自信のつけ方 | お金と自由とライフワークと萌え

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自分に自信がないみたいなことを感じていらっしゃる方は非常に多い。

まあこれも基準が非常に曖昧なもので、何がどうだったら自信満々なのかと聞かれたら「いろいろスキルや経験があって人に恵まれてて」みたいななんとなくな言葉が出てくるものだ。

曖昧でなんとなくだから、目標も立てにくいし、立てたところでその地点に立ててもやはり上には上がいることに対して自信を持てなくなる。

結局のところ自信というのは主観でしかなく、自信はあります!!と小保方さん並みに叫べる者だけが自信があると言ってもさほど支障はなかったりもして。

 

 

 

でも一応自信のつけ方を話してみよう。

まず第一に、自分の思う「自信のある人」を具体的に思い浮かべて、その要素を自分も持てるように最大限の努力をするのだ。

例えば学歴がある人が自信がある人という価値観を持っているのなら、学歴やそれに相当するものを得るために同等の努力をする、ということだね。

美貌とか体力とか、ある種生まれつきの何かだった時は美容の知識を死ぬほど仕入れて実践するとか、死ぬほどトレーニングしまくるとか、そういう近づくための最大限の努力。

ここでお気づきいただきたい、その要素を手に入れることが自信になるのではなく、努力が自信になるということに。

俺はそれだけのことをやった、と言えるか言えないかが大きな自信としての糧になるのだ。

 

 

 

いい家族に恵まれているとか、親ガチャが当たりだった人が自信があると思っているような価値観だった場合の努力はどうすりゃいいんだ?と思われるかもしれない。

私自身が以前ソレだったのでよくわかるぞ。

その場合は、あなた自身が「あなたが家族だったら幸せなのに!!」と思われるような人になる努力をするのだ。

自分を省みる時、こんなヤツとは家族になりたくねえな、と思ったら、そこを具体的にしっかり直していくと、その努力が自信になる。

しつこいけど、そうなることが自信になるというよりはその努力の経験が自信になるんだよ。

 

 

 

お金がある人が自信があるんだ、と思われている方はつまり、お金持ちになる努力をするのだ。

この理論から言うとそうなる。

お金持になる努力をガチでやっている人は実はそれほど多くない。

お金持ちになりたい人はこの世のほとんどだが、実際になるための努力ってどんだけやってる?と聞いたら真面目に働いてるとか、節約してるとか、まあそのくらいの回答になることも多い。

いやいや、ガチ勢って生活の全部をお金持ちになるための時間に費やしてるもんだからねえ。

基本この国というか世界は真面目に勤勉に働いたらお金持ちにはならないようにできていることはお気づきだろう。

お金持ちになるような働き方や学び方や時間の使い方をしたらお金持ちになるのであって、真面目さや勤勉さは全く連動していない世界なのでそのトラップ(普通に人並にがんばる)に引っかからずに努力するとよいだろうね。

で、繰り返すがコレをガチでやったら、その努力自体が自信になる。

その方面の努力による自信がつくと、お金持ちに関する価値観も必ず変わるものだ。

 

 

 

で、この全部をひっくり返すような話をするが。

そんな努力をせずとも、「俺がそうだって言ってるんだからそうなんだよ」と言えればそれが自信になるのだ。

別に自信に理由や要素なんか本来いらないのだ。

自信のない赤ちゃんなど見たことがないだろう。

ボク自信がないのでオムツ替えてくださいは言えませんとかいう赤ちゃんは存在しない。

単にオムツ替えろって言ってんだろオンギャーーと泣くだけの話で。

理由や要素を探したり比較したりするから「自信がない」という幻想に囚われるのだ。

それがこの世の常である。

俺がそうだって言ってるんだからそうなんだよ、を言えればいいだけの話、努力や理由などいらない。

これが真髄である。

 

 

 

で、更にこれをひっくり返すような話をするが、更に究極のところを話すと、自信とは、意識の作り上げた幻想である。

あろうがなかろうが人は生まれたら生きるしかないし、死に向かうしかない。

あったら無条件で昇進するわけでも百万円もらえるわけでもなく、なかったら貧民街に住まなきゃいけないとかでもない。

ただただ自分の意識の中だけに漂う亡霊のようなものだ。

その亡霊に翻弄されて、人はその人生に悩んだり立ち止まったり調子に乗ったりするなかなかに愚かな生きものでもある。

 

 

 

で、更にこれをひっくり返すような話をするが、ここまで達観するとぶっちゃけこの世は空虚になるのでやめておくが吉である。

人は達観するために生まれてきたわけじゃない。

この世を謳歌するために生まれてきたのだ。

というわけで、結局努力論に戻るのである。

「得る努力」を楽しむのだ。

そして、この記事を読んだこと自体に自信を持って欲しい。

自信というものの得方とその正体を暴いた記事を読んだぞ、ということ自体を自信の糧とするのだ。

私はいつもそうしてきた。

情報をいただいた時にいつも、これで欠けているものが埋まったと自信のパーツとしてカウントしていたものである。

 

 

ちなみに、俺がそうだって言ってるんだからそうなんだよ、と言ってるような人と親しくなるのも自信を得るのにいい方法ではあるが、劣等感強めの人や依存が強い人にはもっと自信がなくなるのであんまオススメでもない!

カルト宗教なんかの構図はまさにコレだね。

 

 

 

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