掃除がきちんとできない人が、ホントの意味で仕事ができるのか?
私は出来ないと思います。
もう一度…
原点から…
はじめから…
やり直しです…
今日、朝から田んぼの確認、ヤギの確認、清川村へ商品の搬入、井上種苗、中谷税理士事務所、下曽我梅の里センター、をまわり
SIESTAに帰ると
掃除をされた、というのに、全然きれいになってない…
流石にこれでは気持ちよくない…
キッチンの壁は油だらけ…なので購入してきた洗剤を吹きかけふきふき
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240606/19/enejim/00/db/j/o1080081015448239352.jpg?caw=800)
業務用冷蔵庫は中に残るもはや使えないものは全て捨てて、中に入るバットと全然ふけてないから取り出して洗浄。
冷蔵庫もブラツシングしてないから汚れも残る。水を流すことができるというので流してブラッシング
掃除なんてのは日々のルーティンで少しずつやるものです。
それをずっとやらなければ汚れがひどくなり、確かに落ちにくくなってて余計に時間もかかる。
計画性というか、なんの為に掃除をするのか?それは哲学なんですよ。
掃除掃除と何度も言われてもこれを改めなければ、結果はいわずもがなです。
履物をそろえる
ではないですけどね、掃除ができないというのは、心が既に乱れているということ。つまり仕事としての
構え
が既に出来てないということです。
構えというのは基本です。相撲で言えば四股です。私がやっていた剣道でいうと文字通り構えです。
上段の構え
中断の構え
構えができてる人はホントに隙がない…そんな境地になるのは仙人ですが
私は自分が仕事を日々するとき、地域づくりを仕事とする時は
自分なりの構えフォームがあるので、それを崩さないように努力してるつもりです。
それができないところではテクニカルな処世術とか何の意味もなさないですね。
その基本ができないならば、ここをもう一度しっかり見つめ直す…
経営ですから、情に流されっ放しはダメ。やはり決断しないといけません。仲良しクラブではありませんから。そのための農家カフェSIESTAの閉店です。
掃除って基本中の基本です。ある意味、掃除は自分を洗い流すということでもある。それは自分を見つめ直す、ということでもあるのです。
自分と向き合うとも言える。
だから大事なのです。
そこがわからないのでしょうね…
掃除をして汗をかきながら無心でブラシをかける。色々気づくことがあります。
まさに
掃除は人生修養だな
と今日も感じました。
農家カフェSIESTAは一度閉店はします。しかし飲食をやめる訳ではありません。
もう一度、立て直してどんな形になるか?はわかりませんが
若い人たちの力も借りて何某かの形で農家の飲食店を復活させたいと思います!