第14回:島根県浜田市・中国ウィンドパワー〜中小企業、風車を建てる・前編(中国・風力) | 全国ご当地エネルギーリポート!

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-エネ経会議・特派員:ノンフィクションライター高橋真樹が行くー

❒13基の風車を建てた、社員4人の企業

 ワクワクするような自然エネルギーの取り組みを伝える「高橋真樹が行く 全国ご当地電力レポート!」。第14回は、地域で風車事業を実施しているキーパーソンへのインタビューです。


美しい海岸沿いに11本の風車が並ぶ、江津東ウインドファーム

 風車の地域事業といえば、以前、「北海道グリーンファンド」を中心とした、NPOによる市民風車建設の取り組みを紹介しました。今回紹介するのは、北海道の例とも異なっています。エネ経会議の会員さんでもある中小企業が、単独で風車を13基も建ててしまったという驚くべき取り組みです。

 事業性のある風車を建てようとする場合、1本約2億円から5億円の費用がかかり、その他にも法規制や立地の問題などハードルの高さから、国や大手でないと手が出せないと思われがちです。実際に、現在の日本にある風車のほとんどが、大企業の傘下にあります。

 ところが、島根県浜田市に拠点を置く「中国ウィンドパワー」という会社は、さまざな課題を乗り越え、風車の事業化を実現しています。従業員4名という小さな会社がなぜ巨額の費用のかかる風車事業を始めたのでしょうか? また、大手がつくる風車とはどこが違うのでしょうか?

 さまざまな疑問を、中国ウィンドパワー社長の矢口伸二さんに伺ってきました。前後編の2回にわたってお伝えします。


❒「風という地域資源」を地域のために活かしたい

高橋:まずは、現在建っている風車の設備について教えて下さい。

矢口:建てた順番から言うと、中国ウィンドパワーの本拠地である浜田市に1基、益田市に1基、そして江津(ごうつ)市に11基で合計13基です。総出力は約2万6千キロワットで、一般家庭1万4千軒分の電力を生み出しています。
 私たちは地域で事業を回すことを大事にしているので、それぞれの地元に法人税が落ちるように、中国ウィンドパワーの子会社という形で、それぞれ益田ウィンドパワー、江津ウィンドパワーというSPC(特定目的会社)を設立して、中国ウィンドパワーから社員を派遣するという形で運営しています。

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2基目となる益田市の風車の建設の様子(提供:中国ウィンドパワー)

高橋:中国ウィンドパワーという名前を聞いて、中国電力と何か関連している会社かと思いましたが(笑)、違うんですね。

矢口:本当に小さな会社ですね(笑)。島根県は東西に細長い形をしていて、島根県の東側は出雲地方、そして我々の会社がある浜田市は島根県の西側で、石見地方に位置しています。益田市も江津市も石見地方です。会社を作った当初は、風車を石見地方だけでなく、また島根県だけでなく、中国地方全体に広げていきたいと構想していたので、このような名前にしました。ところが、最初の浜田市につくった一基目の土地が県立公園周辺に位置していて、景観上問題があるとの理由により県からストップがかかってしまいました。それで2年ほど着工が遅れ、その間に我々がやろうとしていた場所に、県や大手事業者が先に作ってしまい、当初の構想のようには広がってはいないのです。


中国ウィンドパワーの社長・矢口伸二さん

高橋:現在、日本で風車を手がけている事業者は大手がほとんどですが、中国ウィンドパワーは独自の展開を見せていますね。

矢口:日本全国の3割から4割が東電の子会社。電源開発(Jパワー)が3割くらい、あとはコスモ石油と日立、中部電力の子会社などが運営していてぜんぶ大手です。風も立派な地域資源です。それが大手企業の本社がある都市部に持って行かれているということになる。そこから地元企業が工事の受注をしても、3次受け、4次受けとなってほとんど利益は入りません。お金の流れという意味では、風車事業も原発と変わらない構造になってしまっているのです。

 島根県の貿易額は赤字ですが、一番大きな額をエネルギーに支払っています。今はそれを中央からの交付金でカバーしていますが、いつまでも続けられるわけではありません。私たちのような地域ベースでエネルギーをつくる取り組みが増えることで、その構造を少しでも変えていければと思っています。私たちは大手が関わる部分を最小限にして、地元業者さんに利益が回せるようにしています。中間にいろいろな業者が入らなければ、全体の経費も減らせることになるので。


江津の風車の近くには電車が走る

❒町おこしでできたつながり

高橋:風力事業を始めるきっかけは何だったのでしょうか?

