(三)


大丈夫とは言ったものの、その日は始終傷が痛んだ。

帰り際、フジが家に行って良いかと問いかけてきた。

断る理由も無かった僕は、すぐに承諾した。

二人して、僕のアパートへと向かう。

「なぁ、何で自転車に乗ろうと思ったんだ?」

不意にフジが問いかけてきた。

「何だろう。何かね、風とか感じてみたかった。」

自分でも、訳の分からない事を言ったと思った。

案の定、苦笑いを零すフジからは、馬鹿だろの一言が出てきた。

そうこうしている内に、アパートに着いた。

僕はベッドに腰掛け、フジは座り、途中で買ってきた缶ビールを飲む。

「冗談抜きでさ、怪我平気なんか?」

「うん。痛いけど、大丈夫だと思うよ。」

フジの問いかけに答えれば、フジは何だか考え込むように黙った。

不思議に思っていると、フジが口を開いた。

「何かさ、この歳になって、こんな怪我する奴居るんだな。」

そう言うと、フジは笑い出した。

その、前髪に隠れた笑顔を、僕はじっと見ていた。

フジの笑い方は、何だか優しい印象を与える。

僕は、それが好きだった。

「好きで怪我した訳じゃないけどさ。」

フジから視線を外して、僕は喋り出した。

「何かさ、怪我して改めて、体ってあるんだなって思った。」

僕の言葉に、フジが僕に視線を向ける。

「まぁ、普段はそんな事考えねぇしな。」

そう言って、フジは缶ビールを口に運んだ。

「そうやってさ、歩いて行ければ良いんじゃねぇかな。」

そう言って、フジは笑った。

大人になるにつれて、僕らは怪我をしないように、上手に歩けるようになった。

その分、抱えていたものを、ひとつずつ落としてきた。

そうやって、落としてきたものを拾う為に、たまに道を引き返す。

たぶん、それで良いんだ。

可能性の分だけ、道は増えていく。

そうやって、僕らは散々迷っては悩む。

そうやって、僕らは何処にだって行ける。

何度転んだって良い、何度迷ったって良い。

その度に、生きてるって教えてくれる。

弱くて大嫌いな僕が、教えてくれる。

きっと、大事なものなんて、ひとつで充分なんだろう。

そうやって、嫌いな自分を愛する事が出来れば、きっと幸せなんだろう。

(一)


駅に向かう坂道を、僕とフジとリュウの三人は登っていた。

スタジオに向かっている為、それぞれギターにベースに背負っている。

七月に入ってからは、一段と日差しが強くなった。

梅雨明けしたのも相まって、いよいよ夏本番だった。

「暑ぃな。」

隣でフジが、呟くように言った。

フジを見る。

少し伸びた癖っ毛混じりの黒髪は、梅雨の間に伸びて、フジの首筋を覆っていた。

前髪は、相変わらず目を覆う程長い。

「フジの髪型の方が暑いと思うよ。」

そう言って、僕は笑う。

リュウも、笑いながら同意した。

うるせぇよと言いながら、フジが僕らに苦笑いを向けた。

「でもさ、ほんと暑いよね。」

リュウが言う。

リュウの黒髪も、襟足は首筋を覆っている。

前髪も長い。

おまけに、自転車を押していた。

夏の暑く気怠い空気は、ちょっとした事で、気力や体力を奪う。

尚更暑いだろう。

「もう夏だね。」

そう言って、僕は空を見上げた。

青い空は、少しずつ高くなっていく。

「リュウ、自転車貸して。」

不意に思いついて、僕はリュウに言った。

「いきなりどうしたの。」

驚きながらも、リュウは自転車を貸してくれた。

ギターをフジに預けて、自転車に跨る。

綺麗な顔立ちとは裏腹に、体格の良いリュウの自転車は、僕には少し大きかった。

ペダルを漕ぐ足に力を入れて、坂道を登る。

坂道を登り切ると、風が吹き抜けた。

夏の風は心地良い。

フジとリュウが追いつく。

「ここからってさ、結構眺め良いんだね。」

僕は坂の下を見下ろした。

小さな坂だけど、そこそこ遠くまで見渡せる。

東京にも、まだこういった場所は、幾つかあった。

僕は、登ってきた坂を、自転車で下った。

少し先に、舗装が剥がれて、穴が空いた場所があった。

小さな穴だった為、僕は気にする事は無かった。

それが命取りだった。

穴に入った車輪はバランスを失い、横滑りをした。

気付いた時には、僕は自転車から投げ出されていた。

体に衝撃が走る。

「おい!」

慌てたようなフジの声が聞こえた。

直後に、体に痛みが走った。