二宮金次郎を観て 今の小田原市長に一円融合思想があれば… | おやまだやまと公式ブログ『推譲(すいじょう)』


昨日、この映画をはじめて観ました。前々から観たいと考えていたのですがなかなか観る機会も無く、ここまでひっぱりました…

新しく出来ました小田原シネマ館


ここで観ました。

分度とは、身の丈にあった心とか、まずは自分の生活を成り立たせることが結果として国を良くするとか、

絶対の善人もいなければ、絶対の悪人もいない。全て対立することは円の中にという一円融合の考えなど

この映画館を作った蓑宮さんと自分の関係性があるなかで、このテーマの二宮金次郎という映画を最初にやってるなかで、

オープンから間もない時にふと

行こう

そう、思って昨日いったことも

ある意味では導かれてると言うか、御縁を感じます。

封建制における身分制度がカッチリしてる中で農業をやったり、荒廃した地域を農民出身の金次郎が建て直す大変さは

今、小田原かなごてファーム、いや私が手掛ける事業そのものが二宮金次郎がやってることに通じるものがあり

農業とエネルギーを組合せるソーラーシェアリングの実践。小田原かなごてファームでは7号機まで着手してます。次年度中には7号機が完成する予定です。

自分事化できることなので

何度も感極まるものがありました。

先程ものべた

絶対の悪人も絶対の善人もいない

貧富
苦楽
善悪

それらは全て円の中にある

というのは

つまり、対立してあるもの、いるもの、これもまた一つの円の中にありる、というのは

あの場所で観るからこそ

何か私の心に刺さるものがありました。

恨みや憎しみ、好きとか嫌いとか

それとて同じ円の中にありある事象を別の角度で観てることであり、また現してるにすぎない

つまりは

同じこと

対立概念でも何でもない

というような

一円融合の精神

若い頃の二宮金次郎は

信じるものは自分しかいないという母の教えを

最後は不動明王に焼き尽くさせた

といいながら

人を信じる

人を頼らなければ自分だけではやりきれない

という話を映画ではしてましたので

そういうことかな?

と私は受け取りましたが、

そーいう世界観を守屋市長もこの小田原シネマ館のこけら落としに参加してたようですから

持つことが出来たなら

今のこの小田原のある意味では醜い争いも分断も起きなかったのではないか?

私にはそう思えてなりません。

民の模範たるべき武士が民の障壁になっているとするならば、そのような武士はいらない

という趣旨の小田原藩主の大久保忠真の言葉もまた訴えるものがありました。