ある指定管理者制度…これでよいのか? | おやまだやまと公式ブログ『推譲(すいじょう)』


敢えて

どこのどこ

とは書きません。

指定管理者制度は官から民へとか民活の活用という文脈で必ずといってよいほど出てくる言葉です。

特に小泉構造改革、新自由主義、小さな政府という言葉の中でももてはやされた概念です。

私も基本的には賛成です。

指定管理者制度というのは、官と民が相互に対等の立場で、どちらにもウインウインの関係でないと行けないし、そうでないと長く継続しないだろう…

私はそう思っています。

また、民間の稼ぐ力、利益を出す手法を活かして、より質的量的なサービスの向上が図られなければ

行政のお荷物の単なる民間への押しつけになる

私はそう思っています。

ある町のある施設が何回も何回も否決された挙句に指定管理者制度に移管されました。

指定管理料は0円です。

つまり、全て民間で稼いで施設の維持管理費用を賄った挙句に利益を出して欲しい

というご意向らしいです。

細かなことはわかりませんから軽々にはいえませんが、わかってる事の中で書くと、ということですね。

ここを管理するのは、この自治体の長と個人的にも結びつきがある人たちで作ったコンソーシアムです。

私はこれは率直に言って良い指定管理者制度の使い方とは言えないと思っています。

これは長く続けることが出来ない指定管理です。

無理が出て綻びが出る

既にそういう感じが出てるとおもいますね。

私どもはこの施設に商品を入れてました。昔は生搾りのみかんジュースを絞りました。

とても大きな売上を叩き出したこともあります。

私どものみかんジュースはこの自治体のブランド認定を受けています。

ですが、ブランド認定の更新も何度も言ってますが、全然行われず、この町のブランド商品であるにもかかわらず、この町のどこでも販売されていない状況になっています。

僕らが作りたいと言って作った商品ではありません。

ここの自治体の長から特産品を作りたいと相談されて作った商品です。

その商品が売る場所がないので、この指定管理された施設で置いたほうがよいのでは?

そう、何度も問い合わせても、いつまで経っても指定管理団体からは連絡もなく、聞こえてくる話は、手数料が上がるだ、みかんジュースはおけない、とか、ジェラートはダメとか

はっきり言って、指定管理になってサービスは悪くなるばかりです。

というか、この指定管理団体だけが儲かればよいかの如きオペレーションだな、と感じてます。

それは、そうです。

指定管理料金が0ならそうしなきゃいけませんよね?

しかし、推譲の精神ではないけど、自分さえ儲かればいいなんて商売をやっていると、結局、周りから助けてもらえないことになって

短期的には儲かるかもわからんけども、最終的にはどん詰まりになるのです。

持続可能ではない

そういったのはそーいうことです。

やはり、行政の施設なんだから、民間が無理なく、そこの施設がまわるように金銭的なサポートも数年間とか最低限やって行くべきです。

何でも民間に押し付ける指定管理は、対等なパートナーシップとは言えないと思います。

最終的には連絡はそれも私が行政に連絡して、伝言のし忘れがあって調整がついのですが、

そこまでしなきゃならないなんてのはなんてとこだ、と思ったので

うちは、この施設、確かに売上が下がるのは痛いけど、別にここで売らなきゃ商品がさばけないわけでもないし、ちょっと頭に来たので

うちは今回はみかんジュースしかおきません。ゼリーもおきません。なくなっても追加の補充はしません。

そう、つたえました。

執行機関である行政をチェックするのが議会であるわけですが、

ここの自治体の議会は一体何をしてるんでしょうね?

くだらないことだけ重箱の隅をつつくような振る舞いをするのではなくて、こーしたことこそ、首長と膝突き合わせて議論すべきでは?

それにしても

併せて思うのは

首長は長くやらせるものではない、ということですね。

10年が一区切りだと思います。基本は3期まで。それ以上はやめたほうがいいですね。

どんないい人でも、権力は腐敗するのです。謙虚だった人間も抑えていた感情も慢心と傲慢でいつしかタガが外れてしまう。

どんなに立派でも、権力という魔力は人を変えてしまうものです。

だからこそ、権力は抑制的に運用しなければ権力者は倫理観と道徳心を駆使しながら理性を働かせてやらねばならないのです。

それがない人間は首長の資格はないのです。私が守屋小田原市長を糾弾するのは結局のところ、、そのことに尽きるのです…