村上芳の徒然なるままにその日暮らし -2ページ目

村上芳の徒然なるままにその日暮らし

僕はいくつになってもその日暮らしの甲斐性なしでやんす。

おはこんにちばんは。

 

村上芳です。

カオルちゃんって呼んでってずっと言ってるのに呼んでくれない人は何なんすかね?

読んでくれてないんでしょうね、ブログを。w

 

さて

本日群馬から帰って来ましたよ!

やっぱり我が家が一番落ち着くね!!

俺ん家の寝床マジ最高だかんね

 

去年の9月27日~3月19日まで群馬で生活していました。

約半年、我ながら

ってか周りの人も結構思ったみたいよ

 

何やってんの?

 

って

俺もだよ!!!!!!!!

 

 

大学の友達から造園手伝ってよって誘われ、ど畜生のせいで暇だったもんで

楽しそうだし週3・4日って言われたので

向こうでゆっくり執筆とか観光しながら友達と仲良く働くか~

 

って思って蓋開けたら

週6で仕事

 

社会人舐めんなって思うかもしんないけど

俺は週6でなんか働きたくないし働けんよ!!!

 

1年の半分は休みになるように努力してる男だぞ!!!?

精神おかしくなるわ!!!

 

とか何とか言いつつ

冷蔵庫も電波もない友達も居ない群馬での生活が始まりました。

 

 

これは1ヶ月くらいして私が刈り込んだ玉ものです。

そもそも造園の大学出てましたし、まあ一応名ばかりではありますが造園技能士2級という国家資格も持ってますからね!!

関係マジでないけどね!!

 

初めての仕事で右も左も分からず

最初友達のお父さんとのコミュニケーションがうまくいかず

2か月くらいずっと筋肉痛だったしで色々大変でした。

 

ブログ書いといて言うのもなんだけど、めんどくなってきたから割愛です。

 

 

あと3日で仕事終わるって時

12月の25日かな

 

多分きっと生涯最初で最後でしょう

友達の親父に

 

 

明確に指示してくんなきゃ分かんねぇっすわ!!

 

ってキレたのww

我慢はするもんじゃなかったなって思いました。

一応人んちのお父さんだから遠慮してたんだけど、我慢できない事は最初から我慢するもんじゃないね

 

でも時既にまさしだけど

 

それからお父さんに

こう指示して欲しいとか、逆にそれはこうゆう意味ですか?優先順位はなんですか?

とかめっちゃ細かく聞くようにして

それからは円滑だったなww

 

プライベートはかなり気の合うお父さんで

都市伝説の話とか一緒に出来る系男子だったww

 

でも仕事が昔ながらの

見て覚えろ・技は盗め・自分で考えろ

タイプだったんですよ。典型的な。

 

確か言った気がする、ご本人にも

優秀な上司は、無能な部下を使えてこそ

って

 

そもそもバイトにそこまで何求めてんの?

って気持ちは俺めちゃくちゃあるのよ、どこに行っても

 

まずは鼓舞せぇ

全員が働きたくて働いてると思うな?

 

とか言いつつ

僕の舞台に出る人は

僕の脚本・演出、もしくは劇団わ、ギャラ

何かを欲してきている訳ですから、自分で選んで

先に台本も必ずお渡ししてますしね

 

だから僕はやる気ある前提で接するし

やる気無い人は本当にさっさと違うところへ消えて欲しい

 

話が逸れたし言葉が強いね

まあいいさ

 

そんな間でも、群馬で少しでも成長したくて

弓道も始めました

 

家の目の前にあってさ

これって最高じゃん!

 

ってなって

頭を下げに行ったのよ

 

 

私は役者をしていて、それで弓道を勉強したく思います。

もし可能であればここで教えていただく事は出来ませんでしょうか?

2月に段を取得したいと思っています。

 

的な旨を伝えるとね

 

前橋の支部長さんがいてさ

ん~って

 

そのそもその考え方が武道から外れている

取得の為にやるのではなく極めようとする結果、段や級がついてくる

 

みたいな話をされましてね

ほほう!確かに!

ってなったのよ

確かに武道ってそんな邪な気持ちでやるもんじゃないもんね

 

で、でももう正直に言っちゃったもんだから

もうどうしようもないじゃん?押し通るしかないじゃん?

