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ちょっと刺激的なタイトルをつけてしまったが。
私には阿闍梨の友人がいる。
私よりだいぶ若いが仲良しの男友達だ。
阿闍梨をご存じない方はぐぐってみてください。
僧侶です。
彼と話してたのですが、スピリチュアルっていう言葉自体が実はおかしいよね、という話を。
なぜなら人や世界はそもそもスピリチュアルなものだから。
わざわざスピリチュアルという言葉にして、スピリチュアルです、とかいうのは、服を着た状態で「私は服を着ています」と宣言するようなもので。
そりゃそうだろう、みんなそうなんだから、という話じゃないかと。
なんでこんな世の中になってしまったのかというと、キッカケとしては人々が神仏と離れてしまったからだ。
神仏が身近なものではなく、特別なものとか、宗教チックなものになってしまったからだ。
元々我が国というのは神仏がとても身近にある暮らしだったのに、全くもう。
スピリチュアルというのはオカルトとか不思議な話とかじゃない。
元々そこにあるものだし、元々一緒に暮らしているものだし、生まれてから死ぬまでつきまとうものだし、もっと言ってしまうといいものとか素敵なものとかでもない。
そこにあって当たり前のものに対して「いい」とか「素敵」とかいちいち言わないだろう。
例えば酸素とかに対して「私は酸素が大好きです」とか言わないと同じだ。
見えるものだけが全てだと思い込まされ過ぎているだけの話で、大体この世の99%以上は現在の地球科学で解明されてないとか発見されてないと言われてるのに、なんで可視光線しかとらえられない視覚を完全によりどころにするのかわけがわからないw
その意味でスピリチュアルという言葉をわざわざ持ち上げてしまう風習に違和感を感じるし、ちょっと昔の人にしてみれば仏壇や神社や神様やご先祖様やお墓と共にあった生活は自然なことで、そこだけ極度にピックアップするのはなんだか妙な感じに映ると思うのだ。
アンチスピリチュアル=スピリチュアルは当たり前だから、だ。
特別ではなく、我々が忘れかけているだけの話だ。
そんなような話を阿闍梨パイセンとしていた。
阿闍梨パイセンとは私がその友人を呼ぶのに時々使う呼称だ。
彼も、スピリチュアルは当たり前なことで、見えないものといつも共にあるということを説いていきたいと話しておられる。
またココでも阿闍梨パイセンの言葉を取り上げていきたい。
私と彼には共通の夢があるのだ。
見えない存在にも幸せになってもらいたいという、同じ夢が。
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