なぜ彼が小田原市の市民功労者なのか? | おやまだやまと公式ブログ『推譲(すいじょう)』

誰とは書かないけど、この写真に出てる市民功労者のうちの1人。


先日、広報小田原を見てびっくりしたよ…

何で彼が?ありえんだろ?


この程度の功績なら誰でも市民功労者になってしまうぞ…

今回の决定は非常に恣意的に選定してるように感じますね…

というのも、この市民功労者は今の市長を市長にする時に私費で100万円寄付してるし、後援会長的な事もしてますからね?非常に近しい人間です。

守屋市長に対して多大な市長にするために功績があった、ということで

守屋市長がねじ込んだんでしょ?

私はこの人が市民功労者などという功績をしたとも全然思いません。むしろ、イキノイイ若者を潰して、自分色になびく人間しか評価しない人間であったと思います。

市民功労者の選考はもう少し公平に中立にやるべき事だと思います。

何故かれが市民功労者に選ばれたのか?その客観的かつ合理的な選定の理由は不明です。

市民功労者というのは特定の個人にあまり与えるべきものではない、と私は思います。

この人は長く、例えば社会福祉協議会の会長やっていた、とか、小田原市の医師会とか歯科医師会とか公的な立場を歴任したわけではないのです。

民間の会社とか民間の協議会でしょ?せいぜい…

そんなんで彼を市民功労者にしたら、それこそ、ヤマトの瀬戸さんやキリンの磯崎さんなど小田原高校出て経済界で成功した人を全て市民功労者にしなきゃならない…

やはり個人というのは、評価する人もいればズタボロに言う人もいますからね…死んだとはいえ

あまり市民功労などというものにしないほうがよい、と思います。

寄付からなる基金から10万が支出されたそうで、そーいう意味で税金からではない、とのことですが

市民功労というのは、市民が全員でその功労に報いるというものだとすれば、

市民の1人として私は彼に対しては市民功労者としてその事績をねぎらう気持ちにはなり得ないですし、

この小田原市が行った選定の方法には著しく不合理と不平等と不公正と不公平がある

と思っています。

写真がぐちゃぐちゃなのは、ムカついたから紙を丸めてしまったからです。

もちろん、仲間がお別れの会とかをやり、故人を偲ぶのはそれはそれぞれの自由ですが、市民功労というのは極めてパブリックな要素をはらむもので、

いくらなんでも、彼のレベルでそれを受けるのはいかがなものかと

小田原市には地域政策課にも連絡して、課長、ここを所管する部長、市長本人にも

勝手気ままに色んなことを好き放題やるのも大概にしろ、いい加減にしろ、と伝えて欲しい…

そう、伝言したところです。