父の趣味に陶芸がありました。

 小さな窯があり、色々な土を取りよせそれを
混ぜて焼くのです。

 元々細菌の研究者だったこともあり、同じ釉薬でも
温度毎に色合いが違うので、それを事細かくサンプルを
取りノートにみっちり数値を記入していました。

 私は無粋なのでそれを横目で眺めていただけで
今もそういう技を持っていません。

 いずれにせよ、門前の小僧で父にはいわないまでも
私も実は陶器が好きです。

 なかでも織部焼が好きです。 

 織部焼はご存知のように戦国武将の古田織部が
作陶しはじめたものです。 彼は織田信長、豊臣秀吉、
徳川家康にも仕えた武士です。 

 織部のどこが好きなのかというと、

「全き茶わんはぬるきものなり」

 という織部の言葉につきます。

 従って、割れ茶わんとか妙に歪んだ茶わんを作って
いたのです。 子供とか素人が上手に作ろうとして
間違って作ってしまったようなものをむしろ好んだのです。

 スペインの建築家のガウディと酒でも飲んだら織部は
愉しく酔えたのではないかと思います。

 彼の才能を一番評価したのは利休です。 その次は
豊臣秀吉だったでしょう。 秀吉は織部の才能を自由に
伸ばす良きパトロンだったのです。

 一方、家康は彼の才能を評価したのではなく、彼の才能
に心酔する各地の大名の統制に利用したのです。
織部は二代将軍秀忠の茶の湯の師匠にもなります。

 普通の人であれば、将軍の師匠になったのだから大満足
だと思いますが、彼は自由奔放に茶の湯ができないストレス
が溜まります。

「舟つなげ 雪の夕の渡し守 何ゆえかくは 身をつくすらん

 と嘆きました。

 江戸時代は朱子学が基本だったこともあり、自由な発想を
封じ込めた或る意味暗黒の時代だったんじゃないかと思います。
もちろん、浄瑠璃も歌舞伎もこの時代に発展するし、エレキテル
を作った平賀源内も微分積分を考えた関孝和も江戸時代の人です。
しかし、彼らも江戸時代ではなく現代に生まれていたら、もっと
大活躍をしノーベル賞を取った人になったでしょう。

 そもそもお役所というのが大嫌いです。 彼等に、独創力や
発想力は期待できないし、そういうものを認めようとしません。
実績や判例重視です。

 突飛な考えや普通でない人が生き生きと暮らせる世の中が
私は好きです!