昨日、環境志民ネットワークの総会が開かれました。
役員の改選という議題がありました。
私はそこは噛みつきました。
会員に一言の相談もなく、旧役員が勝手に事務局と相談して決めている感じだったからです。
この国は民主主義国家なので、密室で談合みたいに決めたというのは誠に印象がよくない。
特に、環境支援補助金という税金を原資としたお金を交付する時にどこにどの程度のお金とするか?
それを選ぶのはは理事の一部なので、きちんと皆から選ばれてるという形にすることが大切。
そこを変えて欲しいと話をして理事選定のプロセスを明確化したから2年前の立候補、論文、面接の公開性を担保した運営になりました。
今回はそれがなく、勝手に事務局案なるものが出てきたので
これは看過できない
そう思って意見しました。かなり厳しく。とはいえ、こーいうのは儀式なので、もうあらかた決まってるのです。
いくら反対したところで、この原案が通るし、通さないと大変ですからね…
このことを進めた事務局や理事には非常に私は不満です。
この間の透明性や公平性、平等性の担保という民主主義の根幹。積み上げてきた中身が台無しにされてるからです。
つまり、理事の改選などがあるならば、少なくても会員に、理事の改選がありますが、やりたい人はいませんか?
これは聞くべきです。
そして出てきた中身として、ふさわしい、ふさわしくないの判断は、どーいう判断でするか?とかそれは必要ですが、やったうえで
昨日示される原案ならいいんです。
理事選定のプロセスは透明でなければなりません。。そうでないと正当性の根拠がないからです。
みんなから選ばれた
その儀式が必要なのです。
なぜ、市長がつよいか?
それは選挙という市民が選ぶ行為を経てるからです。
それが力の源泉になる
というのが、民主主義のルールです。
私は殊の外、憲法を大学で学んできたこともあるのでしょうか。そこの価値を大切にしてます。
だからこそ、そこから外れることをやられると噛みつくのです。
議論の中で、ギスギスするから小山田くんのやり方はなじまない、というような話もでましたが私はそれは違うと考えます。
日本人は議論が下手です。自分と違う意見を言うとすぐに感情がはしり、人格を否定する方向に走ります。
穏やかな形にしたいからあえて議論をする。議論はしっかりする。そこではある意味はげしくやることもあるでしょう。
これを取り入れるのが
加藤憲一さんがいう市民が主役のまちづくりなのです。
そうして終わったら、また、一緒に酒を飲む。
それが成熟した民主主義国家なのです。
まだまだ日本は民主主義が成熟してるとはいえませんよね。
つまり、すべての人に等しく、そこに参画することが出来るという機会の均等が図られてる事が大切なのです。
でね、仮に、今の私が、何が何でも理事にさせろなんてやると、どうなりますか?
あいつは加藤憲一を市長にしておごり高ぶる、調子にのる、そうなって、加藤憲一さんにも迷惑がかかるかもしれない…
それに最終的には別に出された原案で私もよいのです。
僕が問題にしてるのは選定のプロセスなのです。
そこに法律用語で言うと瑕疵というのですが、傷です。それがあると、良いものでも良くなくなるのです。
それは行政職員ならわかるはずです。配慮すべき、調整すべきはまさにそこなのです。
ということを思うし、申し上げたことをここに記載しておきます。