昨日の公開討論会を見て、凄く率直に書くと、守屋輝彦市長も結構頑張ってるわな、という思いは持つ
わけです。
彼は現職の市長です。
まだ4年間しかやってない。それでは成果が出ない。故に確実に成果が出るためにあと2期はやらないと
そーいう雰囲気が出てくるし、そ~思わせたいんだな、とは僕は感じました。
確かに色々とやってますね…
それがいい悪いはあるけど、何も考えずに何もしてないわけではないですね。
それに、もう一つ感じるのは
守屋輝彦でも加藤憲一でも、政策はあんまり差異が感じられない、ということです。
正直、私くらい政治に玄人であっても、何が違うのか?少なくても昨日の公開討論ではわからないです。
言えることは、政策の優先順位が違うだけです。何を大事にしてるか?どの価値を大切にしてるか?
基本的にはこれだけです。
世界が憧れるまち
か
何よりもいのち
これ、でも、相当違うんです。
世界が憧れるまち
これって、誰が憧れる?
市民じゃないんです。周りなんです。基本的に市外の人から小田原がよそのそれこそ世界の人から憧れられる
つまり、られるだから
受け身です。
対して
加藤憲一さんの
何よりもいのち
これは、どこのいのちか?もちろん世界のいのちもあるでしょうが、まずは、小田原に住む人のいのちのことなのです。
様々なドレスコードをしまくり、着飾りまくり、だけどそこで生活する市民は年貢をむしり取られ、あくせくしながら、見掛け倒しの虚像をつくるのか?
市民の命にむきあい、時には汗も流してもらうけど、という社会をつくるのか?
でも、そこの違いを際立たせるまでの討論には昨日はなりませんでした。
今の自治体の首長に求められる具体的な政策は、はっきり書くと、そんなに個別具体論としては違いはほぼないといって良いのです。
だけど、色は出ますね…
箱物ばかり作る、とか、そうでないとか…
では、そんなに違いがない中で、一体、何をもって判断すればいいのか?
色んなことはやってくれる…つまり決断と実行はしてくれる
だけど…基本的に仲間には手厚く、行政の公平性や公平性なんてくそくらえ、
嘘をつこうが、ギャクギレしようが不誠実だろうが、道徳的に倫理的にどうであっても
政治は結果責任だから、法と証拠に基づいて起訴されなければ何をしてもよい
という、マキャベリズム信奉者を市長にするのか?
嘘をつかない、誠実で真心を込めて、民を慈しみ、民とともにあろうとする人を選ぶのか?
つまり、その人の持つ、徳とか人柄とか、そーいうもので選ぶしかないのでは?
そう思います。
守屋輝彦は確かに色々やります。だけど、彼は、4年前に市長になったとき、嘘をついた。その事を指摘されても誠実に答えようともしなかった。
執拗に追及するとある市議に、懲罰をせまり、孤立させ、1人会派にするように仕向けた
友達を政策監に起用するというお友達人事をやる
小田原市立病院、清閑亭、選挙ポスター問題、メンチカツてるちゃんロゴ問題
しらないとか、認識が甘いとかいいながら、バレなければいい、小田原の財産は全て自分のものだから自分の仲間に分け与える
そーいう人が
小田原で一番尊厳のある人、偉い人でよいのか?
ということです。
嘘をつきまくり、バレなきゃ何をしてもいいという人が小学校や中学の入学式に
嘘はついてはいけません
真面目に誠実に真摯に生きましょう
なんて、いえるのか?
子どもでもバカにしますよ…そんな市長は。
だから、守屋は今回は1度、彼のためにも落ちたほうがいい。
真面目に正直に生きてる人がバカを見るんだな、なんて思わせる社会は
暗黒な社会です。
そこを気づいた上で、1度辛酸をなめて、それでもまた政策をやりたいのだ、というならやればよい。
その時は私も応援します。
だけど、今の彼が市長に仮にまたなっても、信頼が戻ることはないです。
政治は信頼です。いや、政治だけではなく、生きることは信頼をどう積み重ねていくのか?
これにつきます。
信なくば立たず
そーいう言葉があります。
信頼や信用があればこそ、これだけ難しい時代の局面で市民に語りかけ問いかける事が出来るのです。
市民の意に反することでも聴いてもらうためには為政者=市長の徳が必要なのです。信頼が必要なのです。
誰もが右肩上がりで分け前にあずかれた時代なら徳なんてなくてもおいのかもしれない❨そうはおもわないけど❩
でも、今は人々の幸福感も多様化し、生き方も多様化してるなか、成長の果実を享受出来ない人たちもある中で
皆がシビアになってるのです。
だからこそ、逆に、人々がひれ伏すような権威、私はそれこそ、今の時代には信頼や信用だと思うのです。
そこを今回の小田原市長選挙は問われているのだと思うのです。
是非、有権者の皆さんにも、こーいう観点から考えてもらいたいな
そう、感じております。