僕が尊敬してる人物の1人に上杉鷹山がいます。
瀕死の米沢藩を立て直した名君として有名です。
私も丁度、今から1年ほど前に改て上杉鷹山の足跡を辿るために一泊して米沢を回りました。
彼の政治を1言で言えば
民の好む所を好み民が憎むべきを憎む政です。
病人や老人や子ども、そうした弱きものの為に行う政です。
彼は、そうした改革の人材を育てるために
興譲館
という藩校をつくりました。
譲ることを興すことが大事だと言う意味ですね。
そのこともあり私がやる
推譲館
という名前を思いつきました。
かなごて農学校は
クラーク博士の
札幌農学校
からとりました(笑)
小田原は先の市長選挙で上杉鷹山を意識してる加藤憲一さんが市長に返り咲きました。
上杉鷹山の逸話で有名なのに
火種の話があります。
板谷宿というところから米沢藩を見たら海も山も土も死んでいた。何より人が死んでいた。人の心が死んでいた。
大変な藩に来てしまった(鷹山は養子なのです)。
この火鉢にある灰のようなものだ。しかし、死んだ灰をほじくっていたらかすかな残り火があった。
これだと思って、それに息を吹き込み、新しい炭にその火を点火し続けた。
この火種こそ、誰あろう、まずはここにいるお前たちだ。
しめった火種、反対するもの、色々いると思う。だが、まずは、お前たちが各々の言葉で、持ち場で、改革の必要性や協力を求める動きをしてほしい…
そうすれば、この米沢藩は必ず変わることが出来る
大体、そういう話です。
加藤憲一さんが市長になり、私は上々の滑り出しをした。
そう思ってます。
これから次の手をどう打つか?
そこにかかってくる。
私はそう思います。
何でも加藤さんに語らせてはならないのです。加藤さんは理想化肌です。言葉が先に走るきらいがあります。
しかし、支えた私らが加藤さんのマニフェストに流れる精神をよく読み込み、自分の言葉で加藤さんが
市民のために、ここに住む市民一人ひとりの幸福と安寧を心から祈るために行う施策を自分事として語り、仲間をつくり連帯の輪を広げていくことをすることが
この間に示された選挙結果の民意だと私は思っているのです。
そんな意味では、加藤さんにだけ全てを任せるのではなく、ある意味、加藤さんの思いを我が思いとして自分の市政でやることをやっていく。
まさに上杉鷹山の目指した改革のようになれるのか?
慈愛と慈悲と愛に満ちた政を行うことができるのか?
それを自分事として、加藤さんを市長に戻した人たちが、責任を放棄することなくやれるのか?
そこにかかっているのです。
そういう意味でね、私もね、小田原で嫌いな人たちもいますよ…むこうだって嫌いだということもわかるけど
しかし、いつまでもうちらがいがみあったり牽制したりしてるのは小田原のためにもならない…
ということを考えるならば、日々ベタベタする必要はないけど、少なくても同じ目標を確認しあい、その中で連携できること、連携したほうがより大きなことが出来ると思うことがあるならば
自分の私怨は横において手を握る
これこそが、加藤さんがいう
一円融合
なんだろうとも思うので
そこは水に流して、我慢はしてお付き合いはしようと思っています。
とまあ、そーいうことも含めて大所に立てるか?という見識が問われている、ともいえますけどね…