 

だから後は役者の為とは言えその誠意を見せてね

1時間くらい話して

そしたら

 

まあ少しじゃあ面倒みてあげましょう。せっかく弓道に興味を持ってくれた訳ですしね。

 

ってなって

嬉しかったんだけどね

 

その時ババア

間違えた

 

おばちゃんが居たのよ

 

俺と支部長さんが話してる時もずっと

「段?無理だよ。舐めてるねw」

 

って横から行ってきて

あー単純にムカつくし嫌いな人だなーって思ってたの

 

でも最初に皆さんがやってる弓道をある意味で馬鹿にしたのは僕だし

それも致し方ないのかな。って思ってたの。

 

それから弓道場に通うんだけど

まあ教えてくれるんだけどね

 

教え方が下手で下手で

マジで下手で

 

言語化能力低すぎなのよ

 

まず伝えるべき情報をタイミング、そして順序良く伝えられない。

 

で言語化能力がないし、目で観て相手を観察しその状況を理解出来ないからガシガシ俺の身体触ってくんのよ

 

もっと上!

こう!

肩開いて!肘した!

 

って

で俺を動かしたいんだから俺は身体の力抜くじゃん?

ほいだらもう、俺の身体はグラングラン必要以上に揺さぶられて

 

いやもう俺をどんな姿勢にしたいん

ってなるのよ

これがマジでww

 

あと教えてもらってるからさ

勿論ちゃんとはきはきと返事するやん?

 

はい!

って

 

そしたら

喋らない!

 

って叱られんの

え、俺あなたの言葉無視したらいいん?

 

ってなってその理由は翌日くらいに

構えの時に返事したら呼吸が乱れて結果姿勢が乱れるから返事はしなくていい

って事を教えてもらったんだけど

 

それ序盤じゃん

チュートリアルで教えてもらえそうなことじゃん

ってなったの

 

ままま

教え方が下手なんはまだいいよ

 

(ここまで書いて二度そいつの名前と勤め先を言ってやろうかグッとこらえましたww)

 

仮に横堀としよう

仮だからね

 

横堀がさ

毎日会うたびに

「無理」

って言葉を俺に投げかけてくるの

 

もうさ

絶対友達にならんタイプよ

こいつが上司だったらその日に辞めてるもん

 

本当に一緒に居たくない人間だった

 

 

横堀はさ

最初の日支部長さんに

 

「教えてあげるけど、でも役者の為にってのは言わない方がいいよ。真剣に取り組んでる人に失礼だから」

って言ってくれて

 

(つか別にいいんじゃね? 演劇も何となく面白そうだからとか、目立ちたいからとか別にそんなんどーでもいいけどな)

 

言ってくれたのに

その次の日、横堀は違うおばちゃんとその話してんの!俺の目の前で!2mくらいの距離で!

 

「役者で2月までに段取りたいんだって。無理よね」

って

 

もう弓道開始初日から地獄の始まりよwwww

 

ずっと耐えて何かひとつでも得るもの!!!

って思って続けたけど

メンタルが事故ったし普通にイジメじゃね?

 

ってなって辞めたww



この写真を撮ってくれたおじちゃんがいるんだけど

写真見ながらおじちゃんと色々話してたら横堀が

「どこが悪いか分かる?」

って聞いてきて

「いやー、今の自分じゃどこが悪いとか分かんないっすねー」

って返したら


「全部だよ」ニヤリ


って吐き捨てて去ってった(笑)

かっけぇ

そしてその夜は胃がいてぇ


ってなって、1週間くらいしたら辞めたよね(笑)

そしてこの話は前のブログでもしてた事に今気付いて止めよう(笑)


で、そっから暇だもんだから?

12月の26日に造園の仕事を終えてから

台本を描き

同時進行でキャストを集め

群馬で舞台をすべくわっしょいしたのよ


ここからケータイで書き始めたから

急に書くのめんどくなってきたよね


そして1月の3日くらいから

乗馬して夜は稽古という鬼スケでした(笑)


乗馬がえらいしんどいのよ

食事に気を付けるのはもちろん

朝起きてウォーミングアップとストレッチ

乗馬終わって

温泉入ったり接骨院行ったりストレッチしたりしたの


で、諸々終わると稽古開始よ

やっぱり初舞台の人ばっか集めたみたいなもんだから大変さはあったよ


まず稽古3日目でひとり俺の友達が止めちゃってさ

2ヶ月の稽古で皆をプロにまで仕上げるって約束というか宣言してガシガシいったから僕が潰しちゃったんだよね


本当は最初にお芝居の楽しさとか教えてからの方が勿論優しいんだけどね

その時間は後半にしか取れなかったんだよ

ごめんな


と、思いつつもプロとして接しますって言ってたからまぁうん

頑張ろう!


