小田原の蒲鉾屋さんが閉店・廃業するという情報を、今日出演していたFM小田原のゲスト出演の待ち時間にフェイスブックで知りました。
同じ経営者として、こう言う話は、斬鬼の念に堪えないし、自分事として身につまされる思いがしています。
辛いな~
その一言です。
ほんとにこーいう話はつらいです。
経営者の気持ちがわかる分、本当につらい。
経営者としては、従業員もいて、断腸の思いだと思います。
さぞ、悔しかったろう
そう思っています。
私はほとんど杉兼さんの蒲鉾は食べたことはないのですが
同情もしますし、残念、無念です。
そして、私が「あそこ」と思っている金融機関ですが
私は基本的にこの金融機関を信用していません。
ですから、私の事業性の融資は一切していませんし、つい最近、僕はこの金融機関とは、あることがなくなるまでは借りない、と心に決めたところなのです。
色んな経営的な考えがあるので、それは、経営者に任せますけれども、
私は、この金融機関を信用しすぎて、あとで後悔することになるのではないか?
とさえ思っています。つまり、そのくらい評判が地元で悪い。
そう、思われている、という事を、この金融機関はもう少し自覚した方が私はいいと思います。
今、どこの中小企業も非常に苦しい現実があります。資金繰りが極度に悪化していると思います。
金融機関なんて、羨ましいものですよ。自分のお金でないのに、さも自分のお金であるかのように上から目線でものを見て、高飛車で、貸してほしい時に貸さないで、平気ではしごを外しますからね。
そういうものだと思って接しないと、こちらが馬鹿を見ます。
本当の意味で、中小企業の経営者の悲哀などわかるべくもないし、わかろうともしていない、と思います。
私は、今回の件も、もう少し、金融機関が親身になって何とかすることは出来なかったのか?と思います。
小田原市だってかまぼこの街だと言っているなら、もう少し支援の手を差し伸べてもよかったのではないか?と思います。
古来、中国では易姓革命という言葉がある通り、徳のないものが世を治めると、その地は乱れると言います。
小田原はまさに、徳のない守屋輝彦市長が、大義なき政をやるものだから、こうしたどんよりとした空気がみなぎって、こういう事ばかりおきる。
小田原が衰退局面に入っている象徴だと思います。
小田原の人ってね、基本的に自分のことしか考えていません。
特に旦那衆と言われる、老舗の踏ん反りかえっているお歴々の生粋の小田原の人。世のため人の為ではない。
みんなが何とかしようと知恵を絞れば会社を存続させることは出来たのではないか?
そういう、連帯というか、そういうものが小田原人には足らない。
みんな自分のことばっかり。
もう少し、おおらかに、大きな視点で、大きな視野で物事が考えられるような人材を創っていかないといけない。
そう、思っています。
しかし、これで、小田原の蒲鉾屋は鈴〇の一人勝ちですね。ですが、本当にそれでいいのか?
あそこが小田原市長選挙の時に何をしたのか?自分の意に沿わない奴は、市長も葬り去ったし、私も使い捨てにされたし、そういうことを平気でするからな。
もちろん、企業として強かに生きていくことは大事とは思います。
ですが、道義に反した振る舞いをしていいのか?もう少し謙虚に慎み深くまちづくりに対してくれたらな、と思っているので、
増長しないか?
心配です。
そして、わたしも経営者として本当に日々厳しい世界で切ったはったの生活をしています。
対岸の火事などではなく、いつ自分の身に起きても仕方がないこと。
事業を行うというのは本当に大変なのです。
議員とかとは比べ物にならない。
毎日が緊張の中で修羅場という感覚です。自分で自分の給与を稼がなければならない。
自分がブランドという世界で生きていかなければならない立場。
会社に守られてぬくぬくと生きている人間とは全然違うのです。
だから、自由を手に入れたいからと脱サラする人がいるけれど、そんなもんじゃないのです。
本当に厳しい世界に入っていくという腹のくくりと覚悟がないととてもやれるものではありません。
そこのところを自問自答して、その覚悟ありや否やを判断しないと取り返しがつかないことになる、と思います。
私も、いつ、つぶれるかもしれない、という緊張感をもって事に当たりたい。
と改めて今回のことは思いました。
また自分のことばかり考えるのではなく、何か、自分が出来ることはないか?という気持ちを持つこと。
一方で、世の人は結局は何もしてくれない、助けてもくれない。故に信じるのは自分というどこかドライでクールな目も持つ。
しかし、情に厚く、理もたつ、というバランスを持ちそして、
正しい価値観、考え、哲学を持ち、情熱をもって、最後まであきらめない気持ちで行動することを実践していきたいと改めて強く思うのでありました。
