だいぶ世の中的にこの世は仮想現実説が浸透してきましたけどもね。
本もいっぱい出てるしね、科学者や著名人の皆様が証明してくださってるね。
↑あ、すまねえ、読んでないけどリンク貼った笑
こういう本がいっぱい出てるよって感じで。
仮想仮想言われてもワイらココが現実やんってなる人が大半で、そのせいでまぁーーー困ったことに人類全体の目覚めがなかなか来ねえんだわっていう話で。
ちと考えてみてくれ。
今あなたはこの記事を読んでいる。
胡散クセエと思いながら読んでるかもしれないしたまたま目に入ったから読んでるかもしれないし、テキトーに鼻ほじりながら見てるかもしれないけど。
なんかしら思いながら、考えながら、見てるわけだな。
その思ってる、考えてる、はじゃあどこでやってんのか。
「脳」と答える人が大半かと思うが、じゃあ脳で行われているその情報処理はどこでされてんのか。
あなたの家の中にいるその体の中にある脳の中か?
ちゃうんやなそれが。
あなたの体から見えないWi-Fi信号的なものが出てて、それが意識と繋がってて、意識は物理世界じゃないところにあるんだな。
TVや大きなPCモニターでゲームをやる時、その画面の中ではなく、ゲーム機本体やPC本体でデータ処理されてるだろう。
アレと似たような構図だ。
VRゴーグルみたいなものを見たことはないか。
3Dのリアルな空間でゲームしたりすんのに使われるアレだ。
男性の諸君はアレに使ってらっしゃるだろう、アレだ。
これのあの世版みたいな感じと思っていただければいいかのう。
あの世版っていうとアレだな。
生きてるからな。
ワイらの本体は魂であり、そこに意識が備わってるわけだが(火葬場で遺体を見たことのある方はわかるだろう。肉体に魂や意識がないからそうなっているということに)
それは肉体が置かれているこの物理空間にはないのだ。
イメージで言うと、あちらの世界にVRゴーグル部屋みたいなのがあって、そこでワイらの本体の一部が「地球」と書かれたVRゴーグルを装着する。
するとこっちの生きてる人間の視界や肌感覚がVRゴーグルを通じて再生される。
日常生活を体験し、様々な感情を体験する。
まあまあ精巧なVRゴーグルなんであまりのリアルさに皆没頭するのである。
あの世のVRゴーグルは全員同じものではない。
それぞれに違う設定のゲームや映画を見る。
そのゲームでレベルアップを志す人もいるし、ただリアルな映画を鑑賞してる感じで特になんもせず日々を生きる者もいる。
VRゴーグルを一瞬装着しにくるだけの者もいれば、むちゃくちゃ難易度の高いゲームのゴーグルを選んで装着している者もいる。
ゲーム「地球」にもいろんな種類があってな。
龍が如くみたいな極道臭い地球ゲームもあるし、エイペックスみたいなのもあればドラクエっぽいのもあるし、桃鉄っぽいのもあるんだな。
不動産買い占める系ね笑
テトリスみたいなのもあるよ。
目の前のブロックをキレイに積んでいくだけのヤツだな。
ホラゲもあるし、恋愛ゲームまである。
どのゲームのゴーグルを選んでもいいし、別にゲームをクリアしなくてもよかったりもする。
それどころかゲームオーバーでもよかったりして。
ひとつのゲームしかできないわけでもない。
ただVR空間に没頭し過ぎるとたまにおかしなことにもなる。
ゲームの世界が本体だと思い込み過ぎて暴走するというか。
まあそこの話は今日の本題じゃないんでまた今度。
たまに、夢がやたらリアルに見える人とか、現実では行ったことないのに夢ん中だと超知ってる場所に行くとか何度もそこに通ってるみたいな経験をされてる方もいらっしゃるだろう。
あれはこの説明で行くと、ここの現実世界で睡眠中に別のゴーグルをかけに行っているのだ。
人によってはそっちの別のゴーグルの方がメインでプレイしているゲームで、ここの地球ゲームの方が遊びで空き時間にやってる、みたいなタイプもいる。
目覚めてるとかいう表現をよく使われるのはコレだ。
VRゴーグルをかけてることを魂や意識が自覚してる、みたいな感じである。
クライアント様によくいらっしゃるのだが
「なんだか自分が自分じゃないみたいな」
みたいな話はつまり、ゲームに没頭していない証拠とも言える。
とにかく没入感ハンパないゲームなんで大半が自分のプレイしているキャラを自分と思うわけだが、ゲームにハマりきってなかったりすると「ゲーム内で扱ってるキャラ」みたいな感覚になってくるので、どこか自分という感覚が薄れてくるのだ。
これは別にいい現象でも悪い現象でもない。
そういう現象ってだけの話である。
この話はしはじめるとキリがないのでこの辺でやめとくけど、最低限知っておくといいかなと思うのは、意識は多次元である、ということだ。
ここにいるあなたがあなたの全てではない。
あなたが自覚できていないあなたが他にたくさんいる。
あなたのやっているゲームは実は別のゲームに変更可能だ。
もっと楽しいゲームにしたけりゃとっかえていい。
クソゲーだなと思ったらやめていい。
ここでいう変更とかやめるとは「死」という意味ではない。
もっとおもしろいゲームに乗り換えることもできるぞ。
あなただってやってたスマホゲーが飽きたら他のをやるだろう。
その程度の軽さでもいいのだ。
もちろんクソゲーを極めたい勢もいる、私はその類だ。
好きに生きろ、そういうことだ。
命あるもの、意識あるもの、八百万の存在が光のデータケーブルでプレイルームにつながり、そしてそれは大いなる存在の元にあるのだよ。
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