って事でその役は急遽僕がやることに

本当は演出しながら出演は僕しないのよ

自分が出てるシーンに責任持てないからね


だからもうあれよ

自分の台詞喋りながら動きながら他の人見ながらアドバイス書いたり

自分は前から台詞だけ飛ばしながらアドバイス書いたりしたわよ

あんなに色んな場所の脳ミソ使って芝居したの初めてよ

今ケータイで書いてるし桃鉄やりながらだからもう気もそぞろよね(笑)


でもまぁみんななんやかんや浮き沈みありつつも、ちゃんと本番ばちこーん魅せてくれましたー



みんな本番に向けての努力

その気持ちがすごくよかったし、芝居にものってた


芝居は人生だし

人生は芝居


自分を見つめ直すなかなか無い機会になったかなーとかなんとか

皆がこれからの社会人生活で絶対に役に立つ事もあったと思うし


まぁそんなごたくはいいとして

お芝居がより好きに

ちょっとでも僕らの事を分かって貰えたなら嬉しいなぁーなんて!!


んで、乗馬はもーね

芝居が終わってからも大変だったわよ

もー身体中が痛いのなんの


筋肉披露で2日間40℃の熱出たしね

ほんまにキツかったし

時に辞めたかったし

軽自動車を中古で買えるくらいはぶっ飛んだし

蹴られるし落馬するしで

もー100キロマラソンの時もそうだったけど、苦手な事とか嫌いな事を続け、そして高いモチベーションを保つってゆーのは滅茶苦茶大変

もう本当に家の外に出るのも身体動かすのも嫌いな引きこもりだからねー(笑)


でも

3ヶ月で4級、3級馬場、3級障害と1ヶ月にひとつのペースで資格を取得したでござる。


乗馬クラブの先生たちが僕の目標に合わせてレッスンして下さったり

わからない事は周りの方も教えて下さって本当に人に支えられてここまで出来たなーと感じました。


ありがとうございます。


いやー

いくつになっても、習い事ってした方がいいのかもね

特に僕みたいな人は定期的に人に教わるって事が大事


ねー

ケータイだと急に書く気失せるね(笑)


群馬で得たものは沢山あったなー

造園の知識や技術をちょっと

弓道の知識と技術をちょっとと、スポーツ嫌いの加速(笑)

乗馬の技術

温泉に10年分は入った

狩りとか罠の知識、実戦


そして何より

群馬での出会い


俺の友達をはじめ

本当にいい意味で変な人たちといっぱい友達になれて

意見交換出来て刺激もらえて


やっぱ人やな!財産やな!


ってなりました。


おわり!! 

 

 

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

何て心にもない定型文を書いて送って形骸化した文化を楽しむ日、正月。

 

皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 

 

僕はというと

9月の末に東京からバイクで群馬へ移住し、12月の26日に無事植木屋の仕事を終えました。

 

友達は大学で出会った友達で

多分だけど、コロナで暇してるし、仕事もないだろうからと自分ちの植木屋に誘ってくれたんでしょうね

多分

 

いや、ホントありがたい話よ

 

そらもちろん、俺の性格からすれば全然全くもって今年働かずにダラダラして過ごそうってウキウキしてた訳だけどねww

せっかく誘ってくれたんだから、誘われた事は断らない!!!

 

って気持ちで行きましたょ、群馬

 

 

新聞配達以外で、週6も働いたことなかったよ

働きたくもないしね

 

バイトだって舞台稽古始まると、もう行かなかったしね

集中したいから

 

もーね

やっぱね

 

 

働くってだけですごい精神的ストレスなんだなって改めて思ったwww

雇われ気質じゃないね、あたしゃ

 

そもそも仕事が嫌いだしね

生きる為に働くなんてホント嫌

 

それこそ死ぬほど嫌

 

 

だから演劇は、芝居はいい

 

そもそも好きだから

遊び感覚だから

 

それで偶然お金貰えてるから本当にありがたい

 

 

お客さんも、僕を支えてくれる皆も

本当にありがとう

 

 

 

 

普通に1ヶ月もしない内に東京に帰りたかったね!!

