平成20年に生まれた娘、涼葉が今日、小田原市立千代中学校を卒業した。
千代中学校77回目の卒業生全員での最後の共同作業
旅立ちの日の合唱
校歌、国歌をいれて五曲も歌う卒業式でした。とても珍しいですね。
旅立ちの日は、私も好きな曲で、この歌は、普通に聞いているだけでも涙が出てくる曲です。
歌詞は以下の通りです。
白い光の中に 山並みは萌えて
はるかな空の果てまでも 君は飛び立つ
限りなく青い空に 心ふるわせ
自由をかける鳥よ 振り返ることもせず
勇気を翼に込めて 希望の風に乗り
この広い大空に 夢を託して
懐かしい友の声 ふとよみがえる
意味もないいさかいに 泣いたあの時
心通った嬉しさに 抱き合った日よ
みんな過ぎたけれど 思い出強くだいて
勇気を翼に込めて 希望の風に乗り
この広い大空に 夢を託して
今 別れの時 飛び立とう 未来信じて
はずむ 若い力 信じて
この広い この広い 大空に
今 別れの時 飛び立とう 未来信じて
はずむ 若い力 信じて
この広い この広い 大空に
この曲には素晴らしい誕生秘話があります。
引用すると
秩父市立影森中学校の校長だった小嶋は当時、荒れていた学校を矯正するため「歌声の響く学校」にすることを目指し、合唱の機会を増やした。最初こそ生徒は抵抗したが、音楽科教諭の坂本と共に粘り強く努力を続けた結果、歌う楽しさによって学校は明るくなった。
「歌声の響く学校」を目指して3年目の1991年2月下旬、坂本は「歌声の響く学校」の集大成として、「卒業する生徒たちのために、何か記念になる、世界にひとつしかないものを残したい!」との思いから、作詞を小嶋に依頼した。
その時は「私にはそんなセンスはないから」と断られたが、翌日、坂本のデスクに書き上げられた詞が置かれていた。その詞を見た坂本は、なんて素適な言葉が散りばめられているんだと感激した、とラジオ番組への手紙で当時を振り返っている。
その後、授業の空き時間に早速ひとり音楽室にこもり、楽曲制作に取り組むと、旋律が湧き出るように思い浮かび、実際の楽曲制作に要した時間は15分程度だったという。
出来上がった曲は、「3年生を送る会」で教職員たちから卒業生に向けてサプライズとして歌われた。この年度をもって小嶋は41年に及ぶ教師生活の定年を迎えて退職したため、小嶋が披露したのはこれが最初で最後となった。
元々はこの1度きりのため作られたはずであったが、その翌年からは生徒たちが歌うようになった。
このエピソードはテレビでも紹介されましたが、ステージで一人歌う校長先生の泣きそうな歌声と、それを静かに聞く生徒たちの姿がとても印象的でした。
一つの学校を変容させるというのは並大抵の努力ではありません。
「歌」以外での様々な取り組みもすべて繋がっているのでしょう。
そんな先生方が送る歌だからこそ、生徒たちも受け継いでいったのではないでしょうか。
引用以上。
僕もかつて、教職を目指しました。今でも教育には少なからず強い思いを抱いています。自分の果たし得なかった世界のことだからこそ、こういう経緯には心奪われるのかもしれません。
卒業をする生徒が、最後の共同作業をして、今までの感謝を伝えようとしている姿勢、そして、歌いながら泣いている姿を見て、私の涙腺は崩壊してしまいました。
若いというのは、本当に素晴らしいな、と思います。若いというだけで魅せることが出来る。
正直に、率直に感動しました。
そして、帰ってきて、娘は同僚たちとの最後の別れがあるのだろうから、なかなか帰らないと思い、仕事に戻りまして、一時間半くらいしたところで、一度、帰ってきてほしい、という連絡をもらい、帰ってきて、一緒に写真を撮影。
本日はあいにくの雨模様で、とても寒かったので、自宅の部屋で三人で撮影しました。
そして、仕事の電話をし終わると、娘から
パパへ
という手紙をもらいました。
その手紙を一人読んでまた泣いてしまいました。
小田原高校に受かるか受からないか?極限の時に、自分の得意科目である社会をたくさん教えたことをとても感謝してくれていました。
僕が本当に社会が得意だなんて信じていなかったそうで、その力を見せつけられたこと。
そして、当日は社会は点数が悪かったけど、気合い入れた歴史の所は全問正解していること。
国府津の菅原神社、福岡の太宰府天満宮、何回も神頼みをしに行ったことへの感謝も書いてありました。
意志あるところに道は拓ける
望みを捨てなかったものに道は拓ける
そんな言葉を彼女に送りまして、それが励みになったことも書いてありました。
基本的に大人になるまで、いや、結婚するまで、いや、今も決して、性格がいいとは言えない私の子供とは思えないくらい、素晴らしい子供で
今日ほど、本当の意味で生まれてきてくれてよかったな~いい子だな~こーいうのいいな~とか言いながら一人号泣しておりました。
千代中学校の校長先生が最後に卒業生へのはなむけとして
雨だれ石を穿つ
という話をされました。
漢書という歴史書に書いてあるこの言葉の意味を伝えていて、とてもいい話だな、と思って聞いていました。
地域づくりを仕事として、また、人がやらない、新しい扉を切り開く仕事をしているものとして、常日頃、若者たちにも話しているのは、
小さなことを疎かにする人は大きなことを成し遂げることは出来ない
俺はもっと大きなことを成す人間なんだ。こんな小さなことをやるような人間ではない、
というのは、
若いころに思うのはわかるけれど、小さなこと、些細なことをコツコツと続けていける事こそ大事を成し遂げることが出来る
そして、その大切さを改めて教えてくれたのは他ならぬ娘だったと思っているのです。
最後まであきらめない。コツコツと努力をすること。
ど真剣に生きることの美しさと尊さ
を僕は、娘から改めて教えられました。
真面目にコツコツと諦めず目の前のことに真剣に取り組むことに勝るものはない
心からそう思います。
今、今日の卒業式で千代中学校77回目の卒業生がうたった旅立ちの日を何回も聞きながらこのブログを書いていて、こう思います。
本当によく頑張った三年間だったと思います。
志願変更をするか?しないか?話し合った時に、
落ちても精一杯勝負しての結果なら後悔しない。後悔したくないからこのままで勝負する
そう、言い切った、娘に、成長を感じました。
そして、その時に、目の前の脅威に、恐れず、ひるまず、逃げなかったことで、私は実は合格できるだろう、そう、思っていました。
だけど、ギリギリというし、テストも出来なかったみたいだし、ひやひやしましたけどね。
さあ、明日の昼から、一泊ですが、助けてくれたジジ・ババ(僕にとっては義理の両親になりますが)も伴い、伊豆に一泊して静養します。
思いっきり、娘をねぎらい、私自身もおひさまマルシェ&かかなごて流域祭も終わりましたからね、
英気を養いたいと思います。