の話が始まっていった。

 

 

つづく

 

 

PS: この時期に心配してご連絡をくださった皆様、心より御礼申し上げます。

 

また、普段、父を介護してくださっている方々をはじめ、

介護業界の方々、本当に皆様のお陰で多くの人が救われています。

 

 

【*余談ですが、介護には、家族がたどる心の状態が6段階あるそうです。

驚愕 → 否認 →  怒り →  抑うつ → 適応 →  再起 

また、怒り、抑うつ、再起とサイクルが日々変わることもあると。

 

介護家族の「こころ」がたどる6段階より 】