 

友達の親父さんと全然相性合わなくてさww

がさつというか、昔の人というか

 

いやすごい優しい人だし

普通にプライベートで話す分には考え方も興味持つ事も一緒で楽しかったんだけど

 

教え方とか指示の出し方がね

どうしても俺の価値観とは合わなくてね

 

友達の親父さんだからそんな言う事も出来ず

 

そんなストレスが降り積もってるなか

弓道のうんこおばちゃんの登場よ

 

 

会うたびに

「無理」って言う口癖を持った生態で

 

言っちゃダメって言われた事を、俄然次の日に違うおばちゃんに俺の目の前で話してるくらいには

やべぇ奴だったんだけど

 

まあ教えてもらってる立場上、何も言わず・言えず

 

 

 

最終的には我慢の限界がきて、弓道場を地獄に変えてしまいそうだったから

弓道はやめましたww

 

 

つか、運動系の部活に対する偏見を俺はめちゃくちゃ持ってるのね

頭悪いって偏見を

 

 

それを払拭したかったんだけど

余計にまたスポーツを嫌いになってしまった

 

 

誰か俺をスポーツ好きにしてくれぇい!!!!!

 

 

まあまた機会があったらスポーツにも挑戦するかもしれません

 

 

 

でも弓道止めてから心も軽くなったし、親父さんも徐々に教え方や指示の出し方が

僕の好みになってきて

 

まあある程度

ストレスが少なく最後まで植木屋をやる事ができました~!!

 

とりあえず、一応部屋は確かにお借りしてますが

僕の部屋に入って物を動かしたら元に戻す

毎回時計を落してるけど、時計を落したら電池を探して入れて元の場所にかける

 

くらいはね

して欲しいよねww

 

 

 

なんの話だ

 

 

 

 

とりあえず、残り2か月はひたすら乗馬をして、こっちで出来た友達に芝居の魅力を存分に伝えたり

僕が教えられる事を皆が望むのなら全部教えるくらいの気持ちでこっちの人に恩返ししたり

温泉行ったり、合コンは組んでたけど出来なそうで悔しかったり、まだまだ群馬の魅力を味わいつくすつもりです☆

 

あと、ちゃんと台本も描きます。

勢いあまってこっちの人用の台本を先に書いてしまいましたwwさーせん!!

 

来年やれるように、いつでも動き出せるように、あの待望の作品の2を描きますから待っててくだせぇ

 

とりいぞぎ、現状報告でした

 

 

あでゅ

 

 

 

 

おはよう。

こんにちは。

こんばんは。

 

村上芳です。

かおるちゃんです。

ね?

 

 

狩猟が解禁され猪が罠にかかったので、それを捕獲して肉にするまでご同行させていただきました。

 

題名にもある通りグロ注意です。

って言っても当たり前の事なのでグロ注意って書くのもあんまり好きじゃありませんが

 

ちょっと血とか内臓とか出てくるので苦手な人は遠慮してください。

 

 

さて、けたたましいチャイム連打で朝起きまして

友達の母親が「猪が罠にかかったから迎えに来てくれるって!」っと僕を起こしてくれました。

 

僕の住むところは電波が入らないので、猟をされる方が友達に連絡して、友達が母親に連絡して、母親が起こしてくれました。

不便ですんませんww

 

 

罠を仕掛けたポイントに行くと今年の春産まれたであろう猪が罠にかかっていました。

ニュースで熊の事も言ってますが、猪も増えてるみたいです。

僕が縁側でタバコ吸ってると目の前に来るくらいには増えてますからねww

 

ワイヤーが脚にひっかかる罠で、竹やぶの中で大分暴れた様子でした。

大分奥まった所で動けないくらいには大移動してました。

 

刃渡り14センチほどの刃物を棒の先に付けて殺します。

 

本当は生け捕りにして、解体場とかで殺すんですけど、竹やぶの中で引っ張り出すのが困難な為この場で殺します。

 

大分奥まっているので身体をやぶに突っ込んで刺します。

1メートルくらいの棒の先にナイフがついてます。

 

首の少しした心臓をめがけて一突きにします。

ただ身体の向きが心臓側ではなかったので、心臓に向かって刺します。

 

鮮血が傷口と口から溢れてきます。

30秒ほどで動きが止まります。

 

なるべく心臓が動いている時に血を流させます。

その方が血が流れてくれて、血抜きもよくなるし、結果臭みが減ります。

 

死んだのを十分に確認してから絡まったワイヤーをほどき、やぶから引っ張り出しました。

こんな風に写真を撮って、しっぽを役所にもっていくと報酬金みたいなお金が貰えます。

 

移動し解体場所へ。

師匠、砂川さんがDIYされた使い勝手のよい精錬された解体場所。

ここで鹿なども解体します。

大きい奴は吊ったりします。

猪は背中がぎゅーんなってるんで、こんなくぼみのある場所がフィットするんです。

ここでいよいよ解体していきます。

まずは下腹部から開き皮を剥いでいきます。

綺麗なピンク色のお肉が見えてきます。

まだ新鮮で温かく湯気が立っています。

マダニ。だっけか。

が、います。

ダニってめっちゃ小さいイメージあったけど、こんな普通の虫くらいにデカくなるんですね。

西の方では噛まれて変な感染症になったとかの報告があるので、気を付けましょう。

 

