第78回:ドイツで起きていることがなぜ日本で理解されないのか?/村上敦さん(前編) | 全国ご当地エネルギーリポート!

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-エネ経会議・特派員:ノンフィクションライター高橋真樹が行くー

この全国ご当地エネルギーリポートでは、ドイツの事情についてもいろいろと取り上げてきました。日本とドイツのエネルギー事情の違いや、それにまつわる報道のされ方を見聞きしてぼくが感じることは、大事なことが日本に伝わっていないのではないかということです。

特にドイツの情報については、「ドイツは素晴らしい」という絶賛する情報か、「ドイツは失敗した」という全否定の伝え方かのどちらかしかないように思います。こういう極端な伝え方がされる背景には何があるのでしょうか?前回のリポートにも登場していただいた、ドイツ在住で日本との間を行き来しているジャーナリストの村上敦さんに、より詳しくうかがってみました。

◆今回のトピックス
・日本の報道のあり方について思うこと
・基準はお金ではない
・どういう選択をするのか?が大切

◆日本の報道のあり方について思うこと

ドイツのエネルギー政策について、日本での報道のされ方はちょっと問題があるように思います。これは「将来のエネルギー源をどう選択するか」という話なので、単純に「成功か、失敗か」という2択ではありません。 

当然ながら、どんなエネルギー源にも長所と短所があります。その中から、現状と未来の展望を検討して何が利用できるのか選択していく。どれを選んでも良いことばかりの話は絶対にないし、逆に悪いことばかりでもありません。

これはエネルギーだけではなく、車を買うときも同じようなもので、AかBかを選択するようなあらゆる場面で遭遇する問題です。原発がいいと思っている人は、再エネの悪いところはいくらでも挙げられるし、逆もまたそうでしょう。お互いでそれを言い合っているだけでは議論はなかなかかみ合いません。


村上敦さん

その中で、ドイツはなぜエネルギーシフトを、そして再エネを選択したのでしょうか。それは国民の将来の希望がまずあり、その希望を形にするための行動がドイツ各地で草の根的に続けられ、それがある程度大きくなり、成熟した際に、それを取りまとめた形で政府が2050年までにどんな社会にするかという長期的なエネルギービジョンを描き、その政策を国民が支持したからです。

メルケル政権は当初、再エネへの転換に前向きというわけではありませんでしたが、国民の声の高まりで、やらざるをえなくなったという経緯があります。ドイツが推し進めるエネルギーシフトはトップダウンで決められた政策ではないし、経済的な理屈は後付けです。最初に大多数の国民の希望があったから、今、その政策があるわけです。

現在はそれによって課題も出てきていますが、どんな選択をしてもある程度の課題は出てくるものです。そこだけにスポットを当てて、「だからドイツはうまくいっていない」「再エネ政策は失敗した」などと伝えるのはフェアではありません。

2050年という長期的なプランに基づいて取り組んでいるのだから、その道のりを歩むために現状はどうなのか、という基準で評価すべきことだと思います。

◆選択の基準は「お金」ではない

日本でエネルギーの話をすると、なぜかすぐお金の話にすり変わってしまう気がします。目先のコストをペイしなければいけない、という思考に固まっている人が多いように思うのです。品質とか安心とか、どういう社会にしたいのか、子どもたちをどのような社会で育てたいのか、といったことなど、お金以外にもいろいろな判断基準があるはずなのに、今の瞬間のコストだけが関心事になってしまうのはおかしい。



日本がしているあらゆる選択は、コストとそれをペイするかどうかだけで決めているでしょうか? 例えばオリンピックを誘致しようというとき、ペイするかどうかだけが基準でしょうか? サッカー場を作ろうとか、芸術や文化に対して投資しようというときに、ペイしないからやめましょうとなるでしょうか? それだけで決まっているはずはありません。ペイするかどうかというのはたくさんある要素の一つに過ぎないのであって、決定的な要因ではないのです。しかし、日本ではエネルギーというとすぐにコスト、お金の話にすり替わってしまいます。

最も大事なのは、「多くの人がその選択をしたいのか、したくないのか」という至極単純なことです。エネルギー政策も同じで、社会の大多数の人が納得できる選択をする上で、コストは一要因にすぎません。


ドイツのソーラースタジアム(撮影:村上敦)

日本では福島の原発事故があり、何回アンケートをとっても「原子力にはできるだけ依存しないようにすべき」という意見が大勢を占めています。だったら、まずは長期的にそのようなビジョンを描けばいい。例えば2050年までにどのようなエネルギー供給を目指すのか、何を選択するのか、まずそれを決めるべきでしょう。

◆どういう選択をするのか?が大切

日本のある人たちは、福島で原発事故があって恐いから「再エネ万歳」となる。他方でそういう動きに批判的な人たちが「経済的な状況があるから、せっかくある原発を使わず、不安定な再エネに頼るのは割高だ」という意見が出る。でもぼくからすると、そのどちらの立場も「意見」と呼べるようなものではありません。

「将来のことを考えてどういう選択をするか」というときに、ドイツの人の多くは、そういう考え方をしません。もちろん、今の瞬間すでに抱えていて動いていない設備があるから、それを使って安くしようとは考えます。

でもそういうことと、2030年とか2050年にこの国のエネルギー源をどうしようかという話は、まったく次元が違います。それを一緒にして話しても意味がありません。

日本とドイツで一般的な市民が考えるエネルギーの話としては、その辺の考え方が根本的に違うのではないでしょうか。たまたまドイツが再エネを先進的に導入している国だから、良くも悪くも持ち出されて、「ドイツは失敗した」とか「ドイツのようにすべきだ」という両極の意見を目にすることが多くなっています。

でもドイツという触媒がなかったとしても、たぶん日本の中では同じような議論になるのではないかと思います。「ドイツではなぜ今これをやっているのか」という全体像を見ずに、両極端な意見が飛び交っているという点には、とても違和感がありますね。



原発の再稼動についても同じことです。「将来どうするのか」というビジョンを決める前に、再稼働するかどうか、という話を最初にするのは良くない。まず2030年とか2050年にはどうしたいのかを決めてから、バックキャスティングして考えていけば、今やるべきことがわかってくるはずです。

日本ではそこが決定的に欠けているのではないでしょうか。目先のことをどうするかについて場当たり的にやっているので、ドイツの議論や政策を正しく理解できていないように感じます。もちろんこのことは、突き詰めて言えば、国民がこの問題に関心があるかどうか、ということでもあります。将来どんな質の生活がしたいのか、ということに通じる話ですから。

◆高橋真樹の感想

村上さんが、「日本では将来のエネルギーをどうするのか、というビジョンが見えない」と言うのは、ぼくも全くその通りだと思います。日本では2015年に、経産省が2030年時点の電源構成を示しました。しかし、それは明確なビジョンに基づいてどうするかという議論がされたわけではなく、今ある設備を前提にそれをなんとなく引き伸ばしたらこうなるよね、というものでしかありません。

そして将来どうするかという議論が欠けているということは、エネルギー政策に限らず、あらゆる分野に言えることだと思います。ドイツの政策と日本の報道や議論のあり方にギャップが生まれるのは、こういう部分が理解できているかどうかで違ってくるのではないでしょうか。次回は、引き続き村上敦さんにドイツのエネルギーシフト(エネルギーヴェンデ)と経済の関係についてお聞きしています。

村上敦さんインタビュー後半エネルギーヴェンデとドイツ経済



日本でも動き始めた地域のエネルギープロジェクト

高橋真樹著『ご当地電力はじめました!』
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