原発事故から「再エネの里」へ/宮城県「ひっぽ電力」(vol.111) | 全国ご当地エネルギーリポート!

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-エネ経会議・特派員:ノンフィクションライター高橋真樹が行くー

宮城県最南端、福島県との県境に位置する丸森町筆甫(ひっぽ)地区。人口540人のこの小さな集落で、2016年にご当地エネルギー「ひっぽ電力」が誕生しました。きっかけは、2011年3月の福島第一原発事故です。

 

福島県飯舘村に近い筆甫地区は、放射能汚染など事故の影響を大きく受けます。そんな中、住民が主体となって地域の復興をめざす自然エネルギー事業が始まりました。現在も太陽光発電設備を建設中のひっぽ電力が生まれた経緯や、これからのビジョンについてお伝えします。

 

ひっぽ電力のメンバーと発電所の一号機

 

◆今回のトピックス 

・放射能汚染に立ち向かう

 ・設置工事を自分たちの手で

 ・エネルギーを地域の柱に

 

◆  放射能汚染に立ち向かう

 

丸森町筆甫地区は、豊かな森林と川に囲まれた昔ながらの暮らしが残る里山です。仙台からは車で1時間半かかる高地にあり、宮城県の一部ながら、地理的、歴史的には福島県と深くつながってきました。特に原発事故で全村避難が実施された飯舘村とは、文化的にも関係が深く、交流が続いてきました。

 

筆甫地区は少子高齢化、人口減少などにより、田畑や森林の荒廃が進んでいました。「どうにかしなければ」と考えた住民たちは、自治組織を中心に名物「へそ大根」を初めとする農産物のブランド化や販売促進に力を入れるようになります。また豊かな自然の魅力を伝えて、移住者の増加をめざしていました。

丸森町の中でも、筆甫地区は最南端に位置する。

 

しかし原発事故が起こったことで、原発から50キロの距離にある筆甫地区への移住の問い合わせは激減、農産物の販売なども難しくなりました。

 

しかも福島県側は東京電力から補償を得ていましたが、筆甫地区は宮城県という理由で、当初は補償も受けることができませんでした。宮城県の行政は、「県に放射能汚染はない」と宣言していたものの、実際には放射能が県境で止まるわけではありません。

 

そこで地区住民の自治組織「筆甫地区振興連絡協議会」は、インターネットでガイガーカウンターを入手、住民自身が各地を測定して地区内137ヶ所の汚染の状況を伝える精巧なマップを作成しました。また、高価な食品放射線測定器を住民や地区出身者に呼びかけて共同購入、正確な情報の共有につなげました。

 

放射能測定地図と、地図の作成の中心を担った金上孝さん

 

こうした住民主体の行動と記録は、放射線測定の専門家から高く評価されました。さらに東京電力への損害賠償請求を行い、およそ2年半後に福島県以外の地域では初の賠償の対象となりました(2014年6月)。

 

住民主体でこのようなことが実現できた理由としては、筆甫地区がもともと周囲から山々によって隔絶されたエリアのため、高い自治意識が歴史的に育まれてきたことが挙げられます。

 

◆  設置工事を自分たちの手で 

 

筆甫地区で自然エネルギー活用の話が出始めたのは、2013年の初め頃からです。放射能の影響で農産物販売が難しくなったことにより、地域に希望をもたらす起爆剤が必要とされていました。

 

当初は、豊富な森林資源や川の流れを利用して、バイオマスや小水力発電を検討しましたが、勉強や調査を進めると課題が多く、すぐには実現できそうもないことがわかります。そこでまずは事業の土台を築こうと、比較的短期間で稼働できる太陽光発電所から始めることになったのです。

 

筆甫中学校の校庭のスペースを利用

 

試行錯誤の末、震災から5年を迎えた2016年3月11日、住民有志と地区外の支援者による出資によって「ひっぽ電力株式会社」が設立されました(※)。筆甫地区では土地が比較的空いていたので、当初は大型の太陽光発電所の建設も検討していました。

 

ところがその矢先、東北電力は系統(送電網)がいっぱいで高圧(出力50キロワット以上)の発電所からの電気を接続できないと発表したため、方針転換をする必要に迫られます。

 

事業は、出力50キロワット以下の低圧電力の発電所を中心に進めることになりました。1号機の設置場所は、協議会の事務所のすぐ隣りにある廃校となった筆甫中学校の校庭になりました。設置資金の約1100万円は、地域内外の出資と寄付とでまかないました。