お腹の皮が全体的に剥がれたら次は内臓を取り出します。

死んだその瞬間から内臓が発酵を始めているので、すぐに取り出さないと匂いが肉に移ってしまいます。

ここまで殺してから30分もかかっていません。

 

下から切り開き内臓を取り出します。

向かって左にバケツが用意してありそこにボトボトと繋がっている肉を切り離しながら内臓を落していきます。

 

綺麗に内臓がなくなりました。

もうこうなると完全にお肉です。

食欲も俄然沸いてきます。

あとは残りの皮を剥いだり

四肢を取ったりして精肉に近付けて?ゆきます。

全てを綺麗に取り除いたら、水につけ血抜きします。

もう死んじゃうと血は勝手に流れてくれないので、水に溶かしつつ血抜きします。

1時間くらいです。

 

これが精肉されなかった部分。

内臓や皮になります。

大体体重の半分がお肉になります。

今回は5キロほどのお肉が取れました。

 

あとは部位ごとに切り分けていきます。

 

めちゃくちゃ綺麗なあばら。

筋肉も皮をはぐと立派に美しかったです。

野性味あふれる躍動感のある筋肉をしていました。

ここで意外に便利なのがペットシート。

見た目や印象はあれですが、めちゃくちゃ機能的というか実を伴っているといいますか

血と水けを吸ってくれるのでとてもいいです。

こうして切り分けて下さった肉が、僕のお腹へ入っていきます。

 

牛や豚もそうですね。

この様に生きていたものが解体され、僕たちの食欲を満たしてくれています。

 

 

自分の中で興味深かったのが、いざ罠にかかっているのを目の前にすると「可哀想」とか「僕だったら殺せるだろうか」とか色々な考えが頭を巡り身体が緊張していたのにも関わらず

 

殺してから各工程を踏むごとに食欲。「美味しそう」の気持ちが同居し始め、そのウエイトがどんどん大きくなるところです。

 

 

命を自分の手で消し、それを自分の命として吸収し、繋がっていく。

本来植物でもそうですが、やはり哺乳類となるとその気持ちはより

いや俄然大きく鮮明に感じました。

 

もっともっと食べ物に感謝を。

 

 

 

「殺す覚悟もないのに、他人が殺したものを食べてもいいのか」

ふと浮かんだ疑問の答えを知りたくて今回猟に参加させていただきました。

 

また機会があれば是非参加させていただきたいと思います。

 

捕獲の仕方から、殺し方、解体の仕方。

とても奥が深く考えさせられました。

 

食育ってまさにこれなんじゃん?

って気持ちです。

 

可哀想って気持ち。

可愛いって気持ち。

美味しいって気持ち。

 

そのどれもが正解というか

胸の内にあるべき感情なんじゃないかなとかなんとか

 

1回しか見た事ないくせに、そんな事を思いました。

 

 

面白かったとは何だか言いづらいですが

とても興味深く、いい経験になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

してみたんですよ。

挑戦を。

 

ムラカミカオルです。

 

コロナの影響で今年の仕事が全部ぶっ飛びました!いえぇあ!!

 

って事で毎日に刺激がなくなった僕は

100kmマラソンに挑戦しよう!ってなった訳です。

 

フルマラソン42.195じゃちょっと数字にインパクトないじゃないですか?

運動しない僕からすると42kmがしんどいのか不可能なのかも分からんし

 

ここはいっそ100っていう分かりやすい数字を走る事にしました。

 

 

一応僕のプロフィール

 

年齢33歳

身長174

体重72

 

人生における部活動などの運動経験:皆無

運動習慣:無

仕事は全部飛んだので、本番までの時間の全てを練習の為に費やす事が出来ます。

 

 

です。

役作りで身体を鍛えたり走ったりはしますが、正直仕事がない時は家から一歩も出ないし運動もしないし

今年は1月にムキムキの役だったのでそこまでは鍛えていましたが、公演が終わった途端に運動は止めました!運動嫌いなんで!

 

 

 

つまりは半年運動してない状態からの挑戦です。

 

時間をかければ人間誰でも出来る事だと思ったので1ヶ月で100kmに挑戦します!

