スイマー(7) | 葡萄ヶ蔓社

葡萄ヶ蔓社

GRAPEVINEの楽曲と詞が織りなす世界観に着想を得た小説を載せています。
あくまでも、小説という形を取った個人の感想ですが、お付き合い頂ければ幸いです。

 梅雨が明けると、本格的に夏がやって来た。三十人程が詰め込まれている教室は蒸し暑く、授業中僕は何度も汗が肌を伝って流れ落ちるのを感じながら、放課後のプールを待ち遠しく思っていた。

 漸く授業が一通り終わり、教室を掃除している時、猿渡がまたにやにやしながら僕に近づいてきた。

「お前の父ちゃん、再婚するんだってな。」

僕は一瞬掃除の手を止めそうになったが、何とか動じない振りを貫いた。小さな町だから、思いもよらないところから噂が広がる。大方ゴシップ好きの母親からでも聞いたのだろう。

「そうだよ。」

軽く返事を返してやり過ごそうとした時、猿渡が僕に心外な言葉を投げかけた。

「相手は若いんだろ?お前も発情しちゃうんじゃねえ。」

その言葉を聞いた瞬間、僕は無意識に猿渡の胸倉をつかんで、猿渡を突き倒していた。猿渡は掃除のために椅子を上げて端に寄せられていた机にぶつかり、そのまま尻もちをついた。その拍子に机から椅子が落ちた音と周りのざわめきで僕は我に返った。猿渡は驚きと恐怖の入り混じった表情で目を見開いたまま俯いていた。大概、こいつの行動は浅はかなだけで、悪意はないし、小心者なので立ち向かって来ないことも予想はついていた。それなのに本気で反応してしまった自分に対する怒りと恥ずかしさで全身が熱くなった。頭を冷やそうと、僕は足早にざわめく教室を離れた。

 放課後の校内は思いの外、人の往来が多く、一人になれる場所がなかなか見つからず、僕はひたすら階段を上り続けて、屋上に続く扉の前まで来た。扉には鍵がかかっていた。とりあえず、周りに人影はなかったので、僕はその扉の前の階段の最上段に腰掛けた。一人になって、さっきの自分の行動の理由をじっくり考えたかった。僕が父さんと潤子先生の結婚に賛成しているならば、猿渡の言葉も適当に受け流すことができたはずだ。なのに、それができなかったのは、猿渡の言葉が僕の心の奥にくすぶっていた感情を刺激したからだった。本当は、二人の結婚に大きな衝撃を受けているのに、僕はその理由が分からずにいた。

 しばらくすると誰かがこっちへやってくる足音が聞こえた。洋平かと思ったが、姿を現したのは愛だった。愛は僕を見つけると満面の笑顔を浮かべ、何の躊躇もなく、僕の隣にちょこんと腰を下ろした。

「さっきのあれ、スカッとした。あいつ、いつも嫌らしい事ばかり言ってきて、私もムカついてたんだ。」

馴れ馴れしく捲し立てる愛に収まりかけた僕の苛立ちが再燃しそうになったので、僕はその場を離れようと立ち上がったが、愛は僕の行く手を阻みながら、しつこく話し続けた。

「大地、格好良かったよ。やっぱり大地は格好良いよ。」

僕は何とか愛をかわし、一瞥も投じずに無言でその場を立ち去った。僕には愛が呆然と立ち尽くしている様子が容易に想像できた。単なる噂かもしれないが、僕も愛に甘い言葉で男を誑かすイメージを少なからず持っていて、騙されてなるものかという思いが強かった。

 

 その日の部活でも、僕は調子を取り戻せず、トレーニングメニューを終了させるのに時間が掛かり、一人残って泳ぎ続けていた。洋平は先に上がって、更衣室に向かった。五分程して、メニューを終えてプールサイドに上がろうとした時、そこに制服姿の愛が立っていた。

「あのさ、話があるんだけど。」

女子更衣室を抜けて来たのか、洋平には会わなかったようだ。僕は愛を無視して、また泳ぎ始めた。

「ねえ、私のこと嫌いなの?」

愛の大声で叫ぶ声が水の中まで聞こえた。これは愛が諦めて帰るまで、泳ぎ続けるしかないかと思った瞬間、前方に水泡まみれの個体が飛び込んできた。愛が誤ってプールサイドから落ちたようだ。プールは十分足が付く深さなのだが、突然水に落ちた愛はパニックを起こしているらしく、手足をバタつかせ溺れかけていた。僕は急いで愛の背後まで泳いで行き、後ろから抱きかかえて、何とかプールサイドに連れて行った。愛は水を飲んだらしく酷く咳込んでいたが、落ち着くと自力で何とか水から上がった。僕もこの状態の愛を無視することはできず、一緒に水から上がり、背中をさすってやった。水に濡れた白いシャツは愛の素肌に張り付いて、身につけている下着がはっきり透けて見えた。僕はなるべく愛のほうを見ないようにしながら、背中をさすり続けた。愛は肩で息をしながら、ポロポロと涙をこぼし始めた。そのせいで、呼吸は一向に乱れたままで、僕もその場を離れられずに困ってしまった。

「プールに落ちたのか?」

そこに騒ぎを聞きつけて、着替え終わった洋平が現れた。僕はこの助っ人の登場に心から感謝した。洋平は愛の様態をチェックすると、保健室や用務員室を回って、着替えやタオルを調達してくると、愛に着替えるように促した。愛は洋平の指示に従って、力なく立ち上がると、ふらふらと更衣室に消えて行った。

「僕は先に帰るから、大地は家まで送ってやれ。」

一言言うと、洋平は僕をプールサイドに残してさっさと帰ってしまった。この時の洋平の気遣いは僕にとっては恨めしかった。