 

長年この地域で炭焼き職人として働いてきた目黒忠七さんは、衰退する地域を何とかしたいとひっぽ電力の社長に就任、資金集めの呼びかけも手がけました。「最初は株式会社だというと、自分たちが儲けるためにやってるのか?と疑われました。でも地域に還元するんだと説明したらだんだんとわかってくれて、出資してくれるようになった人もいます」。

 

目黒忠七社長

 

発電所づくりで印象深いのは、地域の人たちが参加し、自らの手で設置工事を行ったことです。先に完成していた飯舘電力の設備などを参考にして、重機で杭を打ち架台の設置からパネルの接続まで、すべて地域の人たちで進めました。

 

216枚のパネルを並べると、支援者それぞれの思いを、パネルの裏面に書きつけました。出力約50キロワットの1号機が稼働したのは、2016年9月です。そして翌2017年には、売電先を東北電力から、自然エネルギーの電気を中心に扱う生協系の電力小売会社「パルシステム電力」に切り替えました。小さいながらも、ひっぽ電力の復興の思いのこもった電気を、宮城県全域や首都圏の消費者に届けることができるようになったのです。

 

発電所制作に関わったメンバーや出資した人々がパネルの裏に書いたメッセージの一部

 

※  ひっぽ電力は、発電事業のサポートのため、2015年末に環境エネルギー政策研究所(ISEP)と委託契約を結びました。ISEPは、福島県のご当地電力会社の先駆者にあたる会津電力や飯館電力の設立、運営にも尽力してきました。

 

◆エネルギーを地域の柱に

筆甫地区ではかつて「たたら製鉄」が行われていた。それを再現してつくった製鉄釜

 

イベントで作った鉄塊

 

一基目の成功を見た住民から、「うちの空いている土地も使って欲しい」と声がかかるようになりました。そして2017年から18年にかけて、同じ規模の太陽光発電所を13ヶ所建設しています。資金は2億円以上を調達する必要がありましたが、ソーラーシェアリングなどにも積極的に融資している城南信用金庫と、やはり飯館電力に融資した経験のある福島信用金庫が、半分ずつ融資することになりました。

 

一基目の設備と合わせると合計14ヶ所で産み出す電力量は、データ上では筆甫地区が消費している電力量と同等以上になります。目黒忠七さんは、「今後は太陽光以外の発電所も増やして、『再エネの里』として筆甫に元気を取り戻したい」と意気込みます。

 

売電収益の一部は、地域振興のために活用していくことになります。筆甫地区振興連絡協議会の事務局長を務める吉澤武志さん(ひっぽ電力取締役)は、収益の活用の仕方についてこのような案を検討しています。

 

「ぼくたちは別に電力をやりたかったわけではありません。ただ、地域を何とかしたいという願いに応えるツールとして発電をしています。収益の使い方はいま話し合っている最中ですが、草刈りなど地域の課題解決のための資金や、新しい事業に投資して収益を生むような使い方も考えています。今までは、マイナスをゼロにすることを必死にやってきました。でもこれからは太陽光発電を足がかりに、ゼロをプラスにする事業を手がけていきたいと思っています」。  

 

放射能がやってきた小さな村で、集落の復興の思いを込めて手作り作られた太陽光発電所が、今日も発電を続けています。

 

左から浦井彰さん、吉澤武志さん、目黒忠七さん、金上孝さん

 

◆お知らせ:映画「おだやかな革命」上映情報!

 

日本で初めて、ご当地エネルギーの取り組みを描いたドキュメンタリー映画

「おだやかな革命」の公開が2月3日より始まっています(東京のポレポレ東中野及び山形の鶴岡まちなかキネマ)。ぼくはこの映画にアドバイザーとして関わらせてもらっています。おかげさまで好評を頂いており、ポレポレ東中野では4月中旬まで上映が継続するロングランが決定しています(3月10日現在)。

 

会津電力、飯館電力、にかほ市と生活クラブの風力発電、郡上市石徹白集落の小水力、岡山県西粟倉村のバイオマスなど、このリポートでもおなじみのご当地エネルギーが続々登場します。自然エネルギーの活用によって衰退する地域を取り戻す挑戦を、4年にわたって追い続けた大作です。まだ未見の方は、ぜひご覧になってください。

 

詳しくは映画のホームページへ。