後で分かった事ですが3ヶ月でフルマラソンに挑戦できる!みたいな動画が結構あったので

つまりは、なかなかに厳しい事なんだなと思いましたまる。

 

100kmを今後一ヶ月で走りたいっていう変な人の為にブログを書こうと思い書いております。

 

 

 

 

その記録を残してありますので、解説しながらいきますねー

 

練習は6月10日から始まったんですが

実はその前にズルをして2,3日3kmくらい走って身体を運動に慣れさせていました。

ちなみに初日は2kmで疲弊してました。

 

10日~12日は10キロを走・歩を交互に繰り返しました。

いきなりの10キロですが、いきなり10キロ走るくらいでないと1ヶ月後の100キロに間に合わないので、身体が壊れないかつ、超回復により身体の運動機能を向上させていける限界値の運動負荷を目指していきます。

 

13日は10キロを楽に感じたので1キロ増やして11キロのウォーキングにしました。

 

ここまでの練習は快調に走れたと思います。

この辺りはまだペース配分という作戦を知らないので8km/1hくらいで走っていました。

 

ここで僕は調子に乗り&20日には100kmウォーキング練習を控えていたので

14日は17キロのランニングを試みました。

 

その後15日~19日まで回復期を設けていたのですが、回復期2日目にして熱が出ました。

そうです。

 

運動負荷がかかり過ぎたんですね。

筋肉疲労からくる熱でも~全然ダメでしたね

 

本来であれば17日に区のジムに行き足りない筋力を補う予定でしたが、それも叶わぬ夢へと消えました。

食事も一応タンパク質と、炭水化物を意識して摂取していました。

文字では省きますが、画像には載っていますのであまり参考になりませんが参考にしてください。

あとタバコと酒は止めませんでした。それを止めて100キロ走りきってもな~。かっこよくねぇな!!っていう僕の偏見によりそうしました。

ただ練習3日目まではタバコも酒も全く受け付けませんでした。

その時点で気付くべきでしたね。キャパオーバーしてる事にw

 

そして予定通り100ウォーキング。

20日に決行しました。

微熱ではありましたが、こんな序盤で予定が狂っていては本番の失敗が目に見えるので意地でも行きました。

 

朝はしっかり1000キロカロリーくらい摂取して臨みました。

本番もそのくらいしっかり炭水化物などを入れておいた方がいいらしいのでそれを想定して食いまくりました。

かなり満腹でしたけど、食べる練習もこの辺からやり始めました。

ウルトラマラソンで色々検索してみると意外にも「胃腸の強さ」が必要らしく、食べながら走るとか、胃腸を元気にしておく。事を結構気にしてました。

 

さて、100キロウォーキングの結果としては途中断念しました。

体調不良は関係なく、両足がぶっ壊れて一歩も走れないし歩くもの精一杯になったので、60~70キロ地点で始発で帰りました。

 

敗因としては

まずウォーキングだっつってんのに、序盤50キロ地点までちょいちょい走った事です。

これは単純に僕のせっかちな性格がダメでしたね。

歩く訓練なのに「ちまちま歩いてられっか!」って感じでした。

なので40キロ地点くらいまでは予定よりもめちゃくちゃ早く到着しました。

多分キロ8で走ってました。

 

それと、フォームです。

運動を全くしない僕からすると目から鱗でした。

走るのはもちろん、歩くのにも正しいフォームがあったとは!!

原因としては走ったり歩いたりする幅が大きすぎてハムストリング(以下ハム)を痛めました。

走るのも本当はキロ5くらいの速度なんですよね

それも僕の性格と合ってないんですよねwwちまちま遅く走るのが嫌いなんですよ

バッとスピード出してギューンと行きたいじゃないですか?行きたいんですよ

 

でもここで失敗しててよかったなっていう後日談です。

結果フォームの事にも気付けたし

どこの筋肉が足りないか

どの様に故障しないように長く運動を続けるか

 

という僕には無かった価値観を手に入れました。

そしてもうひとつ本番で大きかったのが

「一度見た景色を走る安心感」です!!

これはめちゃくちゃデカかった!!

本番で走る時自分の心を鼓舞出来るし、安心感が全然違いましたね

ウォーキングの時はいつまで続くのか分からない永遠に続くとも思える道のりに結構絶望してましたもん

 

マラソンは70%がメンタルのスポーツってサイトに書いてあったくらいですからね!!!

