上杉鷹山の綱紀粛正に見る清閑亭問題 | おやまだやまと公式ブログ『推譲(すいじょう)』

上杉鷹山は愛のある指導者であり政治家でありました。


しかし、それは優しさに満ち溢れただけの人であったわけではありません。


時にはあっと驚く豪胆で果断な処置をもしています。


7家騒動がそれです。


上杉鷹山のそれまでの上杉家の伝統と格式を無視した改革に家老格の重臣が反発。


須田、芋川、千坂、長尾、色部という昔からの高禄をはむ家が上杉鷹山を部屋に押し込めて建言書を受け入れさせようとした事件です。


この時、上杉鷹山は養父重定に家老達の行いに同意か確認すると同時に、すべての家臣に総登城を厳命し、この家老達の意見に同意か?を確認。


そうでないとわかった時、この家老達を須田、芋川の切腹、ほかを隠居、閉門等にさせたのです。


上杉鷹山、この時、まだ30になるか?ならないかくらいだと思います。また養子として日向高鍋三万石から来たいわば外様的な立場で


こんな決断をするとは誰も思わなかったわけです。


ここに私は真のリーダーの器をみます。


優しさだけではなく、優しさのうちにも筋を通すときは通すという強さを持つことが大切。


加藤憲一さんがそれを成すことが出来るか?


例えば清閑亭問題



これも市民が動いて監査請求を出し、監査委員の勧告を受けて調査させるとのご意向。

加藤憲一さんだけならここまではきりこめなかったかもしれない。でも、市民が自分事として動いてこの状態がある。

現にこの監査委員への異議申し立てが、文書に残してないとか、文書がない、という行政の懈怠につながってることを浮き彫りにしたわけです。

それを受けて、この清閑亭問題について綱紀粛正の観点からしっかりとした処置をすることができるか?

は、加藤憲一さんの中にある優しさの中に厳しい処断をすることが出来るか?という1つの物差しになると思います。

行政はチェックを絶えずしていないと暴走し、甘い汁を吸いたいやからと徒党を組み権力の濫用が起こる組織でもあるのです。

だからこそ、日々、主権者たる市民は関心を持ち続け、声を上げていかねばならず、それは、国民や市民の責務なのです。

たとえ嫌われてもそれをやり続ける強さを持たなければ主権の行使など本来は出来ない。

だから、僕は嫌われようが、干されようがおかしいものはおかしいと声をあげ続ける動きをしているのです。