兵器学校入校時のときのこと
入校時
私服から軍服に着替えたとき、急に悲しくなり、父にこのままつれて帰ってくれと泣き言をいってえらく叱られたことを思い出す。
叱られたいうより論されたといったほうが正しいかもしれない。
自分から志願しておきながらこの体たらく。
なんでそんな弱気になったのか、今ではなんとなくわかるような気がする。
父に対する最後のあまえであったのかもしれない。
(入校式を終えこんな頼りない陸軍生徒が一人誕生した。)

 

霜焼けに苦しんだこと
淵野辺の冬の寒さは厳しかった。
あっというまに霜焼けになってしまった。
手の中はふくれあかい。四五日すると皮膚は破れ化膿してくずれてしまう。
この手では銃の手入れはもとより、軍靴、学内靴の手入れ等日常の動作もままならなかった。
普通学課はともかく、術課、試練となると休むこともできずずい分苦しんだ。
幸い同室に同じ市の出身の生徒が一緒だった。
銃の手入れはもとより内務班でやるべき作業すべてを助けてくれた。
じぶんのことで精一ぱいなのに。
こうしてなんとか冬を越すことができた。
(今でも彼がいなかったらどうなっていたんだろうと感謝している。)

伐木演習
伐木演習といっても雑木林で松の根を切り出すことがあった。
小休止の時間になると三三五五草原に寝ころび、青空を眺めながら大きな話、小さな話に花を咲かせ、ゆきつくところは、それぞれのおもいのある食べ物の話になる。
そんなとき、歌の上手な生徒がいていつも歌を口ずさみはじめる。
その歌はいつも同じ歌だった。
彼の大好きな歌だったのかもしれない。
いつのまにかうろ覚えに彼にあわせて口ずさむようになっていた。
小休止の楽しい一時だった。
(あれから六十年、八十歳になった今でもときどき口ずさんでいる。)

取締役生徒のときのこと
まだ肌寒い三月初旬の日曜日、内務班の大掃除のときのこと。
この日は、給水塔の補修のため午後三時に断水になると知らされていた。
にもかかわらず、作業がはかどらず途中で断水になってしまった。
(何故おくれたのかは忘れてしまった。)
そうこうするうちに夕食の準備の時間となり、食缶が運ばれてきた。
その時、区隊付下士官殿が作業終了まで食事は中止と言われた。
そのまま作業はつづけられたが、水がないのでどうにもならず、言ってはいけない言葉をついに口にしてしまった。
その時、皆の目が一斉に自分の背後にそそがれているのに気がついた。
振返ると、そこには竹刀を持った下士官がたっていた。
しまった。もう遅い。
あっというまに竹刀が肩に振りおろされた。
つづいてくるなと覚悟した。
そのとき、取締役生徒本日は終り、直ちに夕食の準備にかかれ。
そおいうと内務班を出ていかれた。
はっと我にかえったとき、急に涙がでてきた。
(軍隊の常識ではこのような場合、相当な罰が課されるのがあたりまえのこと。竹刀一振りだけの罰とは、これもやはりエコシイキなのかな。取締役生徒は輪番制で一ヶ月間その任に当たることになっている。区隊行動を指揮しその責任は重い。副取締役生徒、教育係生徒があり、これを三役といって、すべて一ヶ月の輪番になっている。)

水あたりのこと
遊水演習に行ったときのこと。
宿舎とされた村の小学校についたとき、のどの渇きをいやそうと飲んだ井戸水の冷たくのどごしのよきに、いやっというほど飲んでしまった。
これがいけなかった。
その日の夕食時に出されたオシルコのおいしそうなこと。
そして口もとにもってきたが、吐気がしてどうしても食べられない。
目は欲しいのだがどうにもならなかった。
これが水あたりだと後で知らされた。
あのときは本当に情けないやら口惜しいやら。
(この頃になりオシルコというものは滅多にお目にかかれなかった。)

えこしいきのこと
終戦後五十余年。
兵器学校の同窓会、工華会に初めて出席したときのこと。
同窓生四名と再会し、話がはずむうち、
区隊長の集いで、お前はえこしいきされていたと誰かが言っていたぞ、と同窓が話してくれた。
そう言われると、そうであったのかなとおもいあたることがある。

1 朝の点呼のときのこと
週番士官の朝礼が終ると、各区隊毎に区隊長の点呼が始まる。
隊列の右端より左へと一人一人に厳しい目が注ぐ。
自分の前に来たとき突然立ち止まった。
しまった、そう思った途端、白いハンカチを取り出し、指に巻きつけ唾をつけた。
ハッとするまもなく自分の耳の中を拭いてハンカチをしまうと、何事もなかったように点呼がつづけられた。
身だしなみが悪ければ、その場でビンタの一つや二つはあたりまえの軍隊。
これもえこしいきの一つかなと思った。

2 野外演習のときのこと
演習が終り帰路につくとき、学校に近くなると並足から駆け足に変る。
これが一番辛かった。
必ず半程で落伍する。
行軍中に落伍すること自体あってはならないこと。
それでもどうしてもついて行けなくなる。
その時区隊長殿は必ずといってよいほど、そのまま後ろについてこい。他に落伍者いたら連れて帰れと命令された。
こんなことをいってはいけないが、うれしいことに必ず四、五人が落伍する。
〇兵場に戻ると既に隊列は解散し装備をといている。
帰隊の報告をする。
区隊長殿は異状なしとみると、何も言わずに解散といわれる。
行軍で落伍すれば、帰隊後相当の罰が与えられるのが常識の軍隊なのに、先に到着している生徒と共に内務班に戻れるとは。
これも、それもえこしいきだったのかな。
(自分は思う。寛大な取扱いはエコシイキではなく、軍隊とはいえ生徒だった故であったのかなと。)

線内外出のこと
線内外出は原町田周辺である。
入校以来初めて線内外出をしたのは、まだ肌寒い三月半頃だったと思う。
線路添の土手の小さな梅林に二、三分咲の梅がちらほら咲いていた。
二年生は三年生に欠礼しないように気を使いながらの同窓三人で持参のパンを食べた。
外出の際にはふっくらした大きなパンが昼食として支給された。
当時の食糧難は軍隊も同じ。
そんなときでも好き嫌いはげしい偏食だったため人よりよけいに腹すかすのであった。
おいしそうな臭いにさそわれて、がまんできずにパンの底に穴をあけ形がくづれないように
ほぐしかえし食べているうちに完全に中味がからになってしまった。
外出時には、服装検査、携帯品の検査が行われる。
昼食用のパンもしかりである。
週番士官の点呼が初まると、みつからないかと緊張のあまり息苦しくなり、
胸がどきどき冷汗いっぱい。
幸い点呼も無事に終り外出許可がでてホッとした。
(いまではそんなことも楽しかったなと懐古している。)

ホッとしたといえばこんなこともあった。
三種混合接種のときのこと
一年生はその時期になるとこの予防注射を受けることになっている。
(小学校のとき昆虫採集で標本を作っていて針を指に刺し痛いと言った。誰かが針先が折れると頭に流れていって脳天につきささって死ぬよ。この時から、針は怖い存在になっていた。)
予防注射の日は朝からゆううつだった。
なんとかのがれられないかなと考えながら隊列についていた。
そんな事をしたら体罰どころか営倉行きになるかも。
一寸と痛いのを我慢すれば済むことなんだよ。
そんなやりとりを頭の中でしているうちに順番が近づいた。
その時体が動いた。
後ろの生徒に厠へ行ってくる。そう言って駆け出した。
厠へゆくと注射の終った生徒がいた。
見ると
胸の赤くなっている処を指で揉んでいた。
同じ処を爪で赤くし指で揉みながら厠を出た。
見ると自分の区隊も終ったらしく服装を整えていた。
周りを見ると、これから受ける区隊の生徒の列がつづいていて衛生兵が忙しく立ち廻っていた。
いそいで隊列へ戻った。
後の生徒は何も気にしていなかった。
内務班に戻った。
その日は休養日となる。
寝床に入った。
大きなため息をついた。
見つからなくてよかったとホッとした。
この状態が卒業まで続いた。

兵器学校には戦友という制度があった。
整頓棚を背に右側の生徒が戦友となり
内務班においては日常の起居を共にすることによって生徒間共同の精神を育成することになっていた。
自分にとってはこれが問題だった。
生来人見知りが強く友達を作るのが下手だった。
このときも例外ではなかった。
隣の生徒を戦友にすることにいささかためらいがあった。
だじゃらあまり親しみもわかず制度に反し単独行動が多かった。
彼もやむなくそおせざるを得なかったと思う。
ただ一つ困ったことがあった。起床時の毛布の整頓である。
二人で両端を合わせ折ればあっというまにたためるが、一人でやるとなると以外に手間がかかる。
だから朝礼に遅れがちで随分苦労した。

後日談
戦後、戦友だった彼から同期会の報告の便りがあった。
写真が同封されていたが、皆それなりに年をとっていた。
彼も又髪は白くなっていたが、あの面影は残っていた。
会えると思っていたが会えずに残念ですと結んであった。
態度の悪い戦友を彼は彼なりに自分を戦友として
みていてくれたのだと思うと申し訳ないと思う反面嬉しかった。
その後の便りで娘さん二人を亡くされたことも知った。
今はその戦友も逝ってしまった。
(戦友の名は戸田二郎さん)

 

追記<別紙に当時の思い出が綴られていました。しかし全文を解読には至らず。>

時代劇を見ているとき、善悪入りみだれて切合の場面になると必ずといっていいほど、その昔少年兵として訓練を受けていたときのことが重なってくる。
前後列それぞれ二十五名に分かれ、八巻で丸い薄い板をつけお互いに打合○れた者は列外にでるときのことである。
いつの間にか山本という生徒を目標とするようになっていた。
彼は明治中学剣道部に在籍していたとか。
彼と打合の前に割られたことがアリかったがしばしばでなかなか彼との打合までとはいかなかった。
それでも彼と打合できたときはここぞとばかり猪突猛進でここをかぐどと大いに攻めた。
○○が割った記憶は残っていない。