ちまたでは 血祭りっていうのかな 一人の人間の行為を たたきまくって 謝罪させたり 辞職させたり
するのがはやってますね 攻めるほうも謝るほうも見苦しいと思うのは 自分だけなのかな?
前は 一部夕刊紙や週刊誌が見出しであおって その程度のものだと捉えてましたが
いつのまにか テレビ 大新聞までそんな感じになってしまいました
夕刊紙あたりの記事なら???な部分もありましたが テレビや新聞だと影響が全然違ってきます
何かというと 偉い人が出てきて 頭をさげる(さげさせられる) でも それっきり。 それってハッピーエンド?
叩いている内容は 確かに批判されるべき内容なのですが
問題は それでその人の全人格を否定してしまうような 魔女狩りのようなやり方になってしまう風潮でしょう
(念の為に。。 自分は 犯罪や 人の生命や安全にかかわる話を軽視する意図はありません。ものごとには 軽重があろうということを いいたいのです)
なんで こんな話をするかというと 私の愛読するブログでまたこうした類のことで「炎上」しはじめたからです
結局 その方は ブログをやめてしまいました
で ふと こんなことを思いました
【日本人のもつ悲観癖とおおらかさ】
日本人は 2つの 相反する性向をもっているように思えます
一つは すごく些細なことに「これは大変なことだ」と悲観的かつ針小棒大にとらえようとする性向
もう1つは 「清濁併せ呑む」の言葉に代表される 物事をありのままに受け入れて なおそれを相対的にみて
おおらかに対応しようとする性向
この2つの一見矛盾する性向を 日本人は これまで よくも悪くも 上手に使い分けていたのだと思います
今の2008年の世の中は 前者のペシミスティックな気分だけが 突出して蔓延しているように思えます
【人のあら捜しをする自分の醜さを知るべし】
人の 重箱の隅をつついたり 揚げ足をとったり 足を引っ張り合う 政治の世界ではよくあるみたいですが
その行為自体 本来はみっともない 醜いことだということに反論するひとはいないと思います
他方 どんな小さなことでもコンプライアンスに反する行為であれば 許されないという 一見正論にみえる考え方が背景にあるので この重箱のすみつつきにも 反論しにくいものがあるのでしょう
でも・・・完璧な人間なんて いません
わかっていても ついうっかり とか つい夢中になって ってのはありますよね。
自分でもそういう過ちをいくらでもしているのに またそれ以上のことを知らず知らずして他人を傷つけてるかもしれないのに それを棚に上げて人を叩くことで溜飲をさげる(あるいは視聴率や自分の目的を達成する)などは
およそ 自らの偏狭な精神を省みない 醜いことだと思います
【有名税】
それでも 特に 「有名人」と自他ともに認める方々は そういうためにするバッシングにたいしても
厳しい目でチェックされてくることは避けられません
そういう批判の矢面にたった人は 「何でそんなことで」 と 自分にとって受け入れ難い指摘でも
改めるべきところは改めるというか 鍛えられて大きくなることを望むか
その指摘にたいして 開き直ったり 笑い飛ばしたり 黙殺するか
で その人の人間力が 試されるように思います
なぜなら その人はそれだけ社会に対する規範的な 影響力があるからです
「あの人がやって改めないなら俺だって」というひとが出てくるからです
それが世の中のルールをよくない方向に変えてしまうかもしれないからです(悲観的すぎるかな?)
【叩くだけで育てる機会のない社会って・・】
それはそのとおりですが 他方で 一度きりの誤りで 立ち直ったり自分のやり方を修正するチャンスのない社会はひどく無味にみえます
ちょっとしたことで 一発でその人を社会的に抹殺しようとするなら それは 大きな損失だとおもいます
なぜなら その代わりになる人を 育成するコストを払うのは 大変なことだからです
政治家 スポーツ選手 芸術家 経営者 人から見て抜きん出た才能を持つ人であればあるほど
見るの人の側からも 大きく育て上げる姿勢が 広い心が あってもよいのではないかと思います
日本は こうして人を斬りつづけているうちに 本当に人材の育たない国になってしまうかもしれません
信賞必罰 人に迷惑をかけない、不快な思いをさせない、ルールは尊重する、そして誤りは謙虚に正す
マナーというか 社会の モラルの問題です
【もっと おおらかで 広いこころで暮らしませんか?】
それを 実現する現実的なあり方として
もっと よい意味で 「清濁併せ呑む」世の中で あって欲しいなあ
少なくとも親として 子供には そういう世の中を 提供したいなあ と思うのです
とりとまなくて かつ
あまり 論旨の通らない文ですいません ちょっと思うところがあったので。。。