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聞かれてよく話しているが、このブログは父の死をきっかけに始めたものだ。
4年前の8月、父は66歳で亡くなった。
父が死んだからブログを始めたのではなく、死にそうだったからブログを始めた、というのが正確である。
それまで小説や文章を書く仕事をしていたのだが、父が倒れて余命1ヶ月と診断された。
父のいる病院までは片道2時間で往復で4時間かかる。
スケジュールが全く読めなくなったので締切などに迷惑がかかることを懸念して、一時的に文章の仕事を休止した。
しかし、文章はピアノや絵と一緒で書かないと感覚が鈍る。
文章の感覚が鈍らないように、とりあえず毎日の病院通いの間にスマホで文章を打ち続けようと決めて始めたのがこのブログだ。
あれも暑い夏だった。
余命一ヶ月と言われていたが、結局父は診断された日から3ヶ月生きた。
最後の2週間くらいは結構連日病院に泊まった。
モルヒネで朦朧としている父の横で、ゲームをしたり文章を書いたりして過ごした。
まだ比較的意識がハッキリしていたのは4年前の今ぐらいまでだった。
7月の下旬くらい。
妹と私しか病室にいなかったとある午後。
虚ろな目をした父が私たちに言った言葉は鮮明に記憶に残っている。
「おまえたちは、父ちゃんの子に生まれてよかったか?」
「いいに決まってんじゃん!」と妹は隣で泣いていた。
私は「当たり前じゃん」と言うのが精一杯だ。
その頃の父の手も足も、すでに生気がなく鉱物のようにカチカチになってひどく暗い色をしていた。
せめて、柔らかくならないかと力を込めて、手のひらを黙々と揉み続けながら「当たり前じゃん」ともう一度呟いたのを覚えている。
不思議なもので、父の死はそれより2、3年前くらいから強く予感していた。
父とは数ヶ月に1度くらいのペースで2人で食事をしていたのだが、東京駅で別れる時、東海道線のホームへのエスカレーターに乗って振り返り、大きく手を振る父を見送るたびに「コレをあと何回できるんだろう?多分残り数回だろう」と思ったものだ。
父の訃報を受け取ったのは、とあるビジネス系の講習に向かう電車の中でだった。
前日の夕方にも見舞いには行っていて、病室を出る時に「また来るから、それまで生きててよ」と手を握ったのが最後になった。
降車駅ではなかったが、メールを見て次の駅で降りた。
恐ろしく暑い日だった。
今でもJR西国分寺駅にはその時の印象がこびりついている。
ホームのベンチに腰掛けて、「父のいた人生と、父のいないこれからの人生」というひとつの区切りがついたことを悟った。
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