これ結構大事でした。

 

そこから3日間の回復期を本来は用意していました。

が、画像を見ていただければ分かりますが23日で終わる予定の回復期が26日まで延びてしまいます。

 

もちろん理由は一歩たりとも走る事が出来ない痛みだからです。

ひたすらマッサージをしたり食事をして回復に努めました。

 

26・7日は10キロ走の予定でしたが、様子見として6キロ走りました。

 

しかしながら30日予定の34キロ走は待ってくれません。

何故34キロかと言うと

大体フルマラソンの人が本番前に走る距離なのと、ウルトラマラソンの記録保持者の人の言葉で

30~35キロくらいで身体的能力の向上は横ばいになる。みたいなのを見て

そうしました。

 

やっぱり一回長距離・長時間運動し続ける事を経験しとかないといけない!!

しかも100ウォーキングは失敗に終わっているのでここでひとつの成功体験を経験する事で自信を自分に持たせなきゃいけない時期だったんですよ!!

まあでも完全回復してるかちょっと謎だったので、これは結構一か八かでしたね。

でも何としてもクリアしてメンタル・身体どちらも向上していかねば!!って感じでした

 

 

29日10kmは10歩きまして、34キロ走へ備えました。

 

34キロ走はね、7時間で完走しましたよ。

よかった~

一安心ですな

 

我が家を起点に2周するコースだったんで

17キロ地点で一度1時間の休憩を入れました。

Twitter更新したり記録録ったり、水風呂に入って筋肉冷やして、しっかりストレッチとマッサージをしました。

このペースでいけばいいよね?

 

休憩とか。

走るペースはちょっと早かったです。

も少しゆっくり走らないと持続しないなって感想でした。

 

 

そしてこっからが地獄だったんですけど

ずっと足の裏が痛むな~って思ってたら実は

 

足底筋膜炎(左脚)と骨膜炎(右足)になってました。

 

いっくら休んでも全然治りませんでした。

途中5キロ歩いたりはしたんですけど、もうね全然痛くて痛くて

治らんし、モチベーションもガンガンに下がっていきましたね

 

予定では11日にも30キロ走をするつもりでしたがそれも断念

もう本番に標準を合わせなきゃいけない時期になりましたからね

 

結果としては17日まで一切走ることなく休みました。

 

ここで分かった事

 

まず、足の裏の筋肉を鍛える事

もう目から鱗過ぎて

 

足の裏の筋肉ってなんやねん

そんなん鍛えられるん?って気持ちでしたが

長距離走っていると筋肉が疲弊して、土踏まずのアーチが下がってくるみたいです

そして足のクッション性が失われて怪我に繋がる

って事らしいです

 

足裏の筋肉を鍛えつつ、限界を超える長距離を走る場合はテーピングをするべし!!

と、学びました。

 

ってか運動した事ないからテーピングって概念もなかったわ

 

 

2週間ほど放置しても治らないのでやむおえなく、針治療に行きました。

が、これがめちゃくちゃ良かった。

 

普通足に針ぶっさすのは皆やりたがらないらしいですが、僕には時間がないので痛いのも出費も我慢しガンガン針さして、マッサージしました。

 

15日に針を刺してもらったんですけど、画像でも分かるように18日には5キロ走を出来るようにまで回復しました。

しかし残りの1キロは違和感を感じ始める程度だったのでゆっくりゆっくりと回復に努めました。

 

 

って感じで24日の本番に無事100キロ走りきりました。

100キロ走る様子はその内YouTubeにアップされるので、そちらでどうぞ。

 

 

もし仮に万が一100キロ走りたいって人が居ましたら、素人目線ではありますがご相談に乗りますのでTwitterで絡んで下さい!

ここにコメントしても全く気付かないのでwww

 

 

後半は怪我のせいでモチベーション全くなかったですね

食事の記録も録らなくなって

 

モチベーションを持続させるのも大変でしたし

怪我をしないギリギリの運動負荷を狙うのもすごく難しかったです!!!!

 

 

これが100キロ走ろうかなって思ってる人の少しでも助けになればなーって思って書きました。

が、2ページ目から酒が入ってどうでもよくなってきた感が否めませんww

 

 

さようなら~

 

 

あ、練習内容は

ただ走るだけじゃなくて

 

一定の速度を守ったり

スピード練したり

早く走って遅く走ってを繰り返すやつとかしました

 

あと筋トレ!

ハムを17キロ走ってから鍛え始め

34キロ走ってから足底の筋肉を鍛え始めました

全部最初から出来てたら良かったなって思います

 

筋トレ内容だけお伝えします

 

アミノザウルスっていう会社の社長さんかな?がYouTubeにアップしてるのでそれを参考にしました!

 

プランク 足上げを16回 30秒 

これを通常のうつぶせと、右・左の横で2~3セット

僕は時間がないので毎日やってました

めっちゃキツイですが、疲れは残りませんので回復期にもやってました

 

あと、文字で説明むずいですけどそのまま載せます

一歩、少し腰を落としてゆっくり踏み出すやつ 片足20

 

お尻を使って一歩踏み出す感覚をどうのこうのです

 

 

足上げひねり

ももを挙げて、僕はひじも下げてしっかり交差させて身体をねじってました

足を挙げて走り続ける為の斜めにはしる筋肉を鍛えます

回復期は動けない自分が嫌で200してました

 

そして思い出しました

縄跳びもしてました

しかも裸足で

 

それも足底によくなかった

靴を履け

 

でも縄跳びはいいです

なんだっけな

着地の感覚を掴めるとかなんとか

 

あとハムプランク

普通のプランクと違って

仰向けでやります

肩が接地面で膝を立て腰を浮かせます

身体を真っ直ぐにね!

で、踵を遠くにやると負荷がかかります

伸ばして10秒 10秒休んで また10秒伸ばす 5回

片足 2回 10秒

 

確かこんなんだった

 

でもハムプランクは僕は勝手に秒数増やしてやってました

 

 

 

 

皆はもっと時間と体力に余裕を持って怪我なく楽しく練習してね♪

 

 

うん!

今度こそ終わり

 

じゃあね~

 

 

面白かったな~!

家族ものとかぐっと来るの必須やもんな

 

歳かな

 

どうも

村上芳です。

 

色々思い返したので久しぶりにブログでも。

 

 

母、もしくは父

親ひとりで子供を育てるってめちゃくちゃ大変よな

 

父は僕が小5の時に直腸がんで亡くなりました。

当時はがん=必ず死ぬ病気でした。

 

僕には兄が2人いて、当時は真ん中が中2。長男が高2でした。

そんな中いきなり母はひとりで3人の子育てをしなければならなくなったんだなと

 

ちょっと想像するだけでもその大変さが分かります。

今は、ね。

 

当時はなーーーーーんにも分からんかったな

なーーーーーんにも

 

父が死ぬって事も

それで何が大変になるんかも

 

 

まだ一番したの僕が小5だったので、専業主婦だった母は映画の様に昼と夜も働いて

僕たちにご飯を作って、掃除して、洗濯して

 

それが僕は当たり前の様に感じていたし、その大変さも分かってなかった

 

 

 

映画でよく倒れるシーンあるけど

「いや、そんなんあるかいな!」

って思ってたけど本当にあるんですよね。過労で倒れるんですよ。

 

母も2回程過労で倒れた事がありました。

 

 

今なら掃除も洗濯も料理も出来るのになー

なんて時既に遅しな事を思ったりします。

 

 

 

作中娘が弁当を床にぶん投げるシーンがありましたが

ちょうどそんな事があったなと思いだしてました。

 

ちょっと立場は逆でしたが。

 

僕ら息子3人が全然手伝いもせぇへんし、忙しいのに使い物にならん遊んでばっかのアホガキやったから

母が作ったコロッケをシンクに捨てて、家を出てった事がありました。

 

母がいない=食べるものがない僕たちはそのコロッケを拾って食べたんですけど

なんかそれがすごく寂しい味だったのは覚えています。

 

母は友達の家に行って、3時間くらいで帰って来たと記憶してますが

相談する相手もおらず、役にも立たん、ワガママばかりの3人を抱えて生きていくのは

育てていくのは

 

想像を絶する苦難だったでしょう。

 

 

ほんまに朝から晩まで僕たちの為に働いてくれて

母親、強すぎます

偉大です

 

感謝ですね。

 

 

僕は自分が生きていく金を稼ぐのですら嫌なのに

lそれを息子たちの為にあんなに働きまくる事が出来るなんて

 

遺族年金もあったのですが、それには一切手をつけなくていいように母は働いてました。

 

 

ってゆーね

別にだからどうって内容のブログじゃないんだけど

 

こんな事を思いだしていました。

 

あと「反抗期」ってワードが全然しっくりきてなくて何ならムカつくよ。って話があるんだけど

それは蛇足だから今回は我慢しよう。

 

 

自分は自分で育って来たって思う瞬間あったでしょ、みんな。

なかった?

 

俺は俺で生きて来た!

俺の努力と才能のおかげだ!

みたいな。

 

 

育ててくれた親の大きさは地球みたいなもんだから、地面にただ立ってるだけのわしらには

そのでかさは分からんよ。

 

感謝せんとね。

 

 

へばな!!!!