因果応報〜幸運をもたらす考え方とは?〜 | おやまだやまと公式ブログ『推譲(すいじょう)』

先日、昔から関係がある方とちょっとした連絡を取ることがあり


その時に


因果応報の話になりました。


改めて良く意味を調べてみると、これ、僕が、ここ数年で接してくる人に話していることそのものだということがわかりました。


因果応報というのは、とかく、悪い意味で用いられることが多いのですがそういう意味ばかりではないんですよね?


善い行いをすれば、善い結果となり、悪い行いをすれば悪い結果となる…


善因善果

悪因悪果


ということで


行い


自分の行いが全てを決める


善い結果を得たければ善い行いをすればいいわけで、そのことの大切さを説いている…ともいえます…


全ては繋がっている…


という世界観があります。


人の内と外を分かつものはなんだろうか?


考えたことがありますか?


内と外は繋がっているのです…


だから全ては繋がっている




とするならば


自分の会社だけなんとかなればいい、自分さえなんとかなればいい、自分の家族がなんとかなればよい、ということは


ありえない


わけです。


しかし、このありえない思考方法をとっている人が実はほとんどです。


これを私に教えてくれたのは私の人生の師の鈴木悌介さんでした。


しかし、今にして思うと、この方は、この事の本当の意味がわかっていたのか?


と思うこともあります。


本人にも直接お話しましたが、小田原市長選挙の時、私のクビを政治的な発言、行動という憲法上も認められていることを契機として事実上切った時


あるいは、鈴廣が取り扱っていたおひるねみかんジュースを取引停止にした時


私は


あなたは私に、全ては繋がっている、そう教えた…今、こうした悪い行いをする、ということは、何処で帰るかはわからないが


必ず、そのしっぺがえしのような結果が帰ってくることになる…


そう伝えました。


まさに、因果応報の極致ですね。


じゃ、私にとって、取引停止にされたり、クビを切られたことが悪いことだったのか?


というと、これは、私は、少なくても今の自分は実は全くそうは思っていないのです…


むしろ、今日の不動心というか、何者にも動じない、とは人間は弱いので言いませんが、そういう力を身につけたのは


あの時の悔しさ、つらさをバネにして、絶対に負けんぞ、と発憤をしたことが今日に繋がっている…


そう、思うからです。


艱難辛苦とか


西郷隆盛の西郷南洲翁遺訓にも書かれている


幾たびか辛酸を経て志しはじめて高し


とかいいますが、まさに、そーいうことかと思いますね…


情けは人の為ならず


という言葉とか


損して得取れ


とかいいますが、それもまた、因果応報に通じるところがあるように思います。


入澤君が井上酒造さんに就職を決めることが出来たのは何でか?ということを本人にも話したのも


まさに、因果応報の考え方そのものです。


彼が引きこもっていたお家から出るという人生で今までにないブレークスルーをしたこと…


その事によって運を引き寄せたんだよ…僕はそう思うし、そう思ったほうが人生はうまくいくし豊かになるよ、


そう、20歳の入澤くんに話をしました…


あるいは、彼が、農作業しててうまく行かないことがあって、私を見るなり、怒られると分かり防衛本能が働いたのだと思いますが


この機械がちゃんと動かないからいけないんだ


と言うから


バカヤロウ(●`ε´●)


機械のせいにするやつがあるか、君の使い方が問題があるからそうなるんだ…


まずは自分が悪かったんだ


そう、思わない限り

進歩なんて見られないぞ


と、いい、そのあと、私がその機械を使いやってみせた…


確かにこの機械は壊れてて使いにくい…そんな事は前から言っていてわかってる…


この機械を何処で使うべきか?


そ~言うことも考えて使えば、そんなこといわないはず…まずは、自分の使い方が悪いんだ、そこから、してみれば、どうしようか?


がはじまる。


忘れないように


なーんて、話をしたものです。


これは、僕がこの数年、苦しい中で体得した人生哲学そのものです。


人生に幸運をもたらす考え方だと思いますね…


かなごて農学校推譲館2回目の様子