矢口:私は東京出身で、17年前に浜田市にIターンしました。東京にいた頃は鉄鋼会社で海外営業などを行っていました。風車を手がけるようになったのは、ここに移住してから、かつての会社に、島根で風車を販売できないかと声をかけられたのがきっかけです。
 当時は別に、「原発からエネルギーシフトをしなければ」という意識はありませんでした。ビジネスになるという感覚と、環境問題への意識はあったので、それではじめたのです。

高橋:環境に関心が高かった理由は何でしょうか?

矢口:子どもの頃、両親がよく神奈川のビーチに連れて行ってくれたのですが、車で何時間もかけて行った真っ黒なビーチには、芋の子を洗うように人が溢れていました。でも島根に来たら、沖縄の海かと思うくらいきれいでしょう!砂浜も真っ白で、私は本州で一番きれいじゃないかと思うんです。不便な場所で、人が来ないからきれいなのかもしれません。水も食べ物もおいしいし、こういう田舎は素敵ですよ。環境を守る意識は、そういう体験から作られたと思います。
 
高橋:東京から来た矢口さんが、浜田で風力事業をはじめるときに支えてくれたのはどんな人たちだったんでしょうか?

矢口:浜田に来てから、飲食会社の経営をやりながら、地元の商工会議所の青年部で、町おこし事業に携わっていました。コンテナ船の誘致とか、中古車輸出の手続きをしたり、魚の大鍋フェスティバルを運営したりと、ボランティアでいろいろなことをやりました。 
 東京の企業にいると、地域のお祭なんか関係ないんです。3000人くらいの会社のいち社員として、その中で関係性をつくれればよかった。でも、田舎に来て我々のような小さな会社がやっていくには付き合いが必要です。それで外につながりを求めるようになりました。今は町を発展させることが、商売にも活きることがわかりました。

 そうしたつながりの中で、よそものだった私も認められるようになり、ものすごく人脈ができました。中国ウィンドパワーを立ち上げるときも、そのとき信頼関係を築いた人たちが支えてくれました。実際に株式に出資してくれた方もいますし、その方たちの協力がなければ、とてもできなかったですね。皆さん自分の利益よりも、地域のこと、環境のことを大事に考えている人たちです。

❒事業をはじめていきなりの困難

高橋:最初の風車の建設が2年遅れた経緯を教えて下さい。

矢口:県が景観に問題ありと開発に待ったをかけたのですが、実はそこにあった県の歩道は全く手入れされておらず、景観も何もあったものではありませんでした。それをもって自然を守れと言うのはなんだかおかしい。要するに、新しいことをやろうとすると県民の中から苦情を言う人が出るので、その責任を回避したかったのだと思います。


浜田市に設置した最初の風車(提供:中国ウィンドパワー)

 ただ、私はここの出身ではないので地元の方に意見を聞きました。すると、風車のイメージは案外良くて、応援してくれる人も結構いたんです。それで頑張ってみようと思いました。

 地元との交渉にあたったのは、私だけではありません。私は方言がしゃべれない。浜田弁はすごくやわらかい感じがして、東京の人の会話はきつく聞こえます。親近感がぜんぜん違う。そういう人が一緒に交渉に行ってくれたので話を聞いてもらえました。もうひとつ大きかったのは、松江にある県庁が最初に反対したものですから、地元の人から反発が出たんです。「なんで地元がまだ何にも言っていないのに、遠くの県庁が反対するのか」と応援に回ってくれたんですね(笑)。あとは地元の人間がたくさん関わっているので、それが大きかった。信頼関係も、県民の声としても賛成派が増えていきました。
 
 ところが2003年に、2年がかりで県が出した答えは結論先送りというものでした。そのときに浜田市長が責任をもって進めると言ってくれたんです。それならというので、島根県は容認に転じました。あのときは嬉しかったですね。浜田市長に直接聞いていませんが、おそらく私が町おこしを頑張っていたという事を認めてくれていたのではないかと思っています。

【後編につづく】