誰かの世界は それがあって 造られる(三)大丈夫とは言ったものの、その日は始終傷が痛んだ。帰り際、フジが家に行って良いかと問いかけてきた。断る理由も無かった僕は、すぐに承諾した。二人して、僕のアパートへと向かう。「なぁ、何で自転車に乗ろうと思ったんだ?」不意にフジが問いかけてきた。「何だろう。何かね、風とか感じてみたかった。」自分でも、訳の分からない事を言ったと思った。案の定、苦笑いを零すフジからは、馬鹿だろの一言が出てきた。そうこうしている内に、アパートに着いた。僕はベッドに腰掛け、フジは座り、途中で買ってきた缶ビールを飲む。「冗談抜きでさ、怪我平気なんか?」「うん。痛いけど、大丈夫だと思うよ。」フジの問いかけに答えれば、フジは何だか考え込むように黙った。不思議に思っていると、フジが口を開いた。「何かさ、この歳になって、こんな怪我する奴居るんだな。」そう言うと、フジは笑い出した。その、前髪に隠れた笑顔を、僕はじっと見ていた。フジの笑い方は、何だか優しい印象を与える。僕は、それが好きだった。「好きで怪我した訳じゃないけどさ。」フジから視線を外して、僕は喋り出した。「何かさ、怪我して改めて、体ってあるんだなって思った。」僕の言葉に、フジが僕に視線を向ける。「まぁ、普段はそんな事考えねぇしな。」そう言って、フジは缶ビールを口に運んだ。「そうやってさ、歩いて行ければ良いんじゃねぇかな。」そう言って、フジは笑った。大人になるにつれて、僕らは怪我をしないように、上手に歩けるようになった。その分、抱えていたものを、ひとつずつ落としてきた。そうやって、落としてきたものを拾う為に、たまに道を引き返す。たぶん、それで良いんだ。可能性の分だけ、道は増えていく。そうやって、僕らは散々迷っては悩む。そうやって、僕らは何処にだって行ける。何度転んだって良い、何度迷ったって良い。その度に、生きてるって教えてくれる。弱くて大嫌いな僕が、教えてくれる。きっと、大事なものなんて、ひとつで充分なんだろう。そうやって、嫌いな自分を愛する事が出来れば、きっと幸せなんだろう。
矛盾でもこんな風に 我侭に意味もなく嘆きたい(二)「お前、何やったら、そんな怪我すんだよ。」スタジオに着くなり、タケが呆れたような顔を僕に向ける。派手に坂道を転がった僕は、剥き出しだった右腕を思いっきり擦りむいた。ジーンズに覆われていた足も、二、三ヶ所を擦り剥いていた。打撲も数ヶ所あった。アームウォーマーに覆われている左腕にも、どうやら打撲があるみたい。あれから、フジとリュウに連れられて、リュウのアパートへと来た。傷を洗い、消毒をする。「痛い。」「我慢しろっての。」フジが溜息を吐く。絆創膏やら、ガーゼやら、包帯やらで、やたらと見た目が重傷になった。そんな状態でスタジオに来ると、案の定、先に来ていたヒロとタケは驚いた。「お前、馬鹿だろ。」事情を話せば、タケは苦笑いを零しながら一言。「ギター、弾けるの?」ヒロが問いかけてきた。「たぶん、大丈夫。傷は痛いけど、捻挫はしてないみたいだから。」手首を動かしながら、僕は答えた。
「世界中に二人だけみたいだね」と小さくこぼした(一)駅に向かう坂道を、僕とフジとリュウの三人は登っていた。スタジオに向かっている為、それぞれギターにベースに背負っている。七月に入ってからは、一段と日差しが強くなった。梅雨明けしたのも相まって、いよいよ夏本番だった。「暑ぃな。」隣でフジが、呟くように言った。フジを見る。少し伸びた癖っ毛混じりの黒髪は、梅雨の間に伸びて、フジの首筋を覆っていた。前髪は、相変わらず目を覆う程長い。「フジの髪型の方が暑いと思うよ。」そう言って、僕は笑う。リュウも、笑いながら同意した。うるせぇよと言いながら、フジが僕らに苦笑いを向けた。「でもさ、ほんと暑いよね。」リュウが言う。リュウの黒髪も、襟足は首筋を覆っている。前髪も長い。おまけに、自転車を押していた。夏の暑く気怠い空気は、ちょっとした事で、気力や体力を奪う。尚更暑いだろう。「もう夏だね。」そう言って、僕は空を見上げた。青い空は、少しずつ高くなっていく。「リュウ、自転車貸して。」不意に思いついて、僕はリュウに言った。「いきなりどうしたの。」驚きながらも、リュウは自転車を貸してくれた。ギターをフジに預けて、自転車に跨る。綺麗な顔立ちとは裏腹に、体格の良いリュウの自転車は、僕には少し大きかった。ペダルを漕ぐ足に力を入れて、坂道を登る。坂道を登り切ると、風が吹き抜けた。夏の風は心地良い。フジとリュウが追いつく。「ここからってさ、結構眺め良いんだね。」僕は坂の下を見下ろした。小さな坂だけど、そこそこ遠くまで見渡せる。東京にも、まだこういった場所は、幾つかあった。僕は、登ってきた坂を、自転車で下った。少し先に、舗装が剥がれて、穴が空いた場所があった。小さな穴だった為、僕は気にする事は無かった。それが命取りだった。穴に入った車輪はバランスを失い、横滑りをした。気付いた時には、僕は自転車から投げ出されていた。体に衝撃が走る。「おい!」慌てたようなフジの声が聞こえた。直後に、体に痛みが走った。