今年は著名人の死が多い気がするー死を電波系で考えてみる | 遠藤一平のブログ

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率直に思ったことを適当に綴ってます。極私的散文

なんでまた緒形拳と峰岸徹と立て続けに亡くなってしまったのか?いい大人がいなくなり、いよいよ稚拙でわかりやすい、わびさびない、くだらないものがバッコする時代になっていくのか…
何かの終焉と何かの到来を感じたいところだが、突然くる死に意味はないのだろう。
赤塚不二夫、市川準監督が亡くなりー今年は亡くなる人が多い…
みんなまだまだ生きれた人たちなのが、ひっかかる。何の問題があったのか?偶然にしてもここまで連続してしまうと共通した要因があるような気がする…
たいへん立派な表現者たちの死だけに最期に何を自らの死をもって体現していったのか考えたくなる。
大儀の存在しないこんな時代に生きていても意味はない…といいたいのか?
人々に生を謳歌してもらう為には前提として死がないとダメなので、死んでみせてくれたのか…

大往生ではなく人生のゴールにゴールインしてしまったあらゆる人々の為に死ぬことについて、食う為に働いて、食って、交尾して、排泄して、寝るだけの生き物となった終わりのない日常を生きる人々は考えないとならないのかもしれない。
所詮、人間はそんな程度のパラダイムの中でしか生きれないのか…
そんな筈じゃないと昔から多くの人々が人生について模索してきた。
一部の気付いた人々はいるのだろうが、その知恵は人類が共有する知恵になったのだろうか?
いよいよ次の高次の気付きに至る為の青年期の苦悩が世界中の人類という種に始まりつつあるように思う。様々なメディアとネットのおかげで伝染するのも1世紀前より遥かに早いだろう。
何が早まるのかわからないが、もう何かが始